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◆ 毒蛇との賭け(2)


「……ロクス! おい、ロクス。いつまで呆けてんだ?」
 耳元で大声が響く。
 がくがくと、やや乱暴に肩を揺すられる感触。
「ダメだ、こいつ。聞いちゃいねえ――」
 頭上から呆れ声が降ってくる。
「どんだけショックだったんだか。有り金ぜんぶ巻き上げられたのかね?」
「いやー? こいつの取り巻き連中にイイトコ見せたいだけだからって、ロクスには、負けても痛くも痒くもない条件だったはずだぜ?」
 すぐそこにいるはずなのに妙に遠く聞こえる、野次馬たちの話し声に混じって、飄々とした声が頭の中をグルグル回る。

 最初のうちは僕が優勢だった、今日は調子が良いと思ったのに……。
『勝負の時、おまえは何を信じる?』
 あいつが唐突に、そう訊いて。
 僕は、自分の腕だとか運だとか、答えて。
 そのとおりだと肯定した男は、世の中すべて運次第だと――意志も努力も無意味だと嘲い、
『アメジストの7だ』
 余裕綽々の態度で勝負をひっくり返すと、妙なことを訊ねた。
『友達が困ってんだ』
 そう言われて僕は、どうしてか。
『……東の塔の祭壇……司教が立つ位置の下……』
 なんでこんなことを喋っているんだろうと、ぼんやりした意識の片隅で他人事のように思いながら、よりにもよって “最高機密” をバラして。
『あと、いつも一緒にいる天使様にも伝えといてくれ』
 あいつが天の御遣いだってことも教えただろうか、なんて疑念もマトモに考えられず。
『マヌケ面が可愛い、ってな』
 そう言い残して去っていくヴァイパーの後ろ姿を、動くことも声を上げることも出来ずに、ただ見ていた。


「……ロクス!」
「!?」

 焦れたような声で呼ばれ、ハッと我に返る。
 急に視界が、周囲の雑音もクリアになり、夢から覚めたような戸惑いを持て余しつつ顔を上げた先には――困惑気味に眉根を寄せた、ティセナの姿があった。
「どうしたの、いったい? 顔色、真っ青よ」
 どうした?
 今まで、なにをしていた?
 とっさには頭が回らず答えに窮している僕を、ますます心配そうに覗き込むと、ちらりと周囲に目線を飛ばして言う。
「それに、ここ……魔力の残り香がする」
「――魔力?」
 鸚鵡返しに呟いた、その言葉を引き金に、急に思考回路が動き始める。
 そうだ。ヴァイパーが持ちかけてきたカードゲームに、負けて……魔石の隠し場所を、教えた。
 代々の教皇と、副教皇だけに伝えられてきた、危険な宝物の在り処を。それは飲酒やギャンブル、女遊び等とは比べ物にならない――醜聞なんて表現じゃ生ぬるい、教皇庁に対する完全な裏切り行為だった。

(どうして、あんな……!? ……いや。僕の意思じゃ……ない)
 そうだ。言い訳でもなんでもなく、ヴァイパーに問われた途端、勝手に口が動いていた。
 なんでそんなことを、おまえが訊くんだ?って疑問も。
 負けたって僕は、なにも払わなくてかまわないって条件だったんだから、知らないフリをしとけばいいやって開き直りも、脳裏を掠めることなく。
(ヴァイパー、あいつ――)
 背筋を伝う冷や汗に、ごくりと唾を飲み込む。
 到底、魔導士の類には見えない風貌だったが……なにか術をかけられて、操られた?
 そうでもなけりゃ説明が付かない。
 けど、そもそもさっきの出来事は現実だったんだろうか? 酒の呑み過ぎで白昼夢を見たって可能性も――いやいや、それだと魔力の残り香って何だよって話になるし、夢の内容にも脈絡が無さ過ぎる。なにより見物していた連中に訊けば、僕たちがどういう会話をしていたかハッキリするだろう。
 立ち上がりながら後ろのテーブルを振り返ろうとして、ティセナが訝しげな表情のままこっちを見ていることと、自分が無意識に彼女の手を握り締めたままでいたらしいことに気付き、どう誤魔化そうかと考えてみても上手い言葉など浮かばず。
「……なんでもない。君は、心配しなくていい」
 精一杯さりげなく右手を離しつつ、話も逸らす。
「それより、なにか用か?」
「え? ああ、うん。アルバリア地方のシュタイアを治めてる貴族の館に、吸血鬼から予告状が来たんだって。娘を花嫁として差し出せ、拒否するなら毎晩、住民を無差別に襲うって――」
 まだ怪訝そうに眉根を寄せながらも、天使は、手短に用件を述べた。
「本来ならヴァンパイアハンターやってる、クライヴに頼むところなんだけど。ちょっと事情があって未開地まで足を伸ばしてもらってたから、まだ、ロクスの方が近くにいるんだよね」
「悪いけど、今は……外せない用があるんだ。そのハンターが数日中には辺境まで帰り着くって言うんなら、そっちで何とかしてくれ。狙われてるのが貴族なら、自分たちでもハンター雇って防衛策を練るだろ」
 貴族であれば自ら護衛を集めるはずというロクスの見解に納得したか、それともこちらの焦燥を感じ取ってか、
「……そう。じゃ、しょうがないね。クライヴの到着まで、夜間、なるべく私が張り込んどくわ」
 あっさり頷いたティセナは、続けて訊ねた。
「ところで、その外せない用って? 私も手伝えること?」
「君には関係ない」
 もはや取り繕う余裕も無く、苛立ち混じりの突き放した口調になってしまい、しまった怪しまれるかと内心焦ったものの、
「…………そっか」
 面食らったように数秒沈黙していた天使は、それ以上食い下がることなく 「じゃ、またね」 と片手を振り、酒場の人込みに紛れて行った。

 事情を打ち明け手を貸してもらうべきだったか、という考えが一瞬脳裏を掠めるが、そんな自分の思考そのものにますます苛ついて、テーブルに残っていたグラスの中身を煽り、ひたいの汗を拭う。
 ティセナには無関係の話だ。
 事件の対処に追われている天使を、煩わせる必要も無い。
 なんのつもりで自分に近づいたのか、困っている友達とやらがどこのどいつだか――そんなのは、本人をとっ捕まえて締め上げれば判ることだ。

「おい! さっき、この店からヴァイパーが出て行ったろう! どっちに行った?」
「は? さっきって……あいつが出てくるとこを見たの、もう一時間は前だぞ?」
 出入り口にたむろしていた男どもは、目を白黒させつつ答えた。
(そんな長い時間、呆けてたっていうのか、僕は!?)
 なにしろ聞き出された内容が、あれだ。
 自ら侵入する気か、話に出てきた “友達” とやらが、その筋の人間を雇うつもりか――本人はあくまでギャンブラーに過ぎないはず、だとすると後者の可能性が高そうだが。
(とにかく、ヴァイパーを探し出さないと……!!)
 大通りを右に歩いて行った、という目撃証言を頼りに駆け出すが、千鳥足の酔っ払いや、客引きの女たちが視界を、行く手を遮る。
 そんな見慣れた繁華街の景色が今夜ばかりは、ひどく鬱陶しいものに思えた。

×××××


「……魔石?」
 返された想定外の単語に、当惑する。
 それは聖母の話に出てきた、サタンの魂の欠片ではなかったか?
「ああ。確か、そう言ってたぜ。見つけられなくて友達が困ってるとか、なんとか」
「しかし “マセキ” って、なんなんだろうな?」
「値の張る宝石とかじゃねえ? 教皇庁も、けっこう溜め込んでそうだし――」
 二人の勝負、その一部始終を見物していたという若者たちが、陽気に酒を煽りながら答える。

 ロクスが、クラレンスとのカードゲームに負けたこと。
 教皇庁が保有しているらしい “魔石” の隠し場所を、問われるがまま答えていたこと。

「しかし訊かれたからって、素直に教えちまって良いモンなのかね?」
「隠し場所だけ分かったって、俺達みてーなゴロツキが、教皇庁の奥まで入り込める訳ねえだろ」
「違ぇねえや! ソッコーで警備兵に捕まってお縄だよな」
 依頼に訪れてみれば、明らかに様子がおかしい勇者の姿があり。
 頑なな態度を崩すよりも周りにいた人間に訊いてみた方が早いだろうという判断は大当たりで、この酒場でさっき何があったかは簡単に知れた。
「それにしても、変な条件だとは思ってたけど……やっぱ別の狙いがあったんだな。ヴァイパーのヤツ」
「そうそう。女にモテたいなんざ、これっぽっちも思ってないくせに、ロクスの取り巻きどもを振り向かせたいとか、おまえからは何も取らないとか言ってよー」
「あ、けどさ。もし警備を掻い潜って教皇庁から “マセキ” とやらを奪えても、ロクス本人からは何も盗ってない訳だし、そこは一応嘘ついてなくね?」
 ケラケラ笑いながら言いたい放題している男たちを横目に、考える。
 クラレンスの狙いが、聖母の語る魔石と同一の代物だとしたら――彼は敵の一派?
 けれど闇に魅入られているようには思えなかったし、たとえ自分の感性では見抜けなくても、妖精のシェリーになら察知出来たはず。
(なにも知らずに雇われて、とか……? うーん、でもなあ)
 お金には困ってないって話だったし、実際そんな雰囲気だったし、他人の言いなりになるタイプにも見えなかったんだけど。
「けどよ。あいつが、そんじょそこらのお宝に興味なんか示すか?」
「女にねだられて盗みに走った、とか――」
「余計ありえねーだろ、ヴァイパーが女に絆されるなんざ。だいたい、そんな危ない橋を渡らなくたって金は無駄に持ってんだし」
 ああ、ずっと前から顔なじみらしい人たちも、同じように思うんだ。だったらいよいよ、どういう訳なんだ?
 少し前に賭博場で遊んでもらったとき、ロクスの滞在地を教えたのはマズかったか? 聖職者が酒場に入り浸っている時点で悪目立ちするから、クラレンスが明確な意志の元に動いていたなら、時間の問題ではあったろうけれど――
「じゃあ、なんだ? ロクスにむかついて困らせてやりたかっただけとか、そういう?」
「あー、まだ、そっちの方が納得いくよな。肺が悪いんだっけ、あいつ?」
「あんなんでもロクスのヤツ、お偉いさんだからなあ」
「でなきゃ、とっくに破門にされてるだろ」
 耳に飛び込んできた意外な言葉に、今後の方策について巡らせていた思考が一時停止する。

(……え? お偉いさんだったんだ?)

 下手すれば盗賊だったグリフィンよりも素行不良な僧侶の言動に、気難しい人だと呆れる場面は多々あっても、気位の高さは感じたことのなかったティセナは、少し驚いたが――同時に、妙に納得もいった。
 教会の権力者の子息だとか、そんなところか……よく聞く話だ。本人が望んで神に仕えるようになった訳じゃないんだろう。
 だから酒場でどんちゃん騒ぎしたり、賭け事に興じてみたりして――それでも辞めさせてはもらえないのか。
 カイゼル将軍の最期を眺めながらも思ったけれど。縛りつける戒律など存在しないはずの人間も、案外、不自由な生き物だ。

(ああ、こんなこと考えてる場合じゃないや)

 ロクスには手出し無用と突っぱねられたが、だからといって傍観している訳にもいかない……少なくとも、クラレンスの目的がはっきりするまでは。
 資質者ではなく瘴気を発してもいない人間を探し出すのは難しいし、この件ばかり気にしている余裕も無いけれど、おそらくシェリーなら彼の背格好を覚えているだろうし――幸い、クラレンスは凄腕のギャンブラー。賭博場に出入りする者たちの間では顔が知られている。自分も行く先々で、最近見かけなかったかと聞き込みするくらいは可能だ。

 アルカヤの混乱そのものとは、無関係なら良いのだけれど……狙われているらしい物が物だけに、たぶん、そうもいかないだろう。あー、憂鬱だ。



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ゲームの台詞をそのまんま書くのもつまらないし小説にならないので、勝負後の描写をメインにしてみる。とりあえず原作の天使様、魔力が働いてるような事態を傍観してないで、ちったあ動いてくださいよー。賭け事のルールやロクスが何言ってるのかも、よく分からなかったのかもだけどさ。