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■ 戦火の蔭 〔1〕
アプリリウス支点に位置する工廠の、正面ゲート。
「はー……」
ドリンク片手に壁にもたれ、深々と、本日13回目の溜息をついたディアッカ・エルスマンは、
「あっ、すみませーん!」
耳慣れぬハイトーンボイスに顔を上げた。
ぱたぱた近づいてきた足音の主は、ショートカットの少女だった。猫を思わせる細身にエースパイロットの証たる赤服を纏っているが、雰囲気は、やや軍人特有の硬さに欠ける――戦後入隊のルーキーだろう。
「ここから国防本部って、どう行けばいいんですか?」
「あー、突き当たりを右に曲がって、あと直進。走っても20分はかかるだろうな。デカイ建物だから近づきゃ分かるよ」
「こっち……を、真っ直ぐ?」
復唱した赤毛の娘は眉をしかめ、
「ちょっとぉ、シン。やっぱり逆なんじゃない! 前にも来たことあるから大丈夫、なんじゃなかったの?」
追いついてきた黒髪の少年に、頬を膨らませ文句をつけた。
「だから、たぶんって言ったろ! だいたいルナが俺のぶんまで地図失くしたりするから、道順分からなくなったんじゃないか」
ふてぶてしく反論したそいつも赤服だった。少女と同年代だろうが、どことなく険のある表情は無愛想さも相俟って、あまり幼さを感じさせない。
「しょうがないでしょ! 風で飛ばされちゃったんだから」
げんなり項垂れている彼女の姿が、
「あーあ、もう。やっぱりレイと待ち合わせとけば良かったぁ……」
さっきまでの自分にだぶって映り、ディアッカは苦笑した。そうして、ふと思い出す。
本部では午後から、新造艦のクルー任命式典が執り行われる予定だ。艦長の名前は、タリア・グラディスだったか――そこへ向かっているザフトレッド?
「もしかして君ら、ミネルバの搭乗予定パイロット?」
「はい」
「そうです」
片やぶっきらぼうに、もう一方もサラリと頷いたところへ、
「こんなところにいたのか、シン。ルナマリア」
プラチナブロンドの少年が姿を現した。これまた赤服である。頬にかかる長髪がジャマで顔はよく見えないが、
(誰だっけか……?)
声に覚えがある気がして、なんとなく眼で追う。
「30分前までにロビー集合との通達だったはずだぞ。なにをしている」
「レイ!」
「ごめん、道に迷っちゃって――」
助かった、と駆け寄っていきながら、何気なく腕時計に目をやった二人組は、
「やだっ! もう、こんな時間?」
「まずい、遅刻する!」
ありがとうございました失礼します、と慌しく走り去っていった。どうにも学生気分が抜け切っていない騒がしさである。
(緊張感に……欠けたまんまでいられればいいな。あいつら)
ザフトに志願した理由が何であれ、戦場に出る日なんか来なけりゃいい。そんな物思いに耽りつつ、後輩たちを見送っていたディアッカは、
「!?」
レイと呼ばれる少年が目礼した、次の瞬間ぎょっと目を剥いた。
踵を返すと同時にプラチナブロンドの前髪が流れ、アイスブルーの双眸があらわになる。髪の色合いや雰囲気こそ異なれど、その容貌は――二年前に戦死した “エンデュミオンの鷹” に酷似していた。
(他人の空似……だよな)
ムウ・ラ・フラガは当時、まだ30歳前だったはず。
メンデル戦後、多少聞き知った生い立ちからしても、プラント暮らしの血縁者がいるとは考えにくいし、まさか隠し子オチは無いだろう。
(そういや、今頃どうしてんのかねー)
フラガの恋人だったアークエンジェル艦長は? 戦後、オーブへ亡命したはずだが。
アスラン、キラ、サイ。整備士のマードックに、バルトフェルド、まるでタイプの違う姫二人と――当時の同志は何十人もいるけれど。
朝から思い返される面影は、とある少女と、やらかしてしまった口喧嘩ばかり。
「…………はあぁ」
ディアッカは盛大に、本日14回目となる溜息をついた。
「プライベートまでは問いませんが、隊員の前では、もう少し毅然としてくださいね。士気が下がります」
また背後から話しかけられた。今度は、振り返るまでもない馴染みの声。
「……おまえも休憩?」
ストレートロングの髪を背中でひとつに結い、きっちりと赤服を纏うザフト兵が立っていた。シホ・ハーネンフース――戦艦ボルテールを旗とするジュール隊の長、イザークの左腕と呼ばれる女だ。
ちなみにディアッカは “右腕” と評される立場にあり、日々多忙を極めている。
復隊は自ら選んだ道、エリートコースの赤から降格されるだけで済んだことも、戦時中にとった行動からすれば寛大な処分だとは思うが、
(休暇よこせっ、地球に降りさせろ! 俺は緑服。一般兵なんだぞ? 役職も仕事もクソくらえだー!!)
現時点では、これが本音だった
昨晩のケンカを思い出すたび、抱えた仕事を放っぽりだして地球へ直行、あの勝気な分からず屋に思うさま説教してやりたくなってしまう……しかし悲しいかな、常識や責任感の足枷というヤツはそれなりに重かった。
「隊長が探していますよ。会議が終わったので、戻るそうです」
「ああ、分かった」
ぐいとドリンクを飲み干して、仕事モードに切り替える寸前――ディアッカは、もはや無意識に小さく嘆息し、不安定な世界情勢を恨んだ。とにかく開戦だけは勘弁してほしい。
『危ない? それくらい分かってるわ。だいたい、あんたにとやかく言われる筋合い無いわよ!』
売り言葉に買い言葉。
浅葱の瞳を三角にしたミリアリアから、ブチッと通話を切られた後の虚脱感ときたら。
(そりゃ俺は、カレシでも何でもないんだろうけどさぁ)
惚れた女が、戦場カメラマンなんて物騒な仕事をすると判って、反対しない男がどこにいる? あの世で “トール” も肝を冷やしているに違いない。
たまに見せてくれた笑顔や、むくれて睨みつけてきた表情、気遣うような声音も――いつだって鮮明に思い出せるけれど。
次に彼女に逢える日は、いったい、いつになることやら。
×××××
「おーい。故郷の婚約者が押しかけてきたって、本当か? ハウ」
「開口一番、熱烈プロポーズされたんでしょ? 見たかった〜、早退するんじゃなかったなぁ」
「いません来てません、されてません!」
揃いも揃って冷やかしてくる興味本位の同僚たち。今朝、出勤してからというもの延々こんな調子だ。
「あっ、ミリアリアー。聞いたわよ! なんかストーカーに追い回されてるんだって?」
「違うわよ!」
「可愛いからねぇ、ミリィちゃん。なんならオレ、ボディーガードやったげよっか? 帰り、送ってくよ」
「自分の身くらい、自分で守りますッ」
しかも、だんだん話に尾ひれが付き始めている。それもこれも昨晩、いきなり人の職場に衛星通信などかけてきた、非常識なコーディネイターのせいだ。
(……ディアッカの、馬鹿!!)
憤慨と羞恥に耳まで赤くしながら、ミリアリアは、宇宙の彼方にいる知人を無言で罵りまくっていた。
三隻同盟の一員として終戦を見届けた、ミリアリア・ハウは――同じく生き残ったサイ・アーガイルらと共に、オーブ本土の工科カレッジへ編入。
今春、無事に卒業してからは、報道カメラマンの助手として各地を渡り歩く日々を送っている。
現滞在地は、スカンジナビア王国の地方都市。
万年人手不足の中堅TV局にて、下積みの仕事は、お茶汲みから事務処理・取材活動まで幅広く山積みだ。
故郷の両親や友人とも滅多に会えないハードな生活で、たまに寂しくなったりもするけれど。自分で決めた道を進む充足感は、何物にも変えがたく……ここ数ヶ月は特に、短時間ながらも毎日キャスターとしてTVに映るため、親は安心しているようだったし、サイたちからも番組感想を兼ねた近況報告メールが届く。
そう、とりあえず順調だったのだ。
ブルーコスモスの自爆テロ跡地を取材したときの様子が、放送された昨日までは。
(なんなの、何様のつもりよ? あいつ!?)
思い出すだけでも腹が立つ。慣れないインタビューに緊張し、疲れ果てて帰社した途端、
『ああ、ハウさん!? 通信が入ってます!』
『まだ戻ってないって言ってるのに。さっきから、ものっすごい剣幕でミリアリアを出せって――』
弱りきった表情の職員に、詳しい説明を受ける間も無く引きずられて行きながら、てっきりクレームが来たんだと思った。私は誰かの傷を抉ってしまったんだろうかと、本当に生きた心地がしなかったのに。
『――なに考えてんだよっ、この馬鹿!!』
モニターに映し出された相手は、幸か不幸か顔見知り。金髪紫眼の地黒男で。
それから、通信記録によれば28分と57秒。続いた口論は要約すると、
『危険だから、ああいう現場には出るな』
『イヤ』
……たったこれだけ。
互いの主張が、平行線のまま決裂しただけだった。
心配してくれていることは、分かる。
ディアッカが職業柄、爆撃跡などの危険性を知っているからこそ、だとも。
けれど親兄弟じゃなく恋人でもない、しかもザフト軍人だなんて最上級に物騒な仕事をしている男から、どうして、
『危ないから辞めろ』
などと、頭ごなしにバカ呼ばわりされなくてはならない?
ついて回るリスクさえ理解していない、頭の悪い女とでも思われているのか?
そう考えると無性に腹立たしくなり、最後には捨て台詞をぶつけ、一方的に通信を終わらせたミリアリアは――居合わせた面々に口止めすることも忘れ、女子寮の自室に戻り不貞寝してしまった。
そうして今日、出社してみれば、噂は出入りの業者にまで広がっており。あれを痴話ゲンカと誤解した彼らに、朝から好き勝手からかわれているというわけだ。
「なにをチンタラやっとるんじゃ、このバカ弟子が!!」
囲まれて質問攻めにされ、身動きがとれず辟易していたところに、すっかり馴染んだダミ声が響いた。
「午後から取材に出ると言っとったろう。早う、支度せんか!」
「師匠!」
この場を抜け出す口実を得て、ミリアリアは、ぱっと顔を輝かせた。逆に、社員たちは 「げっ」 と逃げ腰になる。
「こ、コダックさん……」
「おまえらも、ワシの助手にちょっかいかけとんじゃねえ! とっとと自分の仕事をせんかっ」
しっしっと追い払われた野次馬のうち数人が、ぼそりと捨て台詞を吐いた。
「ワシのって、ただの雇い主だろぉ〜?」
「いつミリィちゃんが、あんたのモンになったんだよ。色ボケじじいめ」
「ばっ、バカ! じじいって言っちゃあ――」
慌てて制止しようとする誰かの声、だが既に手遅れだった。
「だ、れ、が、ジジイかぁっ!」
禿頭に青筋たてたコダックは、脱兎のごとく逃げだした連中を、悪鬼の形相で追い回しながら喚いた。
「ワシは、まだ59歳じゃー!!」
ゲンゾウ・コダック。この道ン十年のフリーカメラマン、還暦間近。
生涯現役が信条。じじい、じーさんetcの台詞は禁句。業界関係者の誰もが認める凄腕の男は、その短気さと地獄耳ぶりでも有名だった。
プロローグ・遠距離ディアミリ。それぞれ日常生活に追われてます。
……にしてもレイの声がクルーゼと同じだってことを、訝しむザフト兵は皆無だったんでしょうかねぇ?