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■ 悪夢 〔2〕
それから十数日は、地獄だった。
独房に光源は一切なく、昼と夜の区別がつかない。
食事が出される時間はますます不定期になり、それで時刻を計ることも出来ず。
情報を仕入れようにも、独房を訪れた連中は、用を済ますなり逃げるように去っていく――冷めたメシは食欲を減退させ、だんだん味も感じなくなっていった。
手首の拘束具は外されていたが、起きていてもトレーニング程度しかすることがない。
次第に寝つけなくなり……眠れば必ずといっていいほど、あの少女が死ぬ夢に魘されて目が覚める。
常ならば半日もかからないような、独房のロック解除に数日かかり。
開けられたはいいが、どうしても、そこから外へ出て行く気が起こらなかった。
“足つき” を爆破、脱出する計画は――いま実行に移せば十中八九しくじるだろう。しょうもないミスが原因で。
……彼女の事情なんざ、知ったこっちゃない。
まだ15歳だったニコルとて、僚機を庇って “ストライク” に殺られたのだ。
(俺はザフトレッドだ。あのとき投降したのは、この艦を墜とすためなんだぞ!?)
だが、理詰めで割り切ろうとする意思と裏腹に。
浅い眠りの中で繰り返し、少女の死を見せつけられるたび――ニコルの仇だと考えようとしたら、なおさらダメになった。
もし “足つき” ごと俺も死んで、あの世で再会したなら。
仇を討ってやったと報告したところで、ニコルは、悲しげに目を伏せるだけだろう。
正規の軍人相手でさえ、戦うことに心を痛めていた同僚が、そんなことで喜ぶはずもなかった。
『貴女たちを、巻き添えにしてしまって……すみませんでした』 と。
逆に、彼女に謝りかねない。
“足つき” を追い、オーブ本土へ潜入したときを思い出す。
『今は戦争中なんだぞ! ここはシャングリラかなにかか!?』
のどかな市街の情景に、かりかりと腹を立てているイザークに、反論したのはニコルだった。
『でも、ここだけでも楽園なら、それはいいことじゃないですか』
『どこがッ。あんなモノを作っておいて、自分たちだけのうのうとしてるなんて!』
『それでも、幸せそうにしている人たちに、よその国の苦しみを被れ――なんて言うのも、僕らの勝手な意見の押しつけじゃありませんか?』
まじめに諭す言葉の意味を、深く考えもせずに、
『そーそー、平和はいいよなァ。女の子はカワイイし、いい国だぜ、ここ』
ただ享楽的な主観でもって同意したディアッカに、女遊びに興味のないイザークは、またぞろ憤慨していた。
本来なら、あの平穏に溶け込んでいた。
幸せだったはずの少女を……こんな戦場へ追い落としたのは、紛れもなく自分たちだ。
芽生えてしまった認識にがんじがらめに縛られて、独房から出られぬまま。
やがて――新たな戦闘が始まった。
アラスカに停泊していた “足つき” の相手は、当然ザフトだろう。
容赦ない揺れと轟音を、鉄格子にしがみついて耐えながら……ディアッカは、同胞の手によって艦ごと沈められる末路を覚悟した。
「……食事よ」
ディアッカは夢うつつに、高くもなければ低くもない心地よい声を聞いていた。
「ゴタゴタしてたの。遅れて、ごめん」
戦艦にそぐわない、パステルカラーの人影――ミリアリアは、なにか両手で持っているようだ。
それをコトリと床に置き、小首をかしげつつ戻っていこうとする……どこへ?
(ああ、そうか――戦場だ)
俺がよく知る、鉄屑だらけの冷たい場所だ。
考えるまでもない。地球軍兵士で “足つき” のクルーが引き返す先など。
(だめだ、行くな……!)
頼むから、この艦を降りてくれ。元いた平和な場所へ帰ってくれ。でなきゃ、俺は――俺たちがしたことは――
朦朧とする視界の中で、懸命に手を伸ばす。
痺れたように自由の利かない指先が、それでも、どうにか少女の手首を捕らえれば、
「!?」
折れそうに細い腕が、びくっと痙攣した。
伝わってくる、ひとの体温と感触に……まどろんでいた意識が覚醒していく。
追おうが叫ぼうが、自分の声は届かず彼女に触れることも叶わない――それが連日続く夢だったのに?
(……え?)
ゆっくり目を開けると、ディアッカは、寝台と反対側の壁に凭れていた。
真横――鉄格子の外には、栗毛の少女がいて。
瞳を丸くしながら、中途半端にしゃがみ込んだまま硬直している。
食事の差し入れ口に、眠りにつく前まで無かったトレイがあり。それに添えられた手を、自分の右手が鷲づかみにしていた。
「うわ!」
次の瞬間、ディアッカは勢いよく飛び退いていた。なんで、こいつがここにいるんだ!?
「な、なな、なんなのよっ」
二、三歩後ずさり、掴まれていた腕をバッと隠した少女が、どもりながら文句をつけてくる。
「あ……いや、まさか、おまえが持ってくるとは思わなかったからさ……」
夢と現実の区別がつかなかった。
「おまえ、ぇ?」
弁解を試みるより先に、少女がムスッとこちらを睨む――どうやら、おまえという物言いが癇に障ったらしい。
「すみません、あなた様」
反射的に頭を下げたはいいが、いつもの癖が出てしまった。
(茶化してどーすんだ、茶化して)
しかし少女は、怒ったふうでも怯えるでもなく、きょとんとディアッカを見つめ返した。そうして、やや素っ気なく言う。
「……ミリアリアよ」
それは、聞かされなくても覚えていた――愛称が “ミリィ” だということも。
やや呼びにくそうだが、語感のキレイな名前だと思う。
「あんたじゃないんでしょ?」
続けられた問いに、ディアッカは少し戸惑った。
なにが、だろう。
トールを殺したのは、ということか? それとも、ザフト兵にも名前があるだろうという意味か。
「へ、へぇ……」
どっちなんだか分からないが。以前と違ってコーディネイターを怖がる様子もなく、ぽんぽん言い返してくる彼女の態度が、妙に嬉しくなって、
「名前で呼んでいいのかよ?」
「イヤ」
発した要らぬ質問に気分を害したらしく、少女はそっぽを向き、牢の出口へと踵を返してしまった。
「あ! お、おいっ」
またやらかした。もっと他に、訊かなきゃならないことがあったというのに――うろたえ、追いすがろうとしたディアッカは、
「……ッ!?」
片足を踏み出したとたんバランスを保てなくなり、ぐらっと前のめりに倒れこんだ。
とっさに掴んだ鉄格子が、ガシャンと派手に鳴る。
「ちょ、ちょっと?」
驚いた少女の声が、ひどく遠く聴こえ――無意識に、もう片方の手で押さえた側頭部がズキズキと痛んだ。
(立ち眩み起こしてんのか、俺……?)
自覚すると、いよいよ情けなくなった。
ここ十数日の不眠症が祟ったんだろうが、同胞間でも最高レベルの身体能力を誇り、士官学校の厳しいカリキュラムを物ともせず “赤” に袖を通した、自分が――よりにもよって貧血とは。
鉄格子に縋り、ぐらつく頭を抱えたまま動けずにいたディアッカは、
「…………!?」
ふわり、と。
こめかみに触れた柔らかいものを視界に捉え、血の巡りとは無関係に身動きがとれなくなった。
「……痛いの?」
去ったとばかり思っていた少女が、戻ってきていて、
「え――」
独房の前に膝をつき、鉄格子の隙間から手を差し伸べていたのだ。その瞳は心配そうに、巻かれっ放しの包帯に向いている。
「怪我させちゃったもんね、痛いよね……」
ディアッカの当惑を、まるっきり別方向に解釈したらしく、
「ごめんね」
少女は、しゅんと目を伏せた。
なんで、謝る? 俺に触れるんだ。
狭い格子を、難なくすり抜けるほど華奢な。こいつの腕をねじり上げ、人質にとることも――やり様によっては、殺すことさえ出来るのに。
不可解な言動についていけず、ただただ唖然としていると、彼女は重ねて訊いてきた。
「軍医さん、呼ぶ?」
「い、いやっ、治ってるから!」
体調不良と傷は無関係だ。それよりなにより貧血だったはずなのに、さっき触られたあたりが異様に熱い。
(ああ……こいつ、本当に “軍人” じゃないんだな)
漠然としていた認識が、痛感に変わった。
不用意に捕虜と言葉を交わしてはならない、接触するなど以ての外と――そんな常識さえ持ち合わせていないのか。
たいした怪我じゃなかったから気にするなと、言ってやるべき場面だったろうに、
「ただっ、その……! なんか生きてるのか死んでんのか、ワケわかんなくなって」
こういった会話に免疫のない口は、またペラペラと、どうでもいいようなことをまくしたてる――よりにもよって、あんな夢の話。
(本人に聞かせてどーすんだよ!)
唐突に顔を背け、黙りこんだディアッカをしげしげと見やり、
「確かに、あんたは捕虜だけど――艦長は優しい人だから、拷問とか手荒なことはされないと思うわよ。アラスカからは無事に脱出できて、今いるの、オーブだし」
手を引っ込めた少女は、気まずげに苦笑すると、
「それに私、ただの二等兵だから。そこの鍵の開け方なんか知らないから、安心して」
「は?」
ひとが面食らっている間に、今度こそ出て行ってしまった。
鉄製の扉が閉まる音がバタンとこだまして、独房は、再び静寂に支配される。
「……あ」
自分の心配を、していたわけじゃない。
彼女が危害を加えに来たなんてことは、なぜか微塵も考えなかった――が、ディアッカの挙動は、少女の誤解を招いたようだった。
(こんな口下手だったか、俺は……?)
立ち去られてから後悔したところで、彼女が引き返してくるわけもなく。
壁に寄りかかり、その場にうずくまったディアッカは、ぐしゃぐしゃと頭を掻きながら嘆息した。
また、話せるだろうか?
医務室での一件を思えば、艦長たちがミリアリアに、捕虜に関わる業務をこれ以上やらせるとは考えにくいが……この際、尋問や移送の連絡でも、なんでもいいから来てくれないだろうか。
そのときは――なにより先に、礼を言わなければ。
どんな理由だったにしろ。あんな暴言を吐いた、敵兵の自分を……助けてくれたことを。
(……悪い、ニコル)
俺は、この艦を墜とせない――彼女を殺したくない。
認めてしまえば、スッと気が楽になった。
こんな感傷、イザークが聞いたら腰抜け呼ばわり必至だろう。アスランは……辛気臭い顔で、眉根を寄せるくらいだろうか?
それでも、ニコルなら。
あの少年がここにいれば、笑って同意してくれるような気がした。
傍らに置かれた、食事のトレイに目を移す。
いったい、これは朝食なのか夕食なのか。訊けば教えてくれたのかもしれないが――
(ん?)
トレイの横に、なにか筒状の物体が添えられている。
なんだろうと手を伸ばすと、ドリンク入りの紙コップだった。まだ温かい。
こんなもの今までの食事には付いていなかった。他方、トレイの中身は、ここ十数日と変わらず冷え切っている。
(あいつ、許可なしに持ってきたんじゃないだろうな?)
なんとなしにそう思った……が、正直、のどはカラカラに渇いていた。
ミリアリアの独断だったとしても、甘すぎる艦の規律からして、いちいち目くじら立てられはしないだろう。
同伴者も無しに、彼女が食事を運んできたことこそ証拠だ――あんなトラブルを起こしたヤツ、普通一ヶ月は謹慎処分で外に出られやしない。
そう結論付け、茶を半分ほど飲み干す。
冷え切った身体には熱が心地良かった。そういえば拘束されて以来、熱いものを口にしたのは初めてかもしれない。
次いでフォークを取り、ベーコン巻きの正体不明な野菜を、口に放り込む。
ずっと不味いとしか感じなかった、ここの料理を。
今日は、ちゃんと味がするな、と……ぼんやり思った。
その日を堺に――悪夢に叩き起こされることは、なくなった。
無印時代は、誰かと出会うことで価値観が変わっていく、その過程がおもしろいストーリーでした。DESTINYは、その点……堂々巡りしてるキャラが多くてイライラしたなあ。