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■ 驕れる牙 〔1〕


「言い掛かりじゃないですか、こんなの!」
 ミリアリアは、現地記者から届いたFAXをまとめて片手で握りつぶした。

 そこに記されている文書は、連合諸国が、先刻プラントに突きつけたという代物だった。
 テログループの逮捕・引き渡しに賠償金から武装解除まで、どれもこれも耳を疑わずにいられない一方的な要求ばかり。しかも、
“受け入れられない場合は、プラントを地球人類に対する悪質な敵性国家とし、これを武力を以って排除するも辞さない”
 ――ときた。もはや無条件降伏しろと脅しているに等しい。
 信じられないというより、呆れてしまう。
 二年前、オーブが攻め込まれたときと同じだ。譲歩や外交なんて部類じゃない……つまるところ、勝てば官軍。形だけでも大義名分が整えばいいのだ、大西洋連邦やユーラシアの政治家たちは。
 本当に地球のためと思うなら、やるべきことは被災地の復興や、テロ行為の再発防止であるはずなのに。

「いくら、コーディネイターがユニウスセブンを落としたからって――命がけで防ごうとしてくれたのも、プラントの人たちなんですよ!? 映像記録を見たんなら、犯人グループがどうなったかくらい解ってるはずじゃないですか!」
 だんっ、と。
 家具に八つ当たりする弟子を見やり、コダックは愛用の湯呑をテーブルから避難させた。
「怒鳴り散らしたって、しかたあるまいよ」
「なに、のんきに緑茶すすってんですかっ!」
「ワシらはジャーナリストだ。情勢がどう動こうと、事実を伝えた結果なら、それは現実として受け止めなけりゃならん」
 ずずーっと茶を飲み干して、眼光鋭く言い放つ。
「人間ひとりが持つ力なんぞ、たかが知れとるのに……おまえさんたちのように、ひとたび偉業を成し遂げた連中は、往々にして己を過信しがちだ」
 広げた資料に目を通しながら、
「自分には力がある、世界に対して責任がある、周りの人間も助けを期待しているはずだ――とな」
 じろりと睨んでくる師の迫力に、ミリアリアは、ぐっと詰まった。
「わ、私は、べつに……」

 なにかしたいと考えてはいる、けれど自分に “力” があるだなんて思っていない。
 先の大戦で、最悪の結末を防いだ――そのため最前線に身を晒し、ぼろぼろに傷つき、命を落としたのは――ミリアリアではない。彼らだ。
 だからこそ、そんな状況が。無力な我が身が歯痒いだけだ。
 
「だがな。物事は、望むように進まんことの方が圧倒的に多い……なにかを成し遂げられるのは、それを解ったうえで地道な努力を続けられる人間じゃ」
 それは分かる。
 武力で戦争を止めても、現に一時しのぎにしかならなかった。人々の根底に在る差別意識の払拭こそ、真に必要なんだとは――
「選んだ道を放り出し、安易な方向に流されれば、これまで積み上げてきた全てを失うぞ」
 だから、写真を撮りたいと思った。
 コダックのように真実を伝え、誤解や偏見を取り払う術を持ちたいと。
「それともカメラを捨てて、連合軍基地に武器かついで乗り込むか? プラントへ飛んでいって、ザフト戦艦のオペレーターでも務めたいか?」
 ディアッカたちは軍人として。
 カガリは為政者として、平和への道を模索している。
 彼ら――かつての戦友と、同じフィールドに立ちたいという衝動も、ずっと心の片隅にあるけれど。
「いいえ。一介の民間人だからこそ変えられることも、あるはずですから……一度、伝えてダメなら、何度でも伝えるだけです」
 この焦燥は逃避だ。
 上手く立ち行かぬ現実から、抜け出したいという。
 そんな理由で今の仕事を放棄して、他者に追随したって――きっと何ひとつ得られやしない。
「……ふん。決めたんなら、取材に出るぞ。そろそろヘリが到着する」
 小さく鼻を鳴らしたコダックは、議論は終わりとばかりに腰を上げ、ミリアリアを急かした。


 高度100メートルの上空から、夕陽に染まる海が見える。


 ユニウスセブンによる被害は赤道ラインに集中していて。
 南洋に位置するオーブが、沿岸を高波にやられただけで済んだのは、運が良かったとしか言いようがない。

 けれど、あの場所は。
 トールが、そしてニコルという少年が散った小島は――どちらも海底に沈んで、跡形もなく消えてしまっていた



 ……終戦直後の4月。ミリアリアは、花束をふたつ携えて名もなき島々を訪れた。
 日時は譲りたくなかったから両親に相談して、学校は丸3日、仮病を使い休ませてもらった。
 15日と、17日。
 ディアッカの仲間がキラに殺された日と、自分の恋人がアスランに殺された日。
 ニコル・アマルフィと面識は無いけれど、プラント在住の遺族や友人は、気軽に地球へは来られないだろうから――自己満足に過ぎなくても行っておきたかった。
 彼の魂は、とっくに故郷へ還っているかもしれないけれど。遺体が眠る場所には違いないから。
 そうして準備していたところ、キラと、共にオーブに亡命していたラクスが同行を申し出てきた。
 トールの性格からして、墓参りでもにぎやかな方が喜ぶだろう……娘の一人旅に難色を示し付いて来ようとしていた両親も説得できたし、俗な話だが、学生の身にはちょっと痛かった、クルーザーのチャーター代も割り勘になるわけで。

 三人並んで、島の土を踏んで。
 それぞれスカイグラスパーと、ブリッツの破片と思われる金属を拾い集めて重ねた、墓標と定めた広葉樹の前で。
 プラントの歌姫は、二人のために “水の証” を唄ってくれた。
 ……彼女の曲が好きだったというニコルには、なによりの手向けになったんじゃないかと思う。

 青空に響く声は、どこまでも透明で美しく気高かった。
 歌手としての素養は、コーディネイトされた結果かもしれないけれど――彼女の歌が、言葉が “カリスマ” として人々の心を動かす理由は――その本質が、凛とした想いが、他者の心に訴えかけるからだと思う。

 大樹に跪き、祈るように両手を組み合わせて、ラクスは言った。
「あのときは助けてくださって、ありがとうございました」
 とっさには、なんのことか解らず、
「……また、お会いしたかったですわ」
 大戦中、デブリベルトで保護した彼女が人質に使われた後のことを、おぼろげに思い出す。トールと彼女の接点といえば、他に無い。

 ラクスを婚約者の元へ返そうと、軍規違反の行動を起こしたキラに、協力したのが彼だった。
 目的が果たされた代償に、待ち受けていた罰はトイレ掃除一週間。
 面倒臭いとぶーたれるトールに苦笑したけれど、そんな処分で済んだのは、ひとえに艦長の人柄のお陰だった。もうちょっと考えて行動しなさいよ、と窘めるミリアリアに、
『だってさ〜、あのままじゃカッコ悪いじゃん』
 トールは、あっけらかんと答えた。
『女の子、人質に取って逃げるなんてのは、悪役がやることだろ?』
 そんなふうに立場も後先も考えず、感情のまま行動できるトールが愛しくて、誇らしくて。
 だから私がフォローするんだ、支えになるんだと。
 そんな想いだけでは、どうにもならない場所へ送り出したせいで……彼は、還らぬ人になってしまったけれど。

 ラクスは、教えてくれた。
 大破した “ストライク” のコックピットで、意識を失っていたキラは、部品回収目的のジャンク屋に助け出されて一命を取り留めた。あと少しでも “イージス” のエネルギー残量が多かったら――非常用シャッターも機能せず、機体ごと木っ端微塵になって即死していただろうと。
 もちろん、誇張かもしれない。
 初陣に近いトールの技量では、たぶん敵機にたいしたダメージは与えられなかった。スカイグラスパーの撃墜に “イージス” が費やした時間など、微々たるものだろう。
 それでも……トールが出撃しなければ、キラが死んでいたんだとすれば。
 キラでなくては、ラウ・ル・クルーゼを止められなかったなら。
 きっと、底抜けにお人好しだった彼は、笑うだろう。
『俺が出撃した意味、ちゃんとあったんだな〜。ま、それでも出来りゃ、生きて帰りたかったけど』
 とかなんとか、うそぶいて。

「来年も、ご一緒してよろしいですか?」

 帰り際、おずおずと尋ねてきた歌姫に、ミリアリアは頷いた。
 三隻同盟の一員として戦ったとはいえ、直に接したことは数えるほどしか無かっただけに――キラが間に入ってくれなければ、会話が持たないだろうと思いきや。こちらが拍子抜けるほど、ラクスは気さくで、なにやら一生懸命だった。
「ずっとアイドルとして、大人に囲まれて育ったから……同世代の女友達は、ほとんどいなかったんだって。ミリアリアと仲良くなりたいって必死だったんだよ」
 後日、キラから理由を聞かされたときには、つい吹き出してしまった。
 コーディネイターで、妖精のように可愛らしい、元最高評議会議長シーゲル・クラインの愛娘。それでも妙に庶民的で、等身大のことで悩んだりする、ひとりの少女。

 彼女がキラに恋愛感情を抱いていることは、雰囲気で察せられた。言動は控えめで、キラは気づいていないようだったから、女の勘というヤツかもしれない。
 フレイのことを思うと最初は複雑だったが、だんだん応援したい気持ちになっていった。
 今すぐじゃなくて、近い未来……キラの傷が癒えた頃に、寄り添う相手がラクスなら、きっと祝福できるだろう。

 それから再び月日が流れて、今年の四月。
 あらためてコダックに弟子入りし、旅に出る直前――約束どおり、また三人で墓参りに出掛けた。
 ミリアリアは、貯金をはたいて買ったカメラで、写真を撮った。
 トールが眠る島。それから、ニコルが眠る島。
 アマルフィ夫妻の人となりは、知らないけれど。いつか彼らが、息子がどんな場所で死んだのか知りたいと思う日が来たら、渡してあげたいと思った。
 それとも、ディアッカに託そうか。
 ナチュラルの……しかも元敵軍の兵士からでは、さすがに複雑だろうから。
 あいつなら元同僚だし。皮肉屋なくせに、相手を気遣っているときは不器用なくらい言葉を選ぶから。たぶん、ちゃんとしてくれるだろう。
(ラクスは――故郷には戻らないで、キラの傍にいたいみたいだもんね)
 終戦から丸一年を経て、二人の親密さは、かなり増しているように感じた。
 ただ、恋人同士というよりは、なんというか……。

“熟年夫婦”

 あたたかくて、静謐な。
 キラたちの佇まいにぴったりな表現を思いつき、これはちょっと失礼だろうと考え直すものの、他に適した比喩が浮かばない。
 まだ10代の男女なのに、ベランダに並んで日向ぼっこでもしていそうな穏やかさだ。

 来年、彼らはどうなっているだろうと、微笑ましい気分になった。
 爆撃の煽りで折れた樹木や、焼け焦げていた草原には新しい命が芽吹いて、傷痕を覆うだろうかと考えた。

 けれどもう、死者の墓碑は存在しない。
 毎年、変わりゆく様を残したかった島の写真は――拙い自分の手で撮った、二枚きりになってしまった。



 浜に打ち上げられた、無残なイルカの死体。
 スラムと化した集落に寄り添い、打ちひしがれている人々。
 モスクに祈りを捧げる信者たち。未だ避難民が戻らぬ、がらんどうのオフィスビル街――被災地の情景に、どうしてもシャッターを切る指が震えてしまった。
 これでは、きちんと撮れているか疑わしい。フィルムを現像したら、また、たっぷりコダックに絞られるだろう。
 窓に映る自分は、鬱陶しいほど暗い顔をしている。

 各地を飛び回るうち、あっという間に数日が過ぎ。
 立ち寄った街で早めの夕食を終え、本社へ戻ろうとヘリを急がせていた取材班の元に、通信が入った。

〔ゲンさん、聞こえるか!?〕

 スピーカーの音量を上げずとも同乗者にまで伝わる大声に、コダックが顔をしかめる。
「なんじゃ、どうした」
〔ああ、やっと通じた――って、もう今更どうにもならねーんだけどよぉ!〕
 通信相手は、やたらめったら慌てていた。
〔今は、まだヘリの中だろ? テレビ、観てないんだよな?〕
「ああ」
〔さっき大統領が、緊急声明を出したんだ。テロ行為の犯人グループを匿い続けるプラントを “敵” と断定した。零時になったら総攻撃を開始するって!〕
「はぁ!?」
 さすがの師匠も驚愕のあまり、二の句が継げないようで。ヘリの熟練パイロットも危うく手元が狂いかけたか、一瞬ぐらりと機体が横揺れした。
〔プラント側は、協議続行を望んでるってのに……〕
 地球側とて、そうだ。
 北欧一帯、赤道連合、アフリカ諸国。メディアの大半も連合のやり口に異を唱えているのに、それらを無視して?
〔あっちから届いたニュースじゃ、例の映像を持ち帰った新造艦―― “ガーティー・ルー” って名前らしいが、その一派が “アーモリーワン” でザフトのモビルスーツ三機ぶん取って、しかも破砕部隊の活動ジャマしてたって言うんだぜ? もう、訳わかんねーよ!〕
 がなり立てられた内容を、理解するより先に、
〔しかも連合は核兵器を使うつもりだ、なんて情報まで入ってきてんだよ! あーもう、デマであってくれりゃいいんだけどさ……〕
 続いた言葉に、ミリアリアは愕然とする。
「核!?」
 ユニウスセブンを、死の大地に。
 難攻不落と詠われていた要塞ボアズを、宇宙の塵に変え。
 アズラエルに流されるままプラントすべて薙ぎ払おうとした、後にはなにも残さない禁忌の “力” を?
 ユニウス条約で禁止されたモノを、敢えて使うというなら。
 宣戦布告どころの騒ぎじゃない、戦争とすら呼べはしない――コーディネイターが人間であることを否定すると同義の虐殺行為だ。
「…………そんな……」
 そんなものを撃ち込まれたら、彼らは――あの場所に生きる人々は?

『また開戦なんて、まっぴらだわ』
 ミリアリアが、呟いて。
『そうだな……』
 ディアッカが肯いたのは、たった数日前の出来事なのに。

 ちょっと礼を言われただけで、バカみたいに喜んでいた。
 この間のケンカを――ミリアリアの暴言も、まるで気にしていないように。

 あんたとは付き合えない、気持ちに応えられないと、かれこれ十回は告げているのに。まるっきり堪えた様子もなく連絡してくるから、こっちが “振った” という認識を忘れてしまうくらい。
 だったらもう、私がトール以外の “誰か” を好きになるか、ディアッカが心変わりするか――決着のつけ方は二通りしかないと思った。
 それまで考え続けることが、あの物好きな男に対する誠意だと。

 けれど終わりの形は、もうひとつ存在するのだった。
 それは、どちらかが死ぬこと。

(ディアッカ……イザークさん……!)

 ようやく薄れかけていた、喪失感が。二年前の恐怖がまざまざと甦り、平和に縋りたがっていた心臓を締めつける。
 衝動的に窓にかじりついて、仰いだ空は、遠く――今は、星さえ見えなかった。



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トール死亡時、艦内にいたミリアリアは、具体的にどの島が現場になったのかは知らないはずですからねー。来るとしたら、少なくとも最初はキラと一緒かな、と。