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■ 穏やかな日に 〔1〕


「もしもし、サイ?」
〔ああ、俺だよ。また久しぶりだね、ミリィ〕
 受話器から聞こえる友人の声は、いつも変わらず穏やかで。笑みを含む 『また』 という表現に、少し気恥ずかしくなった。
「うん、ごめんね。なかなか落ち着いて電話する時間もなくって――」
〔いいよ、それは。君が元気でやってるなら〕
 サイ・アーガイルは昔から、ひとつ年上なだけとは思えないほど “お兄さん” っぽい。絶対に、精神年齢は2、3歳上だろうと思う。
〔ご両親には、ちゃんと連絡入れてる?〕
 ときたま “お父さん” めいた発言も飛び出すが、さすがに失礼だろうから、そこは指摘しない。
「今日は余裕があったから、夕方、電話したわ。怪我してないか〜とか、今度はいつ帰って来るんだ〜とか、毎回おんなじこと訊かれて嫌になっちゃう」
〔心配するなって方が無理だからね。お説教を聞くのも、ジャーナリストの仕事のうちだと思いなよ〕
「……そうね」
 ミリアリアは、苦笑混じりに頷いた。小言じみた台詞も、相手がサイだと素直に聞けてしまうから不思議だ。
〔ところで、このタイミングでの電話ってことは――“ミネルバ” と条約調印の件だろ?〕
「それもあるんだけど。カガリ……落ち込んでるだろうなって、気になって」

 オーブが、大西洋連邦との同盟条約を正式に締結したと判明したのは、本日、正午を回ってすぐのこと。
 予想よりだいぶ早い、というのが、ベテラン報道陣に共通する感想だった。
 しかも事前に、ザフト艦 “ミネルバ” を連合側に売り渡すという、完全にプラントを敵に回す形で。
 そんなバカなと否定したかったけれど。現地記者の調査で、ミネルバは自力で連合艦隊を撃破して逃げ延びたものの、どちらも事実だと裏が取れてしまった。
 アーモリーワンの戦闘に巻き込まれた国家元首を、保護し、無事に送り届けてくれた艦であるのに――地球連合軍に包囲された水域へ追い出すなど、不誠実にもほどがある。中立国だからこそ用件も済んだザフト軍艦を停泊させておけない、領海には匿えない、という理屈ならまだマシだった。
 始めから、同盟参加の手土産代わりにするつもりだったとしか思えない。

「どうせ、周りの首長たちに押し切られたんでしょう? 彼女が、そんなことに賛成するわけないもの。アスランが付いてるし、まだ当分は大丈夫だと思ってたんだけど……考え甘かったかな、私」
〔いや。それが、その――〕
 言葉を濁したサイは、思い切ったように告げた。
〔俺も政府に出入りできるわけじゃなくて、親父からの又聞きだから、詳しいところは分からないけど……アスラン・ザラは、今いないんだ〕
「えっ?」
〔何日か前、デュランダル議長に会ってくるって、プラントへ発ったきり。音沙汰無しらしい〕
「はあ!?」
 雇われボディガードが、お姫様を放ったらかして単独行動?
「なにそれ。こんなときに、カガリを独りにして行ったの? キサカさんたち、連合の動向調査で出払ってるんでしょう!?」
〔うん、まあ。自分がオーブにいても出来ることは無いから、って言ってたらしいけど〕
「出来ることは無いって……なにを、いまさら」

 プラントでなら、果たせる役割があるの?
 だったら、もっと早く故郷に帰ればよかったじゃない。ディアッカなんて銃殺刑覚悟で、責任を取りに戻ったのに。
 最初からアスランの存在が無かったら、お姫様を託す相手がいなければ――キサカさんだって世界情勢を探るにも、自ら出ずに部下を使うとか、とにかくカガリだけ四面楚歌の国に残して行ったりしないで、もっと他の手段を取っただろうに。

(うー、だめだめ。穿った見方をしちゃ! あのヒト生真面目だから、カガリの為になると思ってそうしたのよ、きっと。それで悪い方に転んだからって、彼を責めるのは……)

 良くない――と思うけど、やっぱり。

「カガリが折れるの、早かったはずだわ。当たり前みたいに傍にいた人が、いなくなった後って……脆いもの」
 こんな彼女が大変な時期に、遠くへ離れてしまうなんて。
 信頼しているからこその決断かもしれないが、いくらなんでもカガリを買いかぶりすぎだ。
 獅子の娘といったところで、まだ政治経験も浅い18歳の少女。戦後最大級に不安定な情勢下、支えてくれる手も無しに、いつまでも老獪な首長たちを押さえておけるはずがない。恋人が留まっていれば――それで万事が解決するとは思わないが、条約加盟はもう少し先延ばし、世話になった “ミネルバ” にだって騙し討ちのような目に遭わすことなく、礼を尽くして送り出せたろうに。
〔……アスランも、考えた末の行動だったとは思うけど〕
 思わずこぼした言葉が、誰の、いつのことを指しているか。敏感に察したらしい。
〔それから、カガリの憔悴に拍車がかかったことは確かだよ。執務量の問題じゃなくて――精神的に、彼の不在が堪えたんだろうな〕
 やや沈んだ声音で、サイは話し続ける。
〔今までは二人の仲に好意的だった人たちも。そんな彼女に同情するぶん、あいつは無責任だって呆れてるらしくて……なんかもう、ますます行政府には、アスランの居場所が無くなってる感じだ〕
 八方塞りというわけか。
 ……自業自得のような気もするけれど。
〔大西洋連邦からの圧力は強くなる一方で、首長たちも臆病風に吹かれてるから。同盟締結に反対するカガリを責めたらしいんだ。ウズミ様のように、また国を焼くつもりか――って〕
「だからって連合側についても、安全が保障されるわけないじゃない! あんな、簡単に味方を捨て駒にするような組織っ」
 かつて理不尽な大儀を掲げ、オーブへ攻め入った連合軍と手を組む?
 アラスカ、JOSH-Aで。
 彼らが味方にした仕打ちを、一般市民はいざ知らず、政府のお偉方が聞き及んでいないはずがないのに。
〔そうだけど。孤立無援の状況で言われちゃうと、もう反論のしようがなかったんだと思うよ。二年前と同じ選択をすれば、大西洋連邦を敵に回すことになるのは間違いないから〕

 “知っている” と “理解する” は、似て非なるもの。
 どんな悲惨な過去も……身を以って体験するまで、矛先が自分へ向くまでは、他人の辛い思い出に過ぎない。

〔いくら彼女がウズミ様の後継者でも、他の首長全員にそっぽ向かれたんじゃ、どうしようもない――親父も心配してたけど。政府高官とはいえ、しょせん中間管理職だからね〕
 サイの父親は、オーブの経済文化局で責任者を務めている。三十年後の彼はこんなふうだろうなあと思わせる、ロマンスグレーのおじ様だ。
〔そのうえセイラン家が、ここぞとばかり好き勝手やってて。ユウナ・ロマは、また彼女に結婚を迫ってるらしいし……〕
 嫌な名前を耳にして、ミリアリアは肩を落とす。
「ウズミ様を悪く言いたくはないけど、なんだってカガリに婚約者なんか作ったのかしら?」
 良家の子息には当然なのかもしれないが、自分みたいな一般人から見れば、結婚相手も自由に選べないなんて迷惑な話だ。

 俗に “親が勝手に決めた許婚” というヤツが、彼女にもいるんだと知ったのは戦後しばらく経ってから。
 お互いに恋愛感情は無いらしく、ウズミ様が生きていれば娘とアスランの関係を知って婚約解消に動いてくれたかもしれないけれど――オーブ政府内では最年少、立場の弱いカガリに、宰相の息子であるユウナ・ロマを拒否することは難しく。一度おそるおそる “婚約破棄” を申し出るも、冗談として片付けられてしまったとか。
 それも “獅子” の後ろ盾を失った自分ではセイラン家に相応しくないと遠慮するカガリを、亡きウズミ様に代わってオーブと姫を守りますからご安心ください、と宥め諭したんだとか、嘘臭い尾ひれを付けて。

〔男勝りな娘が行き遅れないように、嫁ぎ先を確保してたんだろうって見方が大半らしいよ。もちろん首長家同士の結束を強める側面もあるだろうけど、ウズミ様が亡くなった今となっては、真意は謎だね〕
 それにしても婿と義父の人間性問題はスルーか、ウズミ存命時は “良い人” だったのか?
 どうあれ今となっては、彼女を縛るタチの悪いしがらみに過ぎず。
 カガリに想い人がいることを知りながら (政府内では公然の秘密状態らしい) 故人との約束を笠に着て、婚姻を強要するなんて――政略結婚どころか、アスハ家乗っ取り吸収の企みさえ透けて見えるようだ。
〔こればっかりは、カガリが同意しなきゃ成立しないことだから……そうそう思惑どおりにはいかないと思うけど〕

 早いとこ、アスランが戻って来てくれればいいんだけどな、と。
 溜息をついた、サイは電話を切る間際つぶやいた。

〔なんかストレス感じるよな――こういう状況って〕
 珍しく、愚痴るような声だった。
〔アークエンジェルで戦っていた昔の方が、ある意味充実していた気がする。必死だったって言うかさ〕
「……私も」
 彼もまた、焦燥にも似た感情を抱えているんだと思うと、ちょっと安心した。
「でもね、師匠に窘められたの。選んだ道を放り出して、安易な方向に流されたら、これまで積み上げてきた全てを失うって」
〔…………そうだな〕
「現実逃避したってしょうがないもんね。だから私も今できることを、するから。サイは、大学の勉強がんばってよ」
 半分は、自分に言い聞かせているようなものだ。
 世界に流されようとしている、祖国を止められぬ無力さ加減は、ミリアリアも、サイも――アスランも変わらない。
「カガリの護衛さんが頼りにならないなら、なおさらサイに、オーブ政府に入ってもらわなくちゃね」
〔何年かかるやら、って話だな〕
「いいのよ。物事は、思いどおりに進まなくて当たり前なんだから……本当の意味でなにかを成し遂げられるのは、それを解ったうえで地道な努力を続けられる人間だけ、って。これも師匠の受け売りだけど」
〔コダックさんか――〕
 自棄気味だったサイの口調が、ゆっくりと懐かしむような響きに変わった。
 以前、言われたことを思い出したのかもしれない。

“あんたらが生きとるのは、そう望む人間がいたからだ。そのことを忘れなさんな”

 生きていれば出来ることはある。未来は、そうして足掻いた結果の積み重ねだ。
〔ああいう大人になりたいな、俺……二十年後くらいにはさ〕
「うん、私も」
 サイは、あんな癇癪持ちのおじいさんにはならないと思うけどね。
 師匠の耳に入れば後頭部をはたかれそうなことを考えて、ミリアリアは、ふふっと笑った。
「じゃ、そろそろ切るね」
〔あ――あのさ、ミリィ!〕
 受話器を置こうとするミリアリアを、サイは慌てて呼び止めた。
〔言いにくいん、だけど……ユニウスセブンが落ちたとき、オーブも海岸付近をやられたんだよ〕
 ひどく歯切れ悪く。なにを言い淀んでいるかは、すぐにピンと来た。
〔でさ、その……トールの島なんだけど〕
「知ってる」
〔え?〕
「ヘリで、各地の被害状況を撮影しに行ったとき、見たの」
 ホントに気配り上手な人だ。けど、あんまり度が過ぎると、将来ハゲてしまうんじゃないだろうか? さすがに、そんなところがコダックに似ても嬉しくないだろう。
〔…………〕
 ミリアリアは、あえてキッパリと答えた。
「トールは海に還っただけだもん――思い出は、お墓が無くなったくらいで消えたりしないし」
 私が生きていることが、彼が守ってくれた証。
「来年もまたクルーザーに乗って、あの海に行くわ」
〔……そっか〕
 サイは、ホッとしたようだった。
〔今度は俺も、一緒に行けるといいんだけどな。四月って、必修科目でスケジュール埋まってるし……夏期休暇の初日に行ったら、もう暑くて参ったよ〕
「卒業したら、ね。学業優先で頑張って、法学部生さん」
 サイは現在、本土の一流大学に通っている――いずれは祖国の官僚となって “平和の国” を守るために。
「それじゃ」
〔ああ、また連絡くれよな〕
 短い挨拶を交わして、ミリアリアは通話を切った。



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2011年現在、映画化の話もすっかり立ち消えになったようで、公式にサイのその後が描かれることはなさそう。まだDESTINY放映中に、漠然としたイメージから 『政治家志望の法学部生』 と設定したけれど、後々公式と設定が食い違って困るかも……なんて杞憂に過ぎませんでした(汗)