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■ 世界が終わるとき 〔2〕 挿絵
翌日、ホテルの中庭。
「あんたのこと、嫌いじゃないわ」
木陰のベンチに並んで腰掛け、ミリアリアは告げた。
「いろいろ、助けてくれたことは感謝してるし……好きか嫌いか、どっちだって訊かれたら、好きなんだと思う」
ゆっくり一言ずつ、区切るように。
「でも私は、トールのこと忘れられない。新しい恋人なんかいらない」
それが正直な気持ちだった。
「もしも、今――彼が生きて帰ってきたら、なんの迷いもなくトールを選ぶもの」
死に様は、アラスカで生還したキラに聞いた。
スカイグラスパーが散ったという島に、花を供えもした。
だから、生きているかもしれないという希望は、もう何処にもない。それでも――世界で一番、誰が好きかと訊かれたら、トールだと即答できる。
ごめんねと、謝ることは侮辱に等しいだろう。
相手の想いを受け入れる義務など、ミリアリアには無い。
ディアッカもまた、安っぽい妥協を望むような、矜持の低い男ではないはずだ。
「……わかってる」
つぶやく男の声に、失望や動揺の色は無かった。
「ただ、しばらく会えなくなりそうだからな。その前に言っておきたかっただけだ」
カラ元気という感じではなく、むしろ嬉しげな反応が不可解で。
けむに巻かれたような気分で、まじまじと、嫌味なほど整った横顔を眺めていると、
「周りの連中に、口止めしといた所為もあるだろうけどさ。おまえ、まるっきり気づいてなかったろ? 俺の気持ち」
ディアッカは、苦笑まじりに指摘した。
事実そうだったので、ミリアリアは素直に肯く。
「今のおまえに、そんな余裕が無いのは分かってる――だから、待つよ」
この話はこれで終わりと思ったところに、あまりにサラッと言われたので、一瞬なんのことだか分からなかった。
「三年でも十年でも、待ってっから」
意味を悟り、絶句するミリアリアを尻目に、
「トールのことも、なにも忘れる必要なんかない。けど、いつか……人生のパートナーってヤツ、探す気になったら」
半年前まで敵だった、ひとつ年上のコーディネイターの少年は、
「そのときは、俺を選んで」
それまでにもっとイイ男になっとくからさと、双眸を細め、やわらかく笑った。
――記憶の内から覚めてみれば、シェルターの揺れは、ますます激しくなってきていた。
間違いなく、市街の何箇所かは隕石にやられているだろう。もはや物理的に、仕事ができる状態ではなくなり、誰もが壁際のハンドレールにしがみついて己の身体を支えている。
ミリアリアもバッグを小脇に抱え、手すりを握りしめていた。
中身は、小型カメラにノートPC。取材用の小道具と、携帯食料。それから……使い勝手の悪いファスナー付きポケットに、箱に納められたままのネックレスがひとつ。
小粒のアメジストに、銀鎖――あの日、シャトル出発の直前に渡されたものだった。
『一ヶ月遅れになっちまったけど、誕生日プレゼント。気に入らなかったら、海にでも捨ててくれていいから』
別れ際、小さな箱を押しつけるように手渡して、ディアッカは走り去っていった。
当惑して呼び止めたもののミリアリアの足では追いつけず、シャトルの搭乗時刻も迫っており、その場での返却は叶わなかった。
ギャラリーにせっつかれ包みを開けてみれば、シンプルなデザインの、いかにも高そうなアクセサリ。
『 “アルアンジェ” の一点ものですわね。プラントで一番人気のジュエリーデザイナーで……ハンドメイドを信条とする気難しい女性ですから、直に依頼して半年は待たないと、手に入らないと言われていますの』
さすがアイドルというべきか――こういった物には詳しいようで、にこにこと解説するラクス。
『あなたに渡したくて、頑張られたのですね。ディアッカさん』
ミリアリアは、困り果てた。
二月生まれの自分にとって、アメジストは誕生石。贈り物として不自然ではないが、紫黒の色合いは……図ったようにディアッカの瞳と同じ色彩で。
捨てるに捨てれず、かといって身につけることも憚られる。
されどプラント行きシャトルの便は数少なく、チケット代は、今の給料一ヶ月ぶんが飛んでしまう金額で。送り返そうにも郵便事故が心配だ。
しかも唯一、プラントに行きやすい立場の友人・カガリは、ディアッカの後押しをしたいらしく請け負ってくれない――八方塞がりでもたもたしていたら、ミリアリア自身が、滅多に知人に会わない生活を送るようになってしまった。
……いつか直接、会う機会があったら返そう。
そう決めて、バックに入れ持ち歩いているうちに、“心の平和” を意味する宝石は、いつしかお守りに等しい存在にもなり。
そのうち、あの頃の感情は気の迷いだったと――プラントで美人の彼女とよろしくやっているという噂でも、人伝に聞かされるだろうと考えていたミリアリアは、月日が経つほど認識を改めざるを得なくなっていった。
地球〜プラント間を私用で行き来することこそ、さすがに難しいようだが、電話やメールにアナログな手紙と、あらゆる手段を駆使して連絡を欠かさず、こちらの近況を聞きたがる……ディアッカは、呆れるほどマメだった。
本当に、なにが彼をこうまでさせるんだろう?
傍から見れば、あまりにも報われない境遇だろうに。
こうして、死ぬかもしれない危機にさらされて、ディアッカのことを思い出してみても。
胸を満たすのは “逢いたい” だとか、 “助けに来て” なんて甘い感情ではなく……ただ、あいつに馬鹿にされるような、みっともない死に方だけはするもんかという意地めいたもの。
こんな、あやふやな感情に付けるべき名前を、ミリアリアは知らない。
トールに感じていた恋心とは、明らかに異なる。友情かと訊かれれば、それもなんだか違うような気がする。
生きていたら。
また会えたら――なにか変わるときが、来るだろうか?
×××××
ディアッカは、地球に向かっていた。
眼下に広がる火災、えぐれた大地、瓦礫の砂漠――ユニウスセブンが齎した災厄は、血のバレンタインにも匹敵する地獄絵図を生み出していた。
さっきから、コールアラームが鳴り止まない。基地からの通信だろう。無許可で飛び出してきたのだから当然だが、戻る気はない。いちいち構ってられるか。
ミリアリアは、スカンジナビア王国のTV局本社にいるはずだ。
連絡先アドレスを端末に入力し、表示されたナビに従っていくと、それらしい建物が見えてきた。屋上にアンテナ塔を設えた高層ビルは、真ん中あたりからへし折れている……嫌な予感に、どくどくと震えだす心臓を、ディアッカは軍服の上から押さえつけた。
ああいった施設には、必ずシェルターが併設されているはずだ。
(ビルが壊れたからって、簡単には――)
飛行高度を下げるにつれ、モニターに映る一帯の様子が鮮明になっていき、倒壊したビルの傍に、避難民と思しき集団を見つけた。
(無事でいてくれよ……!)
モビルスーツで近づけば騒ぎになるだろうと、かなり手前で “ガナー” を降り、目的地へとひた走る。
しかし、身を寄せ合うように固まっていた男女は、
「きゃああああッ!」
「ざ、ザフト――」
「なんなんだよ、今度はぁ!?」
ディアッカに気づくなり悲鳴を上げ。母親らしい女性に抱かれていた子供が、火がついたように泣きだした。
「動くな!」
女子供を庇うように、壮年の男が拳銃をかまえる。
「ま、待ってくれ!」
あからさまな敵意を浴び、ディアッカはうろたえた。
これはコーディネイターが引き起こした惨事。だから恨まれて当然……だが、なぜザフトの人間とバレたのだ?
真っ先に、そんな阿呆なことを考え、思った以上に俺は錯乱しているようだと失笑する。どうしてもクソも軍服を着ていれば一目瞭然だ。
(――って、なんで赤服なんだ?)
自分の格好を検めたディアッカは、はたと首をひねった。
破砕活動を終わらせ、けれど成功とは言い難い結果になり、居ても立ってもいられずここまで来た。着替えている余裕なんぞなかったし、そもそも赤服は返上したはずなのに、なんだって俺はこんな格好でいるんだろう?
「? ??」
基地を飛び出す前のことを考えてみたが、なにも思い出せなった。
(ええい! どうでもいいんだよ、そんなことはっ)
脱線していた思考を引き戻す。
この場では、赤も緑も大差ない。とにかく警戒を解いて、彼女の安否を訊ねなければ――
「驚かせて申し訳ありません。あなた方に、危害を加えに来たわけじゃない……ただ、知り合いが無事か確かめたいんです」
害意がないと示すため、両手を挙げ、なるべく丁寧な口調を心がける。
「知り合いだと?」
「ええ。ミリアリア・ハウという子を、知りませんか? ここで、カメラマンの助手をしているはずで――」
「ミリアリア?」
近くでうずくまっていた小柄な女が、ゆらりと立ち上がった。
「……ええ……いたわよ」
会社のモノらしい、これといった特徴のない紺の制服姿。幽鬼めいて虚ろだった、その顔が、
「今朝まで、元気に仕事してたわよ!」
ディアッカと視線が絡むなり、ギッと悪鬼のそれに豹変する。
「なにが危害を加えに来たんじゃない、よ――あんたたちが殺したくせに!」
ころし……た?
「あんなもの落として、あたしたちの街も、友達もっ! なにもかも全部ぶち壊したくせに!!」
泣き叫ぶ女の視線の先には、青いシートが数枚広げられていた。かすかに人間を形どる、それは――ディアッカには、珍しくもなんともないない代物。
戦場の日常だ。
「ザフトの人間がっ……コーディネイターが! どのツラさげて、ここに来たのよ!?」
怒りに満ちた女の形相が、示唆する現実。
辛うじて冷静さを保つ、意識の奥まった部分が、がんがんと警鐘を鳴らしてきた。近づくな、見るんじゃない――
「…………」
けれどディアッカの足は、無意識にシートの列へ向かっていた。
そのうちひとつから、見覚えある色合いの栗毛がのぞいている。
「おい……」
ふらふらと歩み寄り、傍らに跪く。
早鐘のように脈打つ心臓は、ここから逃げ出したいと叫ぶのに、それを無視して勝手にシートをめくる右手。
彼女は、そこにいた。
最後に話した――ケンカした日に見たのと同じ服装だ。けれど、ジャケットもジーンズもボロボロに焼け焦げ、手足は奇妙にねじくれている。
頭から流れ出している血は、致死量を完全に越えていて。
「ミリアリア……」
頬に触れる。からみつく、ぬるりとした液体。金臭い匂い。
抱き起こした身体は、かたく冷え切っていた。この感触を、自分は知っている。いつだったか――ずっと閉じ込められていた、鉄格子の独房よりもなお冷たい。
「なぁ……嘘、だろ?」
答える者はいない。浅葱の瞳が自分を捉えることは、二度と無い。ただでさえ滅多に見られなかった笑顔は、彼女の魂は、永遠に手の届かないところへ逝ってしまった。
医者の息子。
死線を潜り抜けてきた軍人。
だから、嫌というほど知っている――人間の命が、どれほど容易く失われるものかを。
「ミリアリアに触るな!」
呆然と、亡骸を抱いてへたり込んでいたディアッカは、
(だれ、だ……?)
怒気もあらわな糾弾に、ゆるゆると顔を上げた。
白銀の光が、まず視界を過ぎった。ナイフだ。暗がりで、相手の顔はよく見えない。ただ、自分とそう変わらぬ年代の男で、地球軍の制服を着ていることだけは判った。
「この――人殺しがッ!!」
男が、刃物を振りかざす。医務室での出来事が、走馬灯のように脳裏を過ぎり。
どうせなら彼女に殺されたかったと、動かぬミリアリアを掻き抱き……鈍い衝撃とともに、ディアッカは意識を失った。
「う、わああぁああっ!?」
ガターンッ! ガン!!
どさっ…… ずるずるずるずる……ばさり。
(――あ?)
くぐもった絶叫。
物騒な物音と地響きに、ディアッカの意識は覚醒した。
目を開けようともがけば身体のあちこちに鈍痛が奔った。速い動悸。荒れた呼吸。周辺はそれなりに明るいようだが、なにも見えない。
上手く働かない頭で、俺は死んだんだろうかと考え。どうして死んだなどと思うのだろうと、またボーッと記憶を辿る。
(……てーか……ここ、どこだ?)
全身にからみついている、薄っぺらい物体がジャマなんだと気づき、足で蹴たぐりながら身を起こす。体臭が染みついた、軍の支給品でもある――布の正体は、ただのケットタオルだった。
(……あれ?)
自分の格好を確かめる。汗だくで、纏わりつくシャツが鬱陶しいが、血色の軍服などではない。
「ゆ、め……?」
ちちちち、と。鳥のさえずりが、遠く聴こえる。
窓の外には倉庫街。パソコンデスクに、専門書を並べた本棚。小型テレビ。ハンガーにかけた軍服。置時計は、早朝五時を回ったところ……ここは寮の、自室だ。
ディアッカは、片手にケットタオルを掴んで、ベッドから転がり落ちていた。身体が痛いのは床にぶつけた衝撃のせいで、頭が重いのは夢見が悪かったからだ。
溜息が落ちた。
俺は、あのあと地球に降りちゃいない、ミリアリアの生死も判ってない――それらを自分に言い聞かせながら、スタンド脇にあるリモコンを操作し、テレビの電源を入れる。
画面いっぱいの砂嵐。昨夜と同じだ。
五日前までは、地球の――ミリアリアがキャスターとして出ている、ニュース番組が放送されていたチャンネル。ユニウスセブン落下の直後から電波障害がひどく、受信システムは未だ回復していない。
(また、か……)
あの日、破砕活動から戻るや否やテレビにかじりつき、しばらく向こうの電波は拾えないと判ると、観測機関が発表した被災地の情報を血眼になって調べた。
けれど、なにも突き止められずに。用もなく格納庫をうろつき、誰かの不手際を見つけては叱責、カリカリしているディアッカを、居合わせた整備士たちは胡乱げに眺めていた。
それから毎晩、うなされて飛び起きるようになった。
舞台や展開に多少の差はあるが、内容と結末は変わらない。ザフト艦が、バスターの砲弾が――あるいは自分の手で、彼女を殺してしまう。
残されるのは冷たさ、恐怖と。目覚めたときの半端な安堵感だけで。
夢の残滓を洗い流そうと、だるい身体を引きずりバスルームへ向かう。その程度で解放される枷ではないことを知りながら。
意識せず、自嘲気味の笑みが口元に浮かぶ。
(あー……前にも、こんなふうに毎晩うなされてた時期が、あったっけな……)
回想編ディアッカの台詞が、どうにも青臭いので、後から見返すとむず痒くなります(汗) がむしゃらだった17歳当時ゆえの勢いだなーと……2年後なら、同じ状況に置かれても 「ご指名よろしく」 とか、もうちょっと斜にかまえた物言いをしそうだ。