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■ 二人だけの戦争 〔2〕
ゆらりと、少女が動く気配がした。
捕虜のコーディネイターに脅されたとかなんとか、カレシのところへ泣きつきに行くんだろう。さっさとそうしてくれ。俺は今から、夜に備えて一眠りするんだよ――
そんなことを考えながら、睡魔に身を委ねようとしていたディアッカは、ふと感じた寒気に目を開け、
「あ!?」
状況を、理解するよりも。
引き裂かれた悲鳴のような雄叫びが、誰のものかを悟るよりも早く跳ね起きていた。
空気を切る音が奔り、さっきまで自分の心臓が位置していたシーツに、なんら躊躇わぬ勢いでナイフが突き立てられる。
「なにすんだよ、こいつ!」
反射的に避けたはいいが、後ろは壁だ。押しよせる驚愕と動揺に、とっさには次の行動がとれない。
「はあッ……ぁ」
ナイフを握りしめたまま、両肩で息をしていた少女の眼が、ぎらりとディアッカを捉えた。
空や海に似ていたはずの虹彩は、今や絶対零度の氷でしかなく――その奥で沸騰している圧倒的な、怒りと憎悪。
「ぅ、うわぁあぁあっ!!」
わめき散らし、再び襲いかかってきた少女を捻じ伏せようにも両手が使えない。さすがに、この状態で拘束具を外せる器用さはなかった。
揉みあうようにしてベッドから転げ落ち、背中から床へ叩きつけられる。
「……っ!?」
カーテンが引き千切れ、なにか割れる音が連鎖した。
なおも馬乗りに、がむしゃらに刃を振りかぶる相手に反撃を加えようとして、ディアッカは一瞬ためらう――こんな華奢なナチュラルの女、
(俺が、本気で蹴り入れたら……内臓破裂を起こして死んじまう)
それがどうした?
どうせ今夜には破壊する “足つき” のクルー。艦ごと吹っ飛んで、終わりじゃないか。
「ミリアリア!?」
迷いが消え失せる寸前、騒ぎに気づいたか、医務室に駆け込んできた男が力ずくで少女を引き剥がし。
追って現れた、赤毛の女がギョッと立ち竦む。
「放してっ!」
「落ち着くんだ、ミリィ!!」
叱咤する、そいつはオレンジの色眼鏡をかけていた。あのとき彼女と一緒にいた奴だ――が、頼りのカレシが来たはずなのに、
「トールが、トールがいないのに……!」
羽交い絞めにされた少女はもがき暴れ狂いながら、床に倒れたままのディアッカを睨み据え、金切り声で叫んだ。
「なんで、こんなヤツ――こんなヤツがここにいるのよっ!?」
罵倒を浴び、混乱していた心がギシリと軋む。
さっきまで怯えるばかりで身動きも取れずにいた女が、何故いきなり、こうまで豹変したのか――さっぱり理解できない。ただ自分が不用意に、触れてはマズイ部分を刺激してしまったんだろうということだけは、おぼろげに分かった。
「なんで……?」
烈火のようだった剣幕が急速に萎え、細い指先から刃物がすべり落ち、乾いた音をたて床に転がる。
「トールがいないのに、どうして――」
怒気が霧散したあと、浅葱の瞳を浸した色は絶望だった。
“どうして、私は生きてるの……”
消え入るような呟きは、コーディネイターの聴力でなければ聞き取れなかったかもしれない。
「……ミリィ」
へたり込んで泣きじゃくる少女に、メガネの男が、ぎこちなく伸ばした手は。
触れることを憚るように、途中でだらりと垂れ――そのまま固く握りしめられる。うつむいた表情は、悔恨の念に翳っていた。
(こいつら……)
今の反応はおかしい。目の前でカノジョが取り乱していたら、抱きしめるくらいして宥めるのが普通だろう。
(…………カレシじゃ、ない……?)
そうだ。
かなり親しげではあるが、男のそれは恋人の態度じゃない――だとしたら、さっきの――トールというのは、まさか。
豹変の “引き金” に思い至り、ディアッカは、呆然と少女を見つめる。
静まり返った室内に、途切れがちに漂っていた泣き声を、唐突にガチャリと遮る硬質の音。
「フレイ!?」
振り向いた男の、顔色が変わった。
赤毛の女が、いつの間にか拳銃をかまえ立っていたのだ。危なげない手つきで、銃口は、ディアッカの左胸に定められている。
「コーディネイターなんて……」
放たれる、殺意。
怨嗟に歪んだ艶のある美貌は、背筋が総毛立つほど禍々しく、異様で。
「みんな死んじゃえばいいのよぉッ!!」
トリガーに掛けられた指に、ぐっと力がこもる。この至近距離じゃ避けられない――たった数秒の時を、ひどく遅く感じた。
そうして銃声が、鼓膜を劈いた。
弾丸の軌跡は、後ろから飛び出してきた影に遮られた。
「!?」
バン、と破裂音をたて、頭上から降りそそいだガラスの破片に目を瞑り。金属質の騒音が静まってから、ぎくしゃくと顔を上げる。
痛みはない。撃たれたはずだ、俺は――それが、なんで?
(…………え……?)
ディアッカは我が目を疑った。
少女が二人、扉の手前に折り重なるようにして倒れていた。
天井のライトが割れている。あちこちに飛び散っているガラスは、その欠片だ。
少し離れた床に転がっている拳銃を、恐々と拾い上げたメガネの男もまた、困惑気味に彼女たちを見つめている。
「なにするのよ、なんで邪魔するの!?」
先に身を起こした赤毛が、
「自分だって殺そうとしてたじゃない! あんただって憎いんでしょう!? こいつが――」
栗毛の少女を睨み、至極当然な憤りをぶつける。
「トールを殺したコーディネイターがっ!!」
邪魔した? トール?
あいつに庇われた……? 馬鹿な。
赤毛の女に、ためらいは無かった――そんなところに割って入れば、下手すりゃ自分が撃たれて死んでたんだぞ!?
「なによ……あんただって同じじゃない」
そう。ついさっきまで俺を殺そうとしていたんだ、あいつも。
揉みあったとき、ナイフが頭に掠っていたらしい。いつの間にかぬるぬるした血が、ひたいから頬へ流れ落ちていた。
それを拭うことも忘れ、ディアッカは、未だ泣きじゃくっている少女を凝視する――ここからじゃ背中しか見えない。
頼むから、なんとか言えよ。なに考えてんだよ? 俺だって訳わかんねーよ!!
「あんただって、私と同じじゃない!!」
「違う、私……違う……!」
かぶりを振りながら、のろのろと身を起こした彼女の表情は、やはりディアッカには窺い知れず。
「許せないけど、でも! みんな死んじゃえばなんて――そうじゃなくて、フレイだって本当は、お父さんだけじゃなくて――」
掠れがちな涙声に、さっきまでの狂乱や絶望の響きは無かった。
「悲しいんでしょう!? キラが、死んじゃったことが!」
「…………ち……」
赤毛の表情に、さっと怯えが走る。
「違うわよ! なによ、それ!? 私は、コーディネイターなんか――キラのことなんかっ!!」
「フレイ……」
物言いたげに、歩み寄ろうとするメガネの男を前にして、
「ちが……う……」
女は、がたがた震えだした。両手で頭を抱え、ありとあらゆるものを拒否するかのごとく絶叫する。
「ちがう、違う違う、ちがうぅ――っ!!」
栗毛の少女は、応じてなにか呟いたようだった。
「…………」
だが、か細い声は、競うように駆けつけてきた兵士の足音に掻き消され――ディアッカは、抵抗する間もなく医務室から引きずり出された。
四方から銃を突きつけられ、引っ立てられながら、
「なんなんだよ、あいつら? いきなりナイフ振り回すわ、拳銃ぶっ放すわ……いくらなんでも無茶苦茶だぜ、ここの管理体制は!」
ディアッカは、内心の動揺を紛らわすように、ひたすら毒づいていた。
それぞれ父親と恋人を、コーディネイターの手で――おそらくザフトによって殺された少女たち。赤毛の、フレイとか呼ばれていた方はともかく、
(……ミリアリア、だっけか)
知らなかったとはいえ、彼女を刺激――なにより “トール” を侮辱したのはまずかったと思うが。
そもそも問題は、捕虜が一人でいる部屋に、あんな少女を自由に出入りさせたことだろう。ここは曲がりなりにも軍艦、敵兵に恨みを持つ人間など掃いて捨てるほどいるはずだ……プラントと同じように。
(それとも、あれが “処遇” だったってのかよ?)
ザフト兵を私刑にするつもりで彼女たちを送り込んだなら、悪趣味の極みだ。
「いったい、どーいう教育してんの。地球軍はさぁ!?」
周りを固めている兵士たちは、仏頂面をピクリともさせない。代わりに、先導していた士官服の男が口を開いた。
「あの子たちは、まだ入隊して三ヶ月も経っていない」
20代半ばだろうか? 短髪、中背。
理知的な、ナチュラルにしては整った面差しをしている。どこかで見たような――ああ、確か拘束された日、キレかけた “サイ” を止めた奴だ。
ノイマン少尉と呼び指示を仰ぐ、兵士連中の態度からして、責任者に近い立場であるらしい。
「軍事教育など受けさせる余裕もなかった。ヘリオポリスの工科カレッジに通う、ただの学生だったんだからな」
淡々と告げられた事実に、ディアッカは眉をしかめた。
(ヘリオポリス?)
ザフト侵攻のとばっちりを受け壊滅した、オーブの宇宙コロニー。あれは、ザフトにとっても不本意な戦禍だった―― “G”さえ奪えれば良かったものを。
「この艦に保護されて、それから志願兵となったが」
「……ふん。だったら適当なところで降りりゃよかったじゃねーか。軍に入ったんなら、中立国出身だろうがなんだろうが同じこった」
やや怯まされたものの、その感傷とて、ディアッカの根幹を揺らがすには至らない。
地球軍への志願は、ユニウスセブンを撃った連中への賛意と同義――どんな経歴を辿っていようとそいつは敵だ。
「降りる?」
士官は言葉に詰まるどころか、皮肉った笑みを返した。
「……降りれば死んでいたのに、か?」
「え?」
「同じように保護されていた――降りようとした民間人は、全員死んだよ。おまえのお仲間、デュエルに避難用シャトルを撃ち墜とされてな」
なんの言いがかりだという不審が、まず最初に頭をもたげ、
(…………あ……れが?)
第八艦隊との交戦時。
ディアッカ自身は、メビウス “ゼロ” ――有線式ガンバレルを装備した、厄介なモビルアーマーに手こずっており、前後の経緯は見ていなかったが、
“よくも、邪魔を……逃げ出した腰抜け兵がッ!!”
通信回線から聞こえたイザークの罵声に、ほんの一瞬、気を取られ――宙域を漂っていたシャトルを、デュエルが撃ち墜とす瞬間を見たことを思い出す。
そのときは、いちいちそんなモンに構うなよ、相手は “ストライク” だろ、としか思わなかったが。
「狙いは、第八艦隊とアークエンジェルだったはずだろう? 救命艇を撃つ必要がどこにあった!? まだ5歳の、小さな女の子も乗っていたのに――」
士官は、必死で自分を落ち着かせようとしているようだった。
「“血のバレンタイン” については、確かに地球側に非がある。プラントが武器を取るのは無理もないだろう……だが」
けれど口調は、荒いだまま。
傍に控えた兵士たちも、無言の非難をディアッカに浴びせてくる。
「だからと言って、民間人を巻き添えにして傷つけることを正当化するなら――おまえたちもブルーコスモスと同じだ!」
糾弾は、容赦なく響いた。
史上最悪なロビィ団体と同レベルと断じられて。反論しようとするのに、言葉が浮かんでこない。
なぜ? 理論武装は得意分野だったはず。自分たちコーディネイターに、ザフトに、ナチュラルの軍人から責められる謂れなど無いはずだ。
否定しようと思うほど、逆に浮き彫りになっていく認識。
(俺たちが……?)
不本意だろうが、なんだろうが。ヘリオポリスを破壊して戦場に追いやり、“傘” のアルテミス、そして第八艦隊――彼女たちが日常に戻るチャンスを、退路をことごとく潰してきたのは自分たちだ。
ごまかしようのない事実が、これまで不変だった、何者にも動じることなかった価値観を瓦解させてゆく。
ディアッカは、気づいてしまった。
認めざるを得なかった……プラントを守るためにと、なんの疑いもなく続けていた戦争が、その裏で。知らぬうちに、なにを焼き払ってきたかを。
天才操舵士ノイマンさんは、準責任者として、あれこれと面倒ごとを押し付けられていそうな、苦労人のイメージあり。あと、アズラエル登場時の反応からして、ブルーコスモスは嫌いっぽいですよね。