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■ 血に染まる海 〔1〕
どこまでも続く碧い海。
まるで夕立前のように、美しく凪いだダーダネルス海峡に、ぽつぽつと数を増やしていく黒い斑点。
向かうべき方角を確かめるため道すがら掲げた、望遠レンズがその全影を捉える。
ひとつは戦艦ミネルバ。
今やザフトの象徴と化した獲物を、牙をむいて待ち構える地球連合軍の、先陣は――見紛うはずも無い、オーブ艦隊だった。
(なんで……!)
鈍い衝撃と失望に、ミリアリアは唇を噛みしめる。
他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。
慣れ親しんだ故郷の理念が、なし崩しに壊れゆく様を、まさか――こんな場所で目撃するなんて。
スエズに増援。オーブが派兵。
あんな話、デマであってくれれば良かったのに。
ディオキア南部。街外れのカフェで落ち合った、記者から仕入れた情報は正確だった。
まず得たニュースが、祖国の海外派兵。
さらなる収穫は、ギルバート・デュランダルに対する認識を改められたことだった。
『プラントの現議長は、クライン派って訳じゃない。旧ザラ派に代表される強硬派や、ナチュラル排斥論者に該当しない政治家が、一括りに穏健派と言われているだけだ』
ざわめく店の片隅で、
『ラクス・クラインの印象も相俟って、平和の代名詞みたいになっちまってるから、政治に詳しくないヤツはごっちゃにしがちだが……そう呼ばれる連中は、考えも立ち居地もバラバラ。特にデュランダルは、政界でも中庸の存在だ』
同業者は、世間話でもするように語った。
『わざわざ事を荒立てはしないが、必要となれば躊躇わず武力行使に出る――特定の陣営に属してなかったからこそ、どっちからも文句が出にくいってんで、あの若さで議長に選ばれたんだからな。前大戦時は、まだ政治家になったばかりの青二才だったんだ。クライン親子と面識なんざない。あれば、あんな替え玉に頼りゃしないさ』
そうして、にやりと笑んだ。
『あの外ヅラ完璧なデュランダルを疑ってかかるたぁ、いい勘してるな、嬢ちゃん。ゲンさんが見込んだだけのことはあるぜ』
不信感は燻ったまま消えずにいるが、確証も無い。
まずは白黒ハッキリさせなくては。
彼がラクスを探している理由は、善意か否か。どちらであっても調べがつけば、キラたちに報せる必要があるだろう。
……その方法は? 駆け出しジャーナリスト風情に、なにが出来る?
戦禍の拡大を防ぐため、ただ流されるばかりの現状を打破するため。海沿いの道で出会った少年みたいに、辛い思いをする人々を、これ以上増やさないためには。
(たぶん、これが一番の手掛かりだわ)
私は、ミネルバを追おう。
デュランダル議長が、特別扱いしているという戦艦――きっと、なにか目的があるはずだ。燃え広がり始めた戦火に、今後どう対処していくつもりかも反映されるはず。
次々に飛び出してくる “ムラサメ” と “アストレイ” 。
対するミネルバから、二機のモビルスーツが姿を現した途端、オーブ艦隊のイーゲルシュテルンが火を噴いた。けれど、群成す連合艦に動きはない。
(オーブが、矢面に立たされてる……?)
大西洋連邦の圧力に抗し切れなかったとはいえ、プラントを敵に回したかった訳でもないだろうに――司令官は、なにをやっている!?
見ず知らずの相手を罵りながら。ミリアリアは、雑草生い茂る崖の中腹に伏せり、カメラをかまえた。
変形機能を有するインパルスに、紅のセイバー。
両機の凄まじい戦闘力を前に、アストレイ・ムラサメ隊は赤子も同然だった。あっけなく蹴散らされ、次々と黒海に墜落していく――そうして勢いに乗ったミネルバの艦主砲が、オーブ艦隊を薙ごうとした刹那。
閃光が、視界を灼いた。
爆風と衝撃に、反射的に目を瞑りながらも押したシャッターは、その瞬間を捉えていた。
蒼天から舞い降りてきたフリーダムが、砲口を狙い撃ったのだ。タンホイザー発射寸前だった艦先端部は、すさまじい爆音とともに損傷。ミネルバは黒煙を吹き上げながらも、どうにかブリッジなどへの誘爆は免れたようだった。
想定外の事態に全軍が動きを止める中、現れたアークエンジェルから飛び出してきた、淡紅色のモビルスーツ。
左肩には、獅子と白百合の紋章。
カガリだった。
彼女は名乗り、切々と訴えかけた。軍を退け――オーブの理念にそぐわぬ戦闘を停止しろ、と。
だが十数秒の沈黙後、空母タケミカズチは “ルージュ” を狙いミサイルを放った。そうなる可能性も見越していたんだろうか、フリーダムは難なくそれらを撃ち落とす。
よほど政治に無関心な民でなければ、元首の声は耳慣れたもの。フリーダムとアークエンジェルは、オーブにとって生きた伝説だ。カガリの呼びかけが届かなかったとは思えない。
しかし指揮官たちとて苦渋の選択だったろう。ここで彼女に従えば、即ち連合軍が敵となる。オーブは、再び戦火にさらされてしまう……二年前と同じように。
オーブ軍の動きに呼応して、ミネルバと連合側それぞれから、新たに三機のモビルスーツが射出された。
さらには地球軍の量産機 “ダガーL” と “ウィンダム” までも入り乱れ、しばらく混戦が続くかと思われたが――フリーダムは、両軍のエースであろう者たちをも圧倒していた。
こんな状況に割り込んで、どうする気? 浮かんだ疑問は、キラの戦法をカメラで追ううちに解けた。
コックピットを避け、相手の武装や機動力のみを削いでいく――今は説得が通じない、だから腕ずくで止めるつもりでいるのだ。
出来得るかぎり命を奪わぬように。
かつてアラスカに駆けつけた彼が、敵味方問わずそうしたように。
だが戦局を掻き回される側に、そんな意図が伝わるはずもなく。無差別攻撃を仕掛けてくるフリーダムに、全軍が戸惑い混乱しているようだった。
他方、カガリは、自国の軍に撃たれかけてもなお叫び続けていた。
彼女は滞空したまま動かない。動けない――ここで “ルージュ” が誰かを撃てば、オーブの立場をいっそう危うくするだけ。圧倒的な現実の前に、言葉はあまりにも無力だった。
……戦いは止まらない。
無防備な彼女を護るように、アークエンジェルから一機の “ムラサメ” が飛来する。派手なカラーリングで、搭乗者はバルトフェルドだろうと見当がついた。
戦闘停止を望むカガリの眼前で、無情にも。
オーブ沖では一騎当千の活躍をしたというインパルス、並びにネイビーブルーの機体が戦闘不能に陥り――黒い狼にも似たモビルスーツは前足を潰され、鮮やかなオレンジ色の “グフ” は両腕を斬り飛ばされた。
さらにセイバーへ向かおうとしたフリーダムに、バスターを連想させる重装備の連合機がビーム砲を撃ちかけ。
交戦しながら遠ざかっていく両者を追って、バーニアを噴かせたセイバーの背後を突き、黒い機影が襲いかかった。そこへ手負いの “グフ” が仲間を庇いに入る。体当たりを食わされた連合機は、すぐさま体勢をたて直し、横槍を入れた相手めがけ突撃―― “グフ” は攻撃を避けられず、爆散――そのままフリーダムを追撃するも、蹴り飛ばされて返り討ちに遭い、海に沈む寸前で僚機に拾われた。
形勢不利と判断したか、連合艦から帰還信号が打たれ。
青空に、火薬の花が咲く。
どのみち戦闘を続けられる状態になかった全軍は、重苦しい沈黙とともに引き上げて行き……ただ破壊の痕を残した戦いは、幕を閉じた。
×××××
「やれやれ、そう出たか――獅子の娘の気性を考えりゃ、無理もない話かもしれんが」
ダーダネルスでの一部始終をカメラに収め、いつの間にやら日も暮れて。
宿で合流したコダックは、弟子が撮った写真を眺め、前後がぐちゃぐちゃになった報告を受けてもほとんど動じなかった。
「ザフトと連合、オーブ軍にまでケンカ売るたぁ、お尋ねモノ確定だな」
相手に釣られ、ミリアリアの思考にも冷静さが戻る。
「……なんで、驚かないんですか?」
帰る道すがら、街はどこも大騒ぎ。昼間の戦闘に関する噂で持ち切りだったのに。
ニュースや事件にいちいち驚いていては身が持たないという、職業柄のドライさを考慮するにしても、あまりに落ち着きすぎだ。
「ターミナルに協力要請しとったんだ。オーブ派兵のニュースも当然、艦に届いていただろう――報されて、傍観を決め込むような連中じゃあるまい?」
訝しむ弟子を他所に、コダックは一人納得顔である。
「つくづく不器用なこった。まあ、半端に小賢しいヤツらよりは好感が持てるがな」
「ちょ、ちょっと師匠?」
ミリアリアは、わたわたと口を挟んだ。
「私、そんなこと聞いてませんよ? アークエンジェルから “ターミナル” に要請って、いつの話なんですか!?」
「代表かっ攫って逃げた数日後だが? ……なんだ、知らんかったのか」
皮肉っぽい返答にカチンときていると、
「おいおい、なんでワシが逐一教えてやらにゃならん? おまえさんが知っても知らんでも、連中の行動は変わりゃせんだろう。だいたい、ターミナルの最新情報は細めにチェックしろと言うとったろうが。気になるんなら、あらゆる手段駆使して自力で調べろ。ひよっこが」
さらに辛辣な説教文句が降ってきた。ミリアリアは、ぐうの音も出ずに黙る。
“ターミナル”とは、世界規模で広がる情報ネットワークの俗称だ。
多くのフリージャーナリストやカメラマンが利用し、入手したスクープを提供、あるいは必要とする者を相手に取引する。
地球・プラント・月――人間が存在する場所ならどこであれ “中継点” があり、寄せられた最新ニュースは “終着駅” に集約する。点ではない、細く強靭な線。それは地下水脈に似て、千年以上も昔から、たとえ一部が枯れ塞がれても絶えはしない。
全容はおろか中心すら不確かな、けれどそれは、組織に属することを良しとせぬ報道関係者にとって唯一最後の命綱といえるだろう。
コダックは、新たな街に立ち寄るたび、 “中継点” の場所をミリアリアに教えてきた。
それは寂れた喫茶店だったり、細々と金物屋を営む老人の店だったりと、まったく共通点がない。だからこそ、どんな時代でも潰えず繋がっていくんだと、師は語った。
弟子として同行するようになってから、ドッグタグ代わりに身につけておくよう渡された、白銀のプレートが “ターミナル” 通行証だと知ったのは、ごく最近のことだ。
「……で? ダーダネルスの戦闘は、痛み分けに終わったわけだが。これからどうする?」
「ミネルバの動向を追います」
問われたミリアリアは、即答した。
「それから。キラたちが、どういう経緯で今の状況に至ったか――きちんと知っておきたい。ターミナル経由で、連絡を取りたいと思います」
するとコダックは、ふんと頷いた。
「決めたんなら、さっさと行ってこい。車は要るか?」
「いえ、街で流れている噂も仕入れたいですから。中継点は市街にあるんだし、今回は歩いていきます」
首を横に振りつつ、思う。
好きにしろと言われたが……まだ自分は師の、手の平にいるんだろう。
彼が止めない。異を唱えないことに、選択が過ちでないと太鼓判を押されているようなものだ。しかし、いつまでもコダックの反応を目安に動いていては、早期独立など望めまい。
「いい心がけだ。情報は、まず足で稼げ」
いつもいつも余裕綽々で、おまえさんだの小娘だのとしか呼んでくれない、このカメラマンに――いつか絶対認められてみせると、ミリアリアは決意を新たにした。
原作重視と公式小説。流れが違う部分は、個人的に好みな方を尊重しております。だってTV版のハイネさんの死因、あまりにあんまりですよ……漂っていたら後ろからガイアにジャマとか言われて、ばさーって!(涙)