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■ 血に染まる海 〔2〕


 ……たとえば彼が、あそこで自分に気づかなかったら?
 もしくは自分が、呼び止める彼に気づかず通り過ぎていたら、どうなっていただろう。

「ミリアリア!?」

 不意に名指しで呼ばれたのは、雑踏を小走りに移動していたときだった。
 聞き覚えがあるような、しかし――これまで出会った同業者の誰かにしては、声が若すぎる。誰だろうと振り返れば、路肩に停まったオープンカーから身を乗り出した青年が、
「ミリアリア・ハウ……?」
 確かめるように呟きながら、胡散臭さ大爆発のサングラスを外した。
 青みを帯びた黒髪、ダークグリーンの双眸。はっと目を惹く整った顔立ちは、驚きを映してか――ほんの少し、幼く見える。
「……アスラン・ザラ?」
 こんな外国の市街地に、いるはずがない相手を前にして、ミリアリアは当惑のあまり立ち尽くした。

 後になって思えば、この邂逅こそが。
 自分が進むべき方向を見定めるための、決定打であったかもしれない。

×××××


 とにかく落ち着いて話せる場所へと、手近なカフェのテーブルに向かい合い。アスランがここに至るまでの諸事情を、順を追って聞いていたミリアリアは、
「あなたねぇ……いったい、どういうつもりなの。彼女を失脚させる気?」
 彼がムラサメ隊に撃墜されかけ、アレックス・ディノ――さらにカガリの名を出したくだりで、たまらず口を挟んだ。
「え?」
 鈍い反応。このヒト、本当に政治家の息子だったんだろうか?
「分からないの? ザフト機に乗って現れた相手が “ アスハ代表のボディーガード ” じゃ、なおのこと政府が入国許可を出すはずないでしょう」
 ずっとカガリの護衛を務めていながら、こんな問題にさえ頭が回らないなんて。
「ウズミ様は二年前、国営企業のモルゲンレーテが連合軍に協力していたってだけで、代表を退かなきゃいけなくなったのよ? 大西洋連邦の圧力に屈して、プラントとの友好関係も崩れかけているときに――カガリ・ユラ・アスハの恋人が、ザフト兵だなんて話が公にされてみなさい。獅子の娘だろうが何だろうが、間違いなく政界追放ね」
「あ……」
 指摘されて初めて気づいたらしい。アスランは、うろたえながら口ごもった。
「いや、そんなつもりは」
 他意が無いのは一目瞭然、だからこそタチが悪い。
 どこに属して何をしようと、他人が咎めだてることじゃない。オーブを出て、プラント側から平和を模索する道もあるだろう。
 けれど話を聞くかぎり、立場を捨てる覚悟も変えた自覚も無く、状況と衝動に流されてきたとしか思えない。

 代表拉致やアスラン絡みの騒動が対外的に伏せられているところを見ると、カガリを蔑ろにしてきた現オーブ政府にとっても、まだ “獅子の娘” は失えぬ存在であるようだが――

「……で、それから?」
 先を促しながら、口へ運んだコーヒーはもう、ぬるくなっていて殊のほか不味かった。
「その場を逃れて、ミネルバに合流して」
 弁明めいた話を要約すると――プラントへ行って議長の勧めに従い、復隊。与えられたモビルスーツで入国しようとしたオーブは、すでに大西洋連邦の同盟国となっており、カガリは結婚式場から連れ去られた後だった。なんの情報も得られぬままミネルバに乗艦して、連合軍と戦いながらダーダネルスまで移動してみれば、フリーダムとアークエンジェルに乱入された。

(それじゃ、あのときカガリを攫ったパイロットは、キラだったのね……)

 奇妙な失望感に、思わず溜息が落ちた。
 心の支えだった恋人が、旅立ったきり音信不通になって。どんなに不安だったろう――彼女は。
 しかもオーブの特使として派遣されながら、相談どころか連絡ひとつも入れずにザフトに復帰してしまうなんて、無責任にも程がある。彼が発った後すぐという条約調印のタイミングも悪かったが――客観的に見れば二人は、もはや敵同士じゃないか。
 だが問題は、アスランよりも議長だ。カガリに断りひとつなく護衛をヘッドハンティング? アスハ代表への助力を惜しまないと言った割に、ずいぶん矛盾した行動ではないか。こうなると、あのときデュランダルが語った全て、もっともらしい建前に思えてくる。
「入港したディオキア基地では、議長と話を――」
 さらに続いた説明に、今度こそ、ミリアリアは警戒心を抱いた。
 アスランが母艦を離れて沿岸都市を巡っていた理由は、キラたちの居所を掴むため。議長と会談したおり話題に上がった、 “近隣都市に滞在しているであろう、かつてアークエンジェルの乗組員だったジャーナリスト” を探していたのだと。

「…………」

 元より、さほど親しくはないのだ。近況報告が終わってしまえば、これといって語ることも無く。
 彼が求めている手掛かりに関しては、こんな不特定多数が出入りする場所で、軽々しく口に出せない。
「あ。向こうでは、ディアッカにも会ったが――」
 沈黙に耐えかねてか、アスランは、おもむろに “共通の知人” の名を出してきた。
「……えぇ?」
 キラたちや議長の言動。加えて、予期せぬ人物の復隊。
 それらを踏まえ、これからどうすべきか必死で考え込んでいたところに、ぶつりと思考を断ち切られてしまい。なんとも表現しがたい不快感を覚えつつ顔を上げると、
「う」
 アスランは、うろたえ口を噤んで視線を逸らした。
 鏡を見ずとも想像がつく――きっと、ひどく険悪な目つきをしているだろう、今の自分は。

 零れる吐息は、止めようもなく。

 ……分かっている。この感情は、狭量にすぎない。
 顔見知り程度の相手といて、会話が途切れてしまったとき、“ 互いが知る第三者 ” に言及するのは自然な流れ。アスラン・ザラに他意はないのだ。
 いつだったか、ディアッカが評していた――優しい、真面目な。カガリも、きっと彼のそういうところが好きなんだろうし。
 だけどやっぱり、この人とだけは。恋だとか、そういうものに欠片でも、連なる話は出来ない。

 …………少なくとも、今は……まだ。

「そ、それはともかく、アークエンジェルだ」
 話題変更が得策と判断したらしい、アスランは、ぎくしゃくと本題を切り出した。
「あの艦がオーブを出たことは知っていたが、いったいなんでまた、こんなところで――あの介入のおかげで」
 ほんの一瞬、だが。
 荒いだ声音に含まれていた憤懣は、誰に対しての?
「…………だいぶ……その……」
 語尾は消え入り続かなかった、けれど。あのときミネルバに属して戦っていたなら、
「……混乱した?」
 圧倒的な “力” を以って、連合軍のみならずザフトまで戦闘不能に陥れた、キラたちを歓迎は出来なかっただろう。
「えっ?」
「知ってるわよ。ぜんぶ見てたもの、私も」
 ダーダネルス戦を記録した、真新しい写真の束を広げてみせれば。
 アスランは息を呑み、黙り込む。暗く翳った視線の先には、オレンジの “グフ” が胸部を貫かれ爆散する瞬間が写っていた。
「でも、アークエンジェルを探してどうするつもり?」
「話したいんだ。会って話したい――キラとも、カガリとも」
 即答した彼の、真摯な語調。それでも懸念は拭い切れず、ミリアリアは重ねて訊ねた。

「今はまた、ザフトのあなたが?」

 会って、話して。それからどうすると言うの? 世界に従うなら、もはやオーブの “敵” たる立場にありながら。
「それは……!」
 真意を探るため発した問いに、アスランは、ぐっと詰まった。
 それでも表情に含むものはない。焦燥や迷いに満ちていても、裏があるようには感じられない。
「…………いいわ、手が無いわけじゃない。あなた個人になら繋いであげる」
 ミリアリアは、最善と思われる判断を下す。
 言葉に込められた意味合いに気づく様子もなく、アスランは、ほっと肩の力を抜いた。

 本当に、ただキラたちに会いたいだけなんだろうし。
 誰から何を吹き込まれたとて、かつての仲間を窮地に追いやろうとはしないはず――それに復隊したとはいえ、二年前とは違うのだ。敵味方という概念に囚われて、ただ戦い続けることは無意味と知っている彼なら、プラント側から世界に働きかけられるかもしれない。

 問題は、ザフトを含むプラント上層部の真意が判らないこと。

 黒か白か。五分と考えていた確率は、どうやら黒の可能性が濃いようだ……とすれば、アスランは体よく利用されているということになる。アークエンジェルを釣り上げるための “撒き餌” として。
 逆に言えば、無自覚のまま人質にされているようなものだ。ぐずぐずと後手に回っていては、さらにややこしい事態に陥りかねない。
 どんなに考えを巡らせたところで、現実の選択肢は限られているんだから。

 カガリたちの事情については、ミリアリアも憶測を抱いているだけ。互いの疑問を解消するためにも、やはり直に会って話した方が良いだろう。
 どのみちアークエンジェルには、連絡を取るつもりだった。そこへアスランが加わっても、危険の度合いに大差あるまい。

 だが、そろそろ……自分一人の手には、負えない話になってきたようだ。



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険悪とまではいかないけれど、仲が良いわけではなく、無理に交流を図るつもりもなく。アスランの場合は負い目から。ミリアリアは、恨みつらみを表に出すほど子供じゃない、かといって全て割り切れるほど単純でもない。この両者は、そんなイメージ。