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■ 届かぬ想い


 アスランは、虚を突かれた様子で振り返る。ここへ来て初めて、まともに視線が絡んだ。

「理解は出来ても、納得出来ないこともある――俺にだって」

 一拍置いて返る答えも、苦りきった口調で。
 戦後ずっとカガリと同じ道を歩いていたはずの彼が、どうしてそんな結論に至るのか、さっぱり解らない。ただ、
「……そうね、それは私も同じだわ」
 歯止めが利かない感情は存在するのだ、確かに。
 どんなに短絡で理不尽に思えても、手近なものにぶつけずにはいられない。
 悪夢の日から二年が過ぎてもなお胸の内に巣食い、燻り続けていた、やるせなく淀んだ憎悪のように。
「!」
 アスランが、はっと息を呑む。
 こわばった表情を見ていたくなくて、見られるのも嫌で、ミリアリアは目を逸らした。
 彼が今なにを考えているにしろ腹立たしいことに違いないんだから、もう聞きたくない――カガリたちとの口論も、なにもかも。

 潮騒が流れてくる。
 あたりに満ちた気まずい空気を紛らわすように……場違いに、穏やかに。
 遠のいていく足音を、茜の空に消えゆく機影を追いもせず、ミリアリアはその場に突っ立っていた。

 綺麗な西陽が、やけに目に痛かった。



 ……仲介しない方が、よかったんだろうか?

でも、カガリは会いたがってると思ったのよ。


 カフェで話をしていたときも、彼は、あんなふうだった?

わからない     だって昔と比べられるほど、私はアスランを知らない。




「これ以上――どうしろっていうんだ? 私に」

 ぼんやり考え込んでいると、
「中立を貫くって言ったら、国が焼かれるって……大西洋連邦に従ったら、オーブが世界を焼くって……」
 とさっ、と微かな音が聴こえた。地面にくず折れたカガリが、泣き笑いめいた表情で “セイバー” が消えていった空を見上げていた。
「どっちも間違ってて、流されちゃダメだって思ったから、止めようとしたのに――それさえ “バカなこと” って」
 ぎり、と唇を噛みしめ、
「オーブに留まってどうにか出来るなら、とっくにやっているっ!!」
 振り上げた拳を岩に叩きつけようとした、彼女は、急に金縛りにでも遭ったように硬直した。細い指に、夕陽を反射して光るものがある……指輪だ。ハウメアに似た、小さな赤い石。

 あまり飾り気のないカガリが、左手、薬指に嵌めたリング――贈り主が誰であるかは、訊ねるまでもなかった。

「私一人では、どうにもならないから……」
 宙をさまよった腕がだらりと垂れ、うつむいた彼女は、虚ろな調子でつぶやいた。
「…………だから……」
 それきり放心したように、なにも言わない。潮風に弄ばれた金髪が頬をはたいても、微動だにしない。
「カガリ……」
 キラも、かける言葉が見つからないようだった。苦しげに顔をゆがめ、肩を落としている。

 もう放っておきなさいよ、あんな勝手なヤツ。
 命令口調であれこれ怒鳴られて、混乱したのはこっちだわ。
 ラクスは、オーブ領内で襲われたんだって。キラたちが、式場からカガリを連れて逃げたことも知ってるくせに、戻って条約破棄しろだなんて――馬鹿じゃないの、あの人? まるっきり現実が見えてない。
 そもそも戦犯扱いされてるザラ議長の息子なんて、国を治める立場のあなたには、傍にいたって肩身を狭くする相手でしょう?
 自制心を押し潰し、際限なく喉元に浮き上がってくる私情混じりのなぐさめを、空気と一緒に飲み込んで。
 ミリアリアは、置き去られた少女の隣にしゃがみ込む。

「……あのね、カガリ」

 私は、アスラン・ザラが嫌い。
 トールを殺した、カガリを傷つけた、ザフト兵なんか大ッ嫌いだ。
「オーブ、壊滅してたんだって」
 だけど彼が、好んで他者を虐げるような、そんな性格じゃないことくらいは知ってる。
「安定軌道を外れたユニウスセブンでね。ギリギリまで破砕作業を続けたモビルスーツパイロットが、四人いて――そのうち誰か一人でも欠けていたら、オーブは島ごと吹っ飛んで無くなってたんだって」
 それにアスランを非難したって、たぶんカガリは喜ばない。他者を貶めることで己を慰めるには、彼女は、あまりにも潔すぎるのだ。
 じゃあ、ここで打ちひしがれている友達に、いま言うべきことは?
 事実を伝えることで戦うと決めた私は、この二年間なにをして、なにを見てきた。

「オーブが……?」
「あなたの国――私の故郷も両親も、アスランたちが守ってくれたってことよ」
 ようやく顔を上げたカガリは、すぐには意味が飲み込めなかったようで、ゆっくりと二度まばたいた。
「人伝に聞いたわ。あのとき彼、出撃してたんでしょう」
 重ねて訊くと、ぎこちなく肯いた。そうして、おずおず問い返してくる。
「じゃあ……シン、も?」
 聞き慣れぬ固有名詞に、首をひねり、
(そっか、短期間でもミネルバに乗ってたんだから、クルーと面識があったっておかしくないわよね)
 一拍おいて思い出す。
 シン・アスカ。確かコダックが入手した、ユニウスセブン関連資料にあった名だ。
「そうよ。アスランも、その “シン” って人も――ただ義務だから、命令だからって、自分の身を危険にさらしてまで残れるような戦場だった?」
 カガリは無言で、ふるるっと頭を横に振った。
「そういう気持ちが……望んでることがホントに一緒なら。行く道が違ったって、いつか同じ場所にたどり着くわよ」
 憤怒に押し流されそうになる、大切なものを、
「だからね。今のオーブに頼りになる人がいないなら、探しに行こう――外に」
 手探りで拾い集め、そうして話し続ける自分が、まったく台詞と噛み合わない引き攣った顔をしていないことを願う。
「探して、見つけて、連れて帰ろう。あなたの “力” になってくれる人たちを」
 茫洋とした少女の瞳に、頼るべき存在として映ることを。

「私も一緒に行くわ」

 思いつきではない実感を伴う、それは開戦を予感した頃から、ずっと胸の内にあった想いかもしれなかった。
「ネットワーク駆使して。あなたたちの八方塞りな状況、なんとかしてみせる」
「ミリアリア……!」
 危ないからダメだと咎めるように、声を上げたキラを、目線で制して。
「だいじょうぶよ、まだ手遅れじゃない。生きてるうちは、なにか出来るわ」
 並べ立てたお綺麗な理想論は、ほとんど自分に言い聞かせているようなものだった。
「そうやって新しい道を探して、ちょっとずつでも前に進んで――いつかアスランが戻ってきたら “おかえり” って、言おう」
 でも、こんなふうになってしまってもカガリが、彼を望むなら。好きだというのなら。
 私もまた、いつかアスランと再会したとき、ちゃんと向き合って話せるんじゃないかと思う。

「…………イヤ?」

 問われたカガリは、ぎゅっと膝の上で両手を握りしめ、ぶんぶんと激しく頭を振った。食い入るように見開かれた瞳から、ぽたぽたと、大粒の涙がこぼれ落ちる。次の瞬間、
「――っ!」
 いきなり飛びついてきた相手を支えきれず、ミリアリアは、腰を強かに岩にぶつけた。
 首っ玉にかじりついた少女は、赤ん坊のように声を上げて泣き出した。じんじんと脳天を打つ痛みは自分のものか、それとも吐露されたカガリの激情か。
 どちらにせよ、彼女の嘆きを受け止めるべき青年は、今は此処にはいないけれど。

(……藁にも縋る、って、こういう感じを言うのかしらね)

 自分にしがみついて泣きじゃくる少女の背を、そっと撫でながら、思う。
 せめて今だけでも見透かされないで。
 あるべき姿を描く私の真裏で、幼く利己的な心は叫び続けている。
 どうしてアスランを庇うの。そんな義理ないじゃない? 思いっきり詰ってやればいいのに、なんで。
(だけど――)
 取り残されるのは、怖い。
 ずっと変わらないと信じていた日常が崩れ去って、その中に、ひとり置いていかれることは寂しくて心細くて、気が狂いそうになるほど苦しい。
 だから藁でもなんでも無いよりマシだろう、きっと。

「…………」

 カガリがしゃくり上げるたびに揺れる、不揃いな金髪の向こう。
 物問いたげな顔をしているキラと、目が合った。ちょっと困ったように眉を寄せ、
“今は、泣かせておいてやって”
 そんな微笑を浮かべる。取り乱した様子はないけれど、彼もまた、じっと痛みを堪えているように感じられた。
 まったく、こんな可愛い女の子を放ったらかして――友達の古傷を抉ってまで、遠く離れた場所で、なにをしようというんだろう、アスランは?
(私だったら、もらった指輪なんか踏んづけて、ついでに海に蹴飛ばして、その場で絶交してやるのに)
 物騒なことを考えながら、苦笑まじりに頷いて返す。
 私は、アスラン・ザラが嫌いだ。
 でも、カガリは彼を好きで、キラにとっても親友で。
 優秀だから、役に立つから。そんな理由だけで人を好きになるわけじゃ、ないから――これはもう、どうしようもないんだろう。

 ……それに、あいつは証明してくれた。
 どんな最悪な出会い方をしたって、接するうちに少しずつ変わっていく。
 一度は道を違えた相手とだって、また元通りに、それ以上の絆を取り戻せることもあるんだって。
 “だったら、なんとかしなさいよ”
 昔アークエンジェルの食堂で、椅子ひとつぶん離れて座って。私が押しつけた無理難題を、あいつは本当になんとかしてみせたのだ。
 物事すべてに当て嵌まるわけじゃない、あやふやで小さな可能性だけど……それでも。

 だんだんと暮れゆく空に、よく知る色彩が混じりだす。
 夜明けとは違う、藍とも黒ともつかぬ宵の紫――カガリを抱きしめたまま眺めていると、また少し、ささくれだっていた気分が落ち着いた。
(……ねえ、ディアッカ)
 同じザフトのあんたなら、アスランの気持ちが分かる? もし、ここに居合わせてたら 『余計なことすんな、引っ込んでろ』 って、やっぱりそんなふうに言ったのかしら。
 私は、わからない。まるっきり理解できないわ。
 でもね。一生懸命がんばってるカガリが、責任も何もかも独りで背負い込まなきゃならないなんて、そんなの絶対に理不尽だと思うのよ。

 問いかけても、脳裏の青年は肩をすくめ、皮肉げな笑みを返すだけだ。

 それでいい、と思う。
 あんなヤツの思考を、難なく読めるようになってしまったら終わりって気がするし。
(まずは証拠……よね)
 つい二年前までザフトに忠誠を捧げ、ずっとプラントで暮らしていたアスランが、故郷を――同胞を疑うような推論に、賛同出来ないのも無理からぬことだろう。
 ギルバート・デュランダルの真意が、分からない。
 お互い推論の域でしか話せないから、問いへの答えも憶測に過ぎず、ややこしくなるのだ。

 情報を探るには、おそらく誰より適した仕事に就いている、これは私の戦いだ。
 そうして事がはっきりしたとき、それでも彼がカガリを泣かせるようなら。

(……タダじゃおかないんだから、覚悟しときなさいよ)

 なんの特技もないナチュラルに出来ることなんて、たかが知れているかもしれないけれど。アスランが頼りにならないなら、せめて私は二人の “力” になろう。

 だってカガリとキラは、友達で。

          オーブは、私の国なんだから。



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事実、ミリアリアが同席していることは、このときアスランの頭から吹っ飛んでいたと思います……悪気なしって一番困りモノかもしれませんが。ずーっと黙っていたミリさんは、自分の中の暗い感情と戦ってたんだと信じてます。信じてますとも。