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■ ステラ 〔1〕
半ば物置化している自室の棚に、真新しいディスク2枚を収める。
数ヶ月ぶりにフェブラリウスへ帰省、実家に立ち寄った用件は、実のところそれだけだった。
「あいつがTV局にいないんじゃ、買いだめしとく必要もねーよなぁ……」
不規則な勤務でも見逃さないようにと欠かさず録画を続けるうち、けっこうな数になったディスクの中身は、すべてミリアリアがキャスターを務めていたニュース番組である。
雇い主とインドに行ったという彼女は、いつ戻るだろう。
それとも――もう帰ってきて、元のように情報発信を続けているんだろうか?
どちらにせよ、ダーダネルス海戦でオーブとプラントの敵対関係が決定的になり、一般の通信回線が断ち切られてしまった今となっては、モニター越しの会話すら叶いそうもないが。
これだけは、警備の手薄な寮に並べておいて紛失したり、たまに無断で押しかけてくる後輩たちに見つかって追及されるのは御免だった。
「親父は? 出掛けてんの」
1日くらい泊まっていくか、しかし残りの休暇はどう過ごそう……と考えながら、ソファに腰を下ろしつつ問う。リビングに、屋敷の主が見当たらないのは珍しくもないことだが。
「いえ、執務室にいらっしゃいます」
コーヒーを運んできたメイドの返事は、少し意外だった。
タッド・エルスマンは、客観的に評価しても多才な男である。
生化学の博士号を持ち、医療都市でも五指に数えられる大病院を経営する名医。
二年前までは最高評議会議員を兼任しながら、フェブラリウス市長をも涼しい顔でこなしていた。
要職を退いた理由として、“ザフトに盾突いた馬鹿息子の父親” という責任問題が、どの程度だったかは定かでないが。多忙を極めていただろう当時さえ、日曜に、執務室にこもってなどいなかった――記憶にある限り、初めてだ。
だから様子を見に行ったのは、気遣いというより好奇心からだった。
家に持ち込まなければ片付かないほど、耄碌したんだろうかと。
タッドの執務室は東棟、離れにあり、書庫と研究室を兼ねた造りになっている。
どこもかしこも薬品や専門書で埋め尽くされていて、子供の頃は危ないからと入室を禁じられ、10歳も過ぎると逆に、こっちが興味を無くして寄り付かなくなった場所だ。
「テロイドなら……いや、違うな。これも効きそうにない」
そこから、ぶつぶつと不機嫌そうな声が漏れてくる。これまた珍しいことに、かなり煮詰まっているようだ。
「なにやってんだよ、親父。時間外労働はしない主義じゃなかったっけ?」
「……ディアッカ?」
鍵が掛かっていなかったので勝手に中へ入ると、机に向かっていたタッドは、呆れ顔で振り返った。
「なんだ、帰っていたのか? 帰宅の挨拶くらいしたらどうだ」
「チャイム鳴らしたのに、出迎えにも来なかったのそっちじゃん」
軽口を返し、ひょいと片手を上げてみせると、
「ただいま、おひさし」
「それが親に対する挨拶か……」
脱力したように、こめかみに手を当て苦笑する。ダークブラウンの長髪に、白色人種の典型ともいえる肌の色――久しぶりに見る父親は、やはりまったく自分と似ていないが、
「おかえり。どうした? とうとう軍をクビになったか」
「ジョーダン。今日から隊ごと長期休暇だから、暇つぶしに寄っただけだよ」
息子と父親の双方を知る者は、女好きな性格と声質がそっくりだと口を揃えて言う。不本意な話だ。
「……で? なにしてんの、辛気臭いツラして」
「ああ。そっちも忙しそうだが、こっちはこっちで戦争だよ」
げんなり息を吐くタッドの手元には、山積みの書類と一枚の写真があった。
どこの病室か――ひどく痩せ細った金髪の少女が、ベッドに横たわっている様子を撮ったモノであるようだ。土気色の顔や、目元にくっきりと浮かぶ隈は、
「なんだよ、この子。親父の患者か?」
素人目にも判るほどやつれた姿である。どこぞのセレブが、末期症状の子供をなんとかしてくれと泣きついてきたんだろうかと思いきや、
「そうなる可能性もある……な。彼女は、連合のエクステンデッドだ」
タッドの返答は、予想の範疇を越えていた。
「マジかよ!?」
手に取った写真を凝視しつつ問い返す。実物を見たことはないが、噂だけなら聞いていた。
エクステンデッド。
コーディネイターに対抗する為だけに薬物投与や肉体改造を施された、地球連合軍の “強化人間” ――ヤキン・ドゥーエで果てた “ドミニオン” の三機に搭乗していたパイロットも、同様の処置を受けた生体CPUであったという。
「ミネルバの軍医が断言したそうだ。ロドニアで回収した、サンプルの検査データと照らし合わせてな」
その固有名詞も記憶にあった。
地獄絵図さながらだったという、連合の研究所――又聞きでさえ気が滅入った。現場に居合わせたらしいアスランは、なにを思っただろう?
「名前は、ステラ。アーモリーワンで奪取された “ガイア” に乗っていたそうだ。まともに話も出来んほど衰弱しているらしく、あとは所属もなにも判らん」
「けど、なんで連合の兵士がミネルバに」
「詳しい経緯は知らんが、インパルスのパイロットが捕縛したらしい。ミネルバを搬送係にして、ジブラルタル経由で本国へ輸送されてくる予定になっている」
「……怪我の所為で弱ってるわけ?」
これといった外傷は無いように見えたが、内臓かどこかやられているのかもしれない。
「戦闘中に頭部を負傷してはいるが、衰弱の原因ではないようだ」
しかしタッドは物憂げに、
「食事と、睡眠。適度な運動――通常、人間はそれだけで身体機能を維持できる。しかし、この少女が生き続けるためには、もうひとつ絶対条件があるらしい。薬か、手術の類かは、今の段階では分からんがな」
写真に添付されていたらしい資料を、デスクライトに翳しながら嘆息した。
「貴重なサンプルを生かしつつ、強化人間のメカニズムを解明しろ。研究資金は惜しまない――それが評議会から秘密裏に出された通達だ。どこもかしこも我先にと名乗りを上げて、主だった医療機関じゃ睨み合いが続いているよ」
「研究して、どーすんだよ。連合の暴走を止める足掛かりにでもなるってのか?」
医学については齧った程度で、専門家に意見できるレベルじゃないが、わざわざ戦時下に医療関係者を総動員して調べることでもないように思う。
「さあな。まあ、無駄に労力を割くほど頭の悪い連中じゃない、評議会にも何か考えがあるんだろう」
元議員といえど引退してしまえば蚊帳の外である。タッドは、大仰に肩をすくめた。
「…………なんとかしてやれよ」
たまらず、ディアッカは吐き捨てた。
連合の少女。死にそうなほど痩せた、青褪めた顔――笑ったら、どんなにか可愛いだろうに。
「軍の付属病院あたりに任せるくらいなら、親父の方が扱いマシだろ」
望んで戦っているわけでもあるまいに、軍艦に放り込まれて、自力じゃ逃れることも出来ずに?
……それは、出会った頃の “彼女” と同じ。
「この子も被害者だろ、連合の」
二年前、アークエンジェルが軍から離反しなければ、あいつが実験台にされた可能性もあったのか?
考えると吐き気がした。
勝つためならば同胞の身体さえ弄り回すナチュラル、敵軍の少女を “研究” しようというコーディネイター、とっさに悪趣味な想像をしてしまう己の思考に対しても。
苛立ち紛れに写真を突っ返すと、タッドはなんとも表現しがたい顔をした。
「こんなことを言うのもなんだが……ずっと、育て方を間違ったと思っていたよ」
強いていえば、苦笑だろうか? 常日頃ひょうひょうとしている父親の、見慣れない態度に内在する感情がなんなのか、どうにも判断がつかなかった。
「昔のおまえなら我関せず、話しても五分後には忘れていたと思うんだがなぁ――いやまさか、そんな、まっとうな台詞を聞ける日が来るとは」
褒めたいのか貶したいのか、どっちなんだ? ディアッカは、釈然としないまま相手を見返す。
さりげなく暴言を吐かれた気もするが、指摘は的を射ていた。
……というより、実質なにも二年前から変わっちゃいない。ただ、ステラという少女の衰弱ぶりが、昔の記憶に引っ掛かるだけだ。他人事には違いなく、それで痛むような心臓も持ち合わせていない。
被験体が10代半ばの少女でなかったら、こんな弱々しい姿さえしていなければ、別段なにも感じなかっただろう。
「一度、会ってみたいなあ。ウチの馬鹿息子を、こうまで変えた相手に」
からかい口調で、ガラにもなさそうなことを言い出すあたり、冗談抜きに疲れてるんだろうか? まあ、マトモな神経の持ち主なら、気乗りしない仕事であることは確かだろうが、
「それが、なかなか手強くってねぇ」
女遊びに興味が失せた理由を、どこまで勘付かれているにせよ、ミリアリアのことを今の段階で話すつもりはない。ディアッカは、適当にはぐらかした。
「ま、今日は泊まってくし? なんか手伝ってほしいことがあるなら言えば」
高くつきそうだな、と笑うタッドに 「まあね」 と返したものの。自分が出る幕でないことは歴然としていたため、静かに、その場を後にした。
「…………」
ぱたん、とドアが閉まるのを見届け、タッドは深々と息を吐いた。
『研究して、どーすんだよ』
息子は訝しげに問うた。もっともな疑念だ。
生まれ持った自らの能力を誇るコーディネイターが、さらに上を目指せるといって薬物強化を望むとは考えにくい――だが、エクステンデッド研究には、もうひとつ別の側面がある。
短期間ながら共にメンデルで過ごし、その内面を一部なりとも知り得たタッドは、すでに現評議会を束ねる “彼” の意図を察していた。
意識や記憶まで、操作されている可能性があるという少女。
その技術が万人に応用可能なら、確かに “争いのない心穏やかな世界” を維持する要となるだろう。だが、
「人間の過去も、未来も……科学で支配出来るものではないぞ……ギルバート」
独りきりの執務室に、届くはずもない呼びかけは空しく響いた。
シンが連れ出さなかった場合、ステラは、どこに運び込まれる予定だったのか。軍の付属病院が第一候補でしょうが、医療都市フェブラリウスに話がいっていても、おかしくはない……かな? うーん。