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■ ステラ 〔2〕


 その違和に気づくまで、ギルバート・デュランダルは理想的な助手だった。

 生化学と、遺伝子解析。
 専門こそ異なるが、コーディネイター社会では切っても切れぬ研究分野において頭角を現し始めていた、一回り年下の優秀な科学者。
 “デスティニープラン” の構想を打ち明けられたときも、最初は、おもしろく斬新で合理的な計画だと思った。
 非の打ち所ない実務手腕、どんな難しいテーマの論議にも切り込んでくる頭脳――もう一回り歳の離れた我が子がこんなふうに育ってくれればと、あの頃は本気で考えていたくらいだ。

 メンデルに研究客員として滞在していた期間は、記憶が正しければバイオハザード発生の2年前、半年程度のことである。
 いつ、なんの拍子に “ズレ” を感じたかは……もう忘れてしまったが。
 衣服の裾糸がほつれたように、いったん気になりだすと止まらなかった。老若男女に慕われ、賞賛を浴び、穏やかな笑みを浮かべながら――時折、不意に覗かせた干乾びた眼光を覚えている。
 乾き切った砂漠に巣食う、アリジゴクのように。
 他者が望むありとあらゆるものを、たいした苦労もなく手中に収めておきながら、デュランダルの根幹は常に飢えているようだった。
 肝心な “なにか” が欠けている……代用品など存在せず、すでに手にしているものが何倍に増えても足りず、一時的な気晴らし程度にしかならないんだろう。

 どんな水を得てもけっして潤うことは無い、がらんどう。

 任期中に一時帰宅した、我が家で。
 実の息子に、彼と同質の側面を見つけたとき、違和感は決定的になった。いずれディアッカがあんなふうに成長し、プランにも手放しで賛同して生きていくと考えると、ゾッとした。

 これが本当に、理想か?
 両者とも、まったく幸せそうに見えないというのに。

 優秀ならばそれで良し、とばかりに英才教育を受けさせ、あとは放ったらかしに育ててきた息子と会話を試みたところで……12歳にもなっていれば、いまさら親の説教など聞くはずなく。
 こちらが何を言っても煩わしげに顔をしかめるだけで、叱れど宥めすかせど、まさに馬の耳に念仏。
 真っ向から歯向かわれた方が、まだマシだったろう。

 間違っている、間違っていたと思った。
 優れた能力を備え、他者の役に立ち、認められて。溢れるほど多くのものに囲まれていても――人間は、それだけで満たされるほど単純な生き物ではないのだと。



 メンデルを去る日。
 タッドは会議室の壇上に立ち、居並ぶ科学者たちを見据えて、告げた。

『デュランダルの言う “デスティニープラン” は、一見……今の時代、有益に思える』

 自分の評価如何では、研究チームは、若手の筆頭たるデュランダルを中心に再結成され、遺伝子操作の技術開発を続けるはずだった。

『だが、我々は忘れてはならない。人は世界のために生きるのではない。人が生きる場所、それが世界だということを――』

 すでに医学界の重鎮として名を馳せていたタッドに対し、当時のデュランダルは、誰もが認める才能を有するも、これといった実績のない青二才に過ぎなかった。だから人々は “権威” の言葉に従った。



『……科学では、ヒトの心まではどうにも出来ん。君のプランは、やはり夢物語だよ。ギルバート』

 別れ際。
 最後に向けた否定に、デュランダルは微笑しながら首を振った。

『私は、そうは思いません。苦悩や争いのない満たされた世界は、運命に従ってこそ得られる』

 それから、しばらくして。
 彼が遺伝子解析の一線を退き、政治の道を志したと、人伝に聞いた。
 畑違いの転向に驚かされはしたが、新たな生き甲斐を見出せたのかと、ただ安堵した――甘すぎる解釈だったと、後に痛感する事態になるとは考えもせず。
 似た者同士と思われたデュランダルと、自分の言葉は、どこまでも噛み合っていなかったんだろう。


 実の息子とさえ、すれ違ってばかりいたくらいだ……さほど長い付き合いではなく、血縁者でもないデュランダルの人格など、理解出来ていなくて当然だったかもしれない。


 嫌な予感ほど的中するもので。
 かわいげの欠片もない皮肉屋に成長した息子は、誰に似たやら女遊びを繰り返し、挙句の果て、親の反対を押し切ってザフトに入隊してしまった。
 勝ちに執着する心理は、自己顕示欲ゆえ。飢えの一時凌ぎになるからだろうと、容易に想像がついた。
 しかも本人は、妙なプライドの高さも相俟って、そんなことは認めようとしない――というより、理論武装して眼を逸らしているようにも感じた。
 みっともない、女々しい、そんな己は存在しない。
 挫折など知らない。有り得ない。面倒だから本気を出していないだけであって、周りの奴らに負けてる訳じゃないと。
 要領の良い子供だっただけに、物心ついた頃から、他人の手など借りなくても困らなかったんだろう。
 変わる必然性が無いから、変わらないまま。
 顔を合わせれば小言ばかりの親に、嫌気が差したようで――士官学校に入ってからは、滅多に実家にも寄り付かなくなった。

 軍本部からMIAの報せを受けたときは、遺体すら発見されなかったこともあり、俄かに信じられず。
 実感が湧かないまま、終戦を迎えた直後。
 ふてぶてしくも生還したディアッカと対面したときは、喜ぶより怒るより先に、脱力してしまった。

 ……どうやら、息子の生命力はゴキブリ級であるらしい。

 よりにもよって三隻同盟に身を投じていたという、理由がどうあれ、愚息が脱走兵の烙印を押されたことに変わりはなく。
 お陰でいらぬ気苦労を強いられ、議員も市長も辞職するハメになったが、かまわないと思った。

 どういう経緯で、なにをして何を考えたにせよ。
 昔とは比べ物にならないほど穏やかな眼をしている、ディアッカの。父親の手では、どうにもならなかった “がらんどう” が満たされたのだとすれば――そんな代償は安すぎるくらいで。



「 “手伝ってほしいことがあるなら言えば” ……か」

 すっかり夜も更けた執務室で、だらしなく椅子に寄りかかったまま、タッドは苦笑する。
 さりげなく発せられた息子の台詞も、昔であれば考えられない類のものだった。
 誰かの境遇に共感する、手を差し伸べようとする人間らしさは、計算や予測が不可能なヒトとの触れ合いによって初めて芽生え、心に深く刻まれ、育っていくのだろう。
 

 資料の写真に、あらためて目を落とす。
 ステラ。専門外の症状を抱える患者を、助けられるかは判らない。
 だが、彼女自身のためにも、子供たちが生きる世界のためにも――エクステンデッドの研究権は意地でも勝ち取らねばなるまい。少なくとも、評議会の息がかかった連中にだけは渡せない。
 取り越し苦労で済めば良いが、懸念が的中しているとすれば、事が始まってからでは手遅れだからだ。

(……まだまだ、孫の面倒を見ながら楽隠居というわけには、いかんらしいな)

 しかし自分一人でどうにか出来るほど、容易な問題でもないのだ、これは。
 タッドは、受話器を手に取った。
 限られた者のみが知る直通番号を押すと、3度目のコール音の途中でアマルフィ家に繋がった。相変わらず几帳面な男である。
「ああ、ユーリか。遅くにすまんな」
「どうした、タッド? ―― “シュバルツ” の最終調整なら、滞りなく進んでいるが」
 彼の妻、ロミナが電話に出た場合の言い訳も10種類ほど練ってあるが、今のところ活用するには至っていない。
「それなんだがな。頼まれていた “候補者” は、明日連れて行っても構わんか?」
「なんだ、おまえもか」
「も、とは?」
 どういう意味かと訝しむタッドに、
「エザリアとハーネンフースからも、夕方、連絡が入ったんだよ。明日、連れて行くから準備していてくれと……私としては、何度もスペック説明をする手間が省けて助かるがな」
 ついでに顔合わせも出来るだろうから、午前十時に来てくれと指定して、ユーリは通話を切った。

「なるほど」

 隊ごと長期休暇というなら、ディアッカの同僚である “彼ら” も実家に顔を出していて不思議はない。パイロットという枠組みだけなら、他の有望株にも心当たりはあろうが――

「万一の場合に責任を取る覚悟で、こんな荒事を頼める相手は、そうそうおらんだろうからな。みな考えることは一緒か」

 得心しつつ、タッドは人工の月夜を仰いだ。
 この決定が後に吉と出るか、凶と出るか。それは共謀者たちの運とタイミング次第になるだろう。



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ダコスタ君が入手した、謎のノート。誰が書いたものか分からないんだから、別に “例の台詞の主” がタッド氏でも問題はないでしょー。捏造バンザイ♪(自棄) ということで、ジュール隊の本格出動間近です。