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■ ペイバック 〔1〕
手荷物だけ持って出ろ、と放り込まれた押入れの床には、マンホールに似た蓋をずらした跡。そこから、ぽっかり空洞が広がっていた。
「地下……室?」
「地下道、だ」
コダックに追い立てられるまま、双子に続いて降りようとしたところで、
「きゃ!」
どおん、という地響きが建物全体を襲い、ミリアリアは、掴んでいたハシゴから弾き飛ばされてしまった。
「っと、だいじょうぶ?」
全身打撲か、骨折か。ぎゅっと身構えた体は、岩盤に叩きつけられる寸前、駆けつけたキラに抱き止められて事無きを得た。
「あ、うん。ありがと」
礼を言いながら身を起こし、
「怪我してないよな、ミリアリア? 偉いぞ、キラ!」
走り寄ってきたカガリに、肯いてみせる。どこも痛くはない――だが、揺れは収まるどころか轟音を伴い、次第に激しくなってきていた。頭上から、ばらばらと石屑がはがれ落ちてくる。そうこうしている間に、
「皆さん揃ってますね? それじゃお先にっ」
宿の亭主は、ハシゴの傍に置かれていた自転車に飛び乗り、一目散に走り去っていった。
「脱出経路はあいつが熟知しとる。ここでのんびりしとったら、生き埋めにされかねんからな……まずは宿の敷地から離れるぞ」
弟子の無事を見とめ、コダックは、フィルム類を詰めたリュックを背負いつつ自転車に跨った。カゴの中に転がった懐中電灯が、薄ぼんやりと暗がりを照らしている。
「自転車で、ですか」
「あん?」
他にも数台置かれているそれらは、大きさも色もバラバラで、
「文句あるか? 燃料不用、有毒ガス発生の心配もいらん優れモノだぞ。車にばっかり頼っとらんで、少しは足腰使え」
というか――切迫した事態に “自転車” という組み合わせは、どうにも緊張感に欠けて見えるのだけれど。こんな状況下で、避難手段を選り好み出来ようはずもなかった。
「……すごいですね。作ったんですか、この通路?」
縦横約3メートル幅にくり貫かれた洞窟は、落盤を防止する為か、あちこち木材で補強されており、足元もきちんと均されている。相当な年月をかけて掘られたに違いない。
「一般人に、んな金あるわけ無いだろう」
キラに問われ、コダックは即答した。
「昔の坑道跡ですよ。この地方には、けっこう多いんですけどね――正しいルートを辿れば、一時間もかからず郊外の海沿いに出られます」
案内人として先頭を行く、宿の亭主も言葉を添えた。
「地元の人間にすら忘れ去られてる代物ですし、旅館が吹っ飛ばされれば出入り口も潰れちゃいますからねえ。とりあえず、追っ手の心配はしなくていいと思いますよ」
ああ、保険かけといて良かった〜、このゴタゴタが済んだらキッチリ保険会社に請求しないと。もそもそとした彼の独り言には、聞こえなかったのか流したのか誰も相槌を打たなかった。
代わりにカガリが、ちらっと後ろを振り向き、
「やっぱり、攻撃されてるんだよな……あの音。だいぶ離れたはずなのに、まだ響いてる」
不安げに首をかしげた。
「あれって、別邸を襲った連中の仲間なのかな」
「どうかな? 可能性は高いと思うけど」
「これじゃ結局、どういう組織がどこから襲ってきたのか、なんにも分からないものね」
考え込むミリアリアたちに、コダックが、さらりと横から言う。
「ああ、出所くらい突き止められるぞ」
「へっ?」
「どういう組織かはともかく、どこから来たかは確実に調べられますよ。あの “アッシュ” って機体には、ミラージュコロイドなんて便利な機能は付いてないそうですから――まあ、条約で禁止されてるんですけどね」
気を取り直したように、亭主も同意した。
「目に見えるモノなら必ず、ここへ来るまでに、どこか “中継点” の監視カメラにひっかかる。地球だろうと、プラントだろうとな。あとは、そこを崩す方法を考えりゃいい」
「とは言え、新型のザフト機が使われてますからねぇ」
「ああ。行き着く先は、ザフト基地だろう」
「……すごいな。そんなに次々思いつくなんて」
私は、なんにも考えられなかった。すっかり感嘆しているカガリに、
「これでも業界じゃ、ベテランの部類に入るんでな」
老カメラマンは、苦笑を返した。
「要人の暗殺騒ぎなんざ、たいして珍しくもない。組織ぐるみで動いとる連中なら、一度しくじっても次の機会を狙ってくるし、理由も大別すれば私怨か主義のどっちか――そういうもんだ。たまには例外もあるが、今回の相手は存外単純らしいな」
“なんとかしてみせる” と威勢よく言ったものの、なんら策を持ち合わせていなかった点はミリアリアも同じだ。
「…………」
師に頼らざるを得ないとは思っていたが、こうまでキャリアの差を見せつけられると、少しばかり自分が情けなくなる。
「だがな、あんたは、こんな対処力を磨く必要はないんだ。政策を練るのは本来、側近どもの役目だからな」
ゆっくり、一言ずつ区切るように、コダックは告げた。
「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない――その理念を誇っとるなら、まず守り抜く手腕を身に付けろ」
滅多に聴けないような、優しい声である。
「現政府の方針は気に食わんが、ついこの間までのオーブは好きだったぞ。ワシも」
カガリは両目を瞬き、ぐっと口元を引き締めて答えた。
「がんばる」
「おう」
真っ暗闇に、豆電球が放つ光はひどく頼りなく、それでも温かく感じられた。
ひたすら自転車を扱ぎ続け、地下道から抜け出したときには、空はすっかり暗くなっていた。
「さて、と」
かなりの距離を移動してきながら、
「いったんここでお別れだ、が――その前に、言いそびれていた “条件” だ」
わずかに警戒の色を浮かべたキラはおろか、もうすぐ還暦を迎えるコダックさえ、息ひとつ切らしていない。いよいよ自分を情けなく思いながら、
「こいつを連れて行け」
ぜーはーと自転車にもたれていたミリアリアは、話の展開に戸惑い、顔を上げた。
「師匠?」
「なんだ。どうせ、そのつもりだったんだろう」
「それは、そう……ですけど」
“私も一緒に行くわ”
さっき海辺で、決心したことだ。覆す気は皆無だが、コダックの反応は芳しくないだろうと思っていただけに、意外感が残る。
「いや、でも! これ以上、彼女を危険にさらすわけには――」
困惑もあらわに、渋るキラ。
「ワシが言い聞かせて、おとなしく引き下がるような娘じゃねえ。それに相手は、無関係の人間ごと襲うような連中だぞ? どこに誰とおろうが、たいして変わらんさ」
あくまで泰然自若な、老カメラマンの隣では、亭主が 「そうですよ、僕がいい例ですよ」 とぶつぶつ愚痴っている。
「……それとも、華も潤いもないオヤジをご希望か?」
「そりゃ断然、ミリアリアの方が嬉しいけど――」
「ええっ!? ハウさんが嫌だって言ったら、僕が行くんですか? お断りですよ、戦艦になんか乗りませんからね!」
「あーあー、おまえにゃ荷が重過ぎることくらい、分かっとるから安心しろ。あと、鬱陶しいから少し離れろ」
四方から詰め寄られたコダックは、しっしっと全員を追い払った。
「あんたらが直面した “現実” の映像をもらう。代わりに、ターミナルの最新情報も流してやる。こいつを通してな」
オペレーターとしての腕には文句あるまい。
互いが同意するようなら、飯と宿代ぶんくらいは艦の仕事もさせればいいと、
「なにを伏せるか伝えるか、そこらへんの判断は任せるが――仲間意識にほだされて事実を捻じ曲げるようなら、おまえごと “アークエンジェル” を切り捨てる」
弟子の喉下に、人差し指を突きつけ。キラ、カガリを交互に見やる。
「争いの火種にしかならんと判断した場合は、全力で潰させてもらう。それが取引の前提条件だ」
「……なんだ、そんなこと」
いつになく重苦しい師の態度に、なにを言い出すのかと息を詰めていたミリアリアが、
「みんな、戦争を止めたいって必死に努力してるんですよ? 潰すだとか、そんなふうになるわけないじゃないですか」
「あほう」
拍子抜けた気分で口を挟むと、ぎろっと睨み返された。
「以前、おまえは地球連合軍への入隊を決めたんだったな? キラ・ヤマト、あんたもだ。そのとき、半年後の自分を想像できたか」
反論を封じられ、ミリアリアは押し黙る。
キラも、わずかに目を伏せ 「いえ……」 と首を振った。
脳裏を過ぎる、失くしたものすべて。走馬灯のように。
ちゃんと考えて決めたつもりでいた。けれど、やっぱり解っていなかったんだと思い知らされた。
……じゃあ、今の私は?
キラ、カガリ。
アスラン、は?
「万国共通の正義なんぞ、どこにもない。ほとんどの問題は思い通りにならんのが普通で、良かれと思って選んだ道が過ちだった、ということも有り得る。だからこそ政治関係者には、具体的な “公約” と実行力が求められるわけだ――あんたは、力不足で潰されかかったクチだな?」
「でも、まだ諦めてないぞ!」
「その意気だ」
すぐさま反駁した少女を眺め、コダックは、満足げに笑った。
キラに助けられた場合、ミリィは素直に礼を言うのです。けれど相手がディアッカさんだと、抱き止められようもんなら放せ降ろせと大騒ぎ必至。そこらへんが、異性と認識してるか友情かの違いなのです(主張)