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■ 戦場への帰還 〔2〕


 果てない紺碧の、深淵に。
 白亜の艦を見つけたとき――溢れた感情は、郷愁によく似ていた。
「わぁ……っ!」
 思わずシートの後ろから身を乗り出せば。パイロット席に着いているキラが、ちらっと微笑を向けてくる。

 アークエンジェル。
 戦い続けた日々に、あの場所で。
 得たものより失ったものの方が、遥かに多かったはずなのに――命がけで駆け抜けた記憶は、鮮明に焼きついて離れない。

 着艦したフリーダムは、格納庫へ移り。
 二人乗りには少々狭いコックピットから出ると、そこには馴染みの技術スタッフが勢揃いしていた。
「マードックさーん!」
「よう、嬢ちゃん!」
 作業着姿に、半端な長髪、無精ひげ。整備班チーフであるコジロー・マードックが、にやにや無遠慮に笑いながら言う。
「なんだなんだぁ? こんなトコに来てちゃあ、嫁の貰い手がなくなっちまうぞ!」
「なによ、失礼ね」
 18歳の乙女をつかまえて、開口一番、典型的なオヤジ発言。
 このメカニックマンがまだ30代前半、マリューとたった5歳しか違わないとは、未だに信じ難い……まあ、一癖も二癖もある報道関係者に囲まれ過ごしていれば、この類のからかいは慣れっこだ。
「いいのよッ、私のやることにあーだこーだ文句言う男なんて、こっちから振ってやるんだから!」
 あっさり切り返してみせると、マードックは 「うっへぇー」 と頭を掻いた。
「ミリアリア」
 隣で苦笑していたキラが、そろそろ行こうと目線でうながす。そうだ、積もる話は後にしなければ。
「とにかくまた、よろしくね!」
「おう! 嬉しいぜ、嬢ちゃん」
 ミリアリアはあらためてマードックと笑み交わし、どちらからともなく掲げた片手を、ぱあんと景気よく打ち鳴らした。


 ほぼ二年ぶりながら、キラを追って歩いているうちに、艦内構造や道順は自然と思い出せた。
「相変わらず人手不足みたいねー。カガリとラクスも、ブリッジに?」
 アークエンジェルの出航理由を考えれば、声をかけられる人物も応じる者も限られて当然だが――それにしても少な過ぎるんじゃないだろうか? 前後左右、通路に人っ子ひとり見当たらないとは。
「カガリは、ね」
 キラは曖昧に肯いた。
「ラクスはもう、ここには居ない。昨日、バルトフェルドさんと一緒に宇宙へ上がったんだ」
「……プラントに行ったってこと!?」
 想定外の答えに、ミリアリアは仰天した。
「危ないじゃない! 別邸で襲ってきた相手、コーディネイターだったんでしょ? いくらバルトフェルドさんが強くたって――」
 誰が彼女を狙っているかも定かでないのに、どうしてまた、そんな無茶を? ふと嫌な予感に囚われて、おそるおそる尋ねる。
「もしかして……二人は反対だった、とか?」
「え?」
「ターミナルに監視されるなんて嫌だから、別行動で?」
 自分と入れ違いに、アークエンジェルを去ってしまったのかと懸念を口にすると、キラは 「違うよ、そうじゃなくて」 と首を振った。
「コダックさんが言うとおり、“夢を見せる偶像” のままじゃいられないから――自分も、手掛かりを探しに行くって。危険だって反対したけど、僕には止められなかった」
「ラクスに話したの?」
 旅館から脱出した後、別れ際に。コダックが吐き散らした台詞の数々を?
「師匠が言ったことなんか気にしなくてよかったのに……ホント、口が悪いんだから。腕は確かなんだけど」
「そんなことないよ。逆に、羨ましいってさ」
「?」
 脈絡なく出てきた形容詞が、なにを指しているのかピンと来ず、戸惑っている間に、
「まずはデブリ帯でダコスタさんと合流して、相談するって。なんとか都市部へ入りたい、とは言ってたけど、もうザフト軍に指名手配されてるだろうから――たぶんプラント内部の調査は、クライン派の人たちに頼むことになると思う」
「指名手配?」
 話は、どんどん先に進んでいった。
 いきなり使われた物騒な単語に、引っ掛かりを感じて隣を見上げると、キラは、バツが悪そうに打ち明けた。
「 “ラクス・クライン” が慰問ツアーを終えて、プラントに帰るって聞いたから、先回りしてシャトルに乗り込んだんだ。結局バレて大騒ぎになっちゃったけど、なんとか追っ手は振り切れたよ」
「えええええー!?」
 悪趣味な冗談ねと笑い飛ばしたいところだが、幸か不幸か、キラは、真面目な話の最中にふざけるようなタイプではない。
「……キラ。それって、ハイジャック?」
「いや、うん。ラクスたちは、どうやったって、おおっぴらに出歩けないから。一般人が乗ってるシャトルに迷惑かける訳にはいかないし、プラント政府が、どんな反応するかも判断材料になって良いんじゃないかって――」

 不自然に目を逸らした彼と、返す言葉が見つからないミリアリアは、通路のど真ん中に立ち止まったまま、あはは〜と乾いた声でひとしきり笑った。
 まさか、資料の山と格闘している間に、そんな事態になっていようとは……。

「やっぱり、ダメかな」
 がくりと、先に肩を落としたのはキラだった。
「ダメでしょ、常識的に考えたら」
 名を騙る “歌姫” のために用意されたシャトルを、ラクス本人と護衛が失敬したという、ややこしさは横に置いておくとして。
 良し悪しを問われれば、ハイジャックは紛うことなき犯罪行為だ。
「……そう……だよね」
 まあ、アラスカでの敵前逃亡に始まり、以降、今日ここに至るまで――自分を含むアークエンジェルのクルーたちは、百回銃殺刑になってもおかしくない経歴を辿ってるんだけど。
「全部終わって、艦を降りられる日が来ても……私たちみんな、今度こそ裁判所行きかもしれないわねぇ」

 確認するまでもなく、前途多難だった。



 ブリッジに続くドアが、しゅんと音をたてて開いた。
 真っ先に、正面にいた長身の女性――マリュー・ラミアスと目が合い、
「ミリアリアさん!」
「お久しぶりです」
 こちらが会釈したタイミングに前後して、他のクルーたちもパッと顔を上げた。連合の制服を纏っていた昔とは異なり、全員がオーブ軍服を着用している。
「元気ィ? エルスマンとは?」
 チャンドラが軽い調子で発した問いに、詮索不可の念を込め、
「振っちゃった♪」
 にっこり微笑んでみせると、彼はメガネの奥の目を変なふうに細めて、たはは……と苦笑いした。
(振っちゃったものは振っちゃったんだから、訊かれても困りますよ!)
 というか、人の顔を見るなり挨拶代わりみたいに、ディアッカの名前を出さないでほしい。まったく。

 憤慨した気分を押し込め、顔を上げると、艦橋窓の外一面がマリンブルーに染まっていた。
 ここは海の底なんだなと、ミリアリアはあらためて実感する。

 そこへ、ピーピーと電子音が鳴り響いた。
「あ? わっ」
 チャンドラとは背中合わせのオペレーター席に着いていた、カガリがあたふた、手元とモニターを交互に見やる。
「暗号電文です」
 画面に表示された奇妙な文字列が、コダックが多用するコードだと気づき、ミリアリアは、彼女の横からキーボードに手を伸ばした。
「連合・オーブ両軍は、クレタに展開」
 解読した文面を読み上げると、カガリが愕然と身を強ばらせた。
「ミネルバは、マルマラ海を発進――南下」
 さらに続いた、対するザフト艦の動きを報せる内容に、ブリッジ全体にざわりと緊張が奔る。
「あの艦が、ジブラルタルに向かうと読んでの布石か……連合も、躍起になってますね」
「これで決まりね」
 操舵士のノイマンと、マリューは顔を見合わせ、頷いた。
「オーブ軍はクレタで、もう一度ミネルバとぶつかるわ」
 各軍の現在地、進路が情報どおりなら。ミネルバは敵から待ち伏せられている――激突は、必至だ。
「くっ……そ……!」
 呻いたカガリがコンソールを殴りつけ、それきりブリッジに静寂が落ちた。

「行きましょう」

 沈黙は、キラが破った。
「ラクスも言ってただろ? まず決める、そしてやり通す」
「キラ……」
 皆の視線を受けながら、彼は決然と言う。
「可能性に賭けるなら――僕じゃ、ダメなんだ。それに、ここにいる他の誰でもない。戦後ずっと、あちこちオーブ代表として駆け回って、平和を願ってるんだって示し続けた、カガリの声でなくちゃ届かない」
 行政府で、ダーダネルスで。
 どんなに声を張り上げ叫んでも、止められなかった世界の流れ。
 それでも、名も知らぬ人々を “言葉” で動かせる、可能性を秘めているのは彼女だけ。
「このまま海に隠れて。オーブに戻って、条約を破棄して。逆に、大西洋連邦に従って……そうして守れるものも、確かにあるだろうけど。コーディネイターとナチュラルが一緒に暮らせる場所は、失われる」

 あくまで中立を貫いて、再び連合軍に国土を焼かれるか。
 条約下、コーディネイター殲滅に手を貸すか。
 真意も掴み切れぬプラント議長の手を取り、連合を討つ側に回るのか。
 どれを選ぶか、違う道を模索するか。決めることすら投げ出すか――カガリに選択を強いる権利は、誰にも無いけれど。

「ここで引いたら、ダーダネルスで戦闘を止めたいんだって訴えたことすら、信じてもらえなくなると思う」
 事態を見過ごせば、どのみち彼女は後悔するだろう。
「だから、国や、自分の問題だけじゃなくて……全部、諦めたくないなら。君は、行かなくちゃ。そうだろう?」
 弟に問いかけられて、カガリは、全身で逡巡するようにうつむいた。
 ぎゅっと握りしめられた左手には、やはり小さな指輪が煌いていた。深紅の色彩が、灯火みたいに。
「どいて」
 ミリアリアは、すっとカガリの肩を押した。
「え?」
 金の双眸は不安げに揺れていた。ふと、思い出が脳裏を過ぎる。

『なにやってんの?』
『あ、トール! 見て、この子すごいのッ』
 緊張感に欠けた自分と、明るい少年の声。
 あれは砂漠で――カガリは得意げに、スカイグラスパーのシミュレーターに座っていた。
『おまえら軍人のくせに、情けなさすぎ。銃も撃ったことないんだって?』
 勝気で、自信に溢れ、なにひとつ恐れを知らないように映った。
 すぐに関わりも無くなるはずだったレジスタンスの少女が、実は祖国の姫君で……こうして、また同じ艦に乗っている。
 なにがどう転ぶか、未来というヤツは本当に分からない。

「あなたには、他にやることがあるでしょ?」

 どうすべきか、なにが必要だったのかなんて。すべて終わり、結果が出てからでなくちゃ判らないけれど。
 彼女の責務が、アークエンジェル通信士じゃないことだけは確か、だから。
「ここには、私が座る」
「ミリアリア……」
 ほんの一瞬、泣きそうな瞳をしたカガリは、こくんと頷いて席を立った。
 マリューの目配せを受けたノイマンが、さっと操舵席に移り、宣言する。
「アークエンジェル、発進準備を開始します」
 微弱な駆動音が伝わってくるブリッジで、インカムの音量、次いでコンソールの画面設定をてきぱきと調整し始めたミリアリアに、
「あなたがそこに座ってくれるのは心強いけど……でも、いいの?」
 やや気後れした様子で、マリューが尋ねた。
「ええ。世界もみんなも好きだから、写真を撮りたいと思ったんだけど――今は、それが全部、危ないんだもの」
 自分の足で歩かなければ、フィルムに収められない情景があるように。
 この艦に乗っていなければ、残せない事実もあるだろう。
 そうして彼らが各地の最新情報を必要としているように、アークエンジェルの動向もまた、ターミナルにとって情勢予測に不可欠だ。
「だから守るの、私も」
 ウインクしてみせると、キラは 「え?」 と面食らった顔をした。
「……そう。ありがとう」
 表情を和らげたマリューにも、笑みで返す。
 国どころか戦闘機も動かせないけど、二年間、遊んでいた訳じゃない。情報処理の知識も増えた。少しは、彼らの助けになれるはずだ。
「先に出るぞ! ミネルバが現れる前に、オーブ軍を止めないと――」
「僕も行きます。発進急いでください、ノイマンさん!」

 カガリとキラは、踵を返してブリッジを飛び出していった。
 ややあってモニターに、パイロットスーツに身を包んだ二人の姿が映る。波間を裂いて深海を飛び出した、アークエンジェルのハッチが開き、

『カガリ・ユラ・アスハ――“ストライクルージュ”、出るぞ!』

 管制アナウンスに従って、淡紅色のモビルスーツが。
 その軌跡を護るように “フリーダム” も、クレタへ出撃していった。



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27話 『振っちゃった♪』 完了ー!! 思えば、この爆弾投下が引き金でSSを書き始めたのでした。彼女のAA合流には、それなりの理由が欲しかったのです。よーやっと一区切りです。