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■ 怒れる瞳 〔1〕


 ミリアリアは潮風に吹かれながら、海沿いの道を歩いていた。
 独立を許されて、初の仕事。ディオキア南部に滞在している同業者と、情報交換に向かう途中である。

 少し迷ったけれど、コダックの付き添いは遠慮することにした。
 見習い期間が終わったとはいえ、師の元だからこそ積める経験は山ほどあるだろう。けれど戦時下にあっては、悠長に構えていられない――なにより共に居ては、どうしても甘え頼ってしまいそうだ。
 助力を、アドバイスを求めるのは、自分だけではどうにもならなくなったときに留めたいと言うと、
『相手に侮られんよう、せいぜい頑張ってくるんだな』
 コダックは、ふふんと鼻で笑い。
 おまえさんを連れ歩かんで済むなら身軽で良いわいと、朝から漁船に便乗して、ザフト基地の戦艦を撮影しに行ってしまった。夜にまた、宿で合流する予定になっている。

(完全に一人立ちする前に……車の免許、取らなきゃね)

 今回は拠点としている街から、バスを乗り継ぎ歩いていける範囲で済んだが、先々を考えれば必須技能になるだろう。デュランダルに関して、調べがついて懸念事項も無くなったら。

(本社の近くにある教習所に通おっかなー)

 ぼんやり考えながら、蛇行した細い道を進んでいると、ぶろろろろ――と背後から、鋭いエンジン音が近づいてきた。やけにスピード出してる感じね、と思った瞬間、
「きゃっ……!?」
 車道側。右肩にかけていた布製のショルダーバッグが、ぐんっと強い力に引っ張られた。
 紐がぶち切れそうな勢いで、すっぽ抜けたバッグが前方向に弧を描き、中に入れていた写真ファイルがばさばさ路上に散らばる。やや遅れて空になったバッグが、ひらひらべしょりとアスファルトに落ちたのを見て、ようやくミリアリアは何がどうなったかを理解した。

「す、すいません!」

 黒髪の少年が、ばたばた駆け寄ってくる。路肩に止められたエンジンかけっぱなしのバイクは、かなり大型だ。荷物が吹き飛んだタイミングからして、どこか車体の突き出した部分にバッグが引っ掛かったんだろう。
「俺、スピード出しすぎてっ――怪我、ないですか!?」
 おろおろと訊ねる彼の萎縮ぶりに、ミリアリアはちょっと笑ってしまった。
「だいじょうぶよ。ぶつかった訳じゃないから……」
 あのままバイクが走り去っていれば、なんて悪質なライダーだと憤慨していたろうが、少年には悪気の欠片もなかったようだ。
 幸い、左腕に提げていた、カメラやノートPCを入れたバッグは無事で。もちろん写真に傷がついては困るけれど、専用ファイルに収めていたから大丈夫だろう。相手は、10代半ば――まだ免許も取りたてに見える。被害も無かったんだし、あまり騒いでは可哀相だ。

「で、も! ……ノーヘルは危ないわよ?」

 ただひとつ、妥協しがたい問題点について。ミリアリアは腰に手を当て、さほど目線が変わらない少年の、まだ幼さを残す顔を覗き込む。
「あっ、う――」
 しまった、という表情で両手を頭にやり、
「…………すいません」
 ぶっきらぼうに謝罪する、彼の態度はふてくされた子供みたいだった。それでも、しっかり反省しているのは雰囲気から察せられる。
「次から気をつけてね。ヘルメットなしで乗ってると、あなただって危ないのよ?」
 ミリアリアが微笑んでみせると、少年は、ぱちぱちと目を瞬いて、
「ええーと、にっ、荷物……荷物!」
 気まずげに赤くなりながら頷くと、ぷいとそっぽを向き、四方へ散らばったままのファイルを拾い集め始めた。

 ほとんど車通りもない郊外の道路だったから、散乱したファイルの回収には五分で事足りた。
「これで全部ですか?」
「そうね。いつも持ち歩いてるの、七冊だから――」
 差し出されたファイルを、ぱらぱらとめくっていたミリアリアは、
「……あれ?」
 最も使用頻度が低いブルーのプラスチックファイル、その最後のページを見るなり、思わず声を上げていた。
 飛んだ拍子に解けたのか、フタの紐が外れていて――半透明ポケットに入れておいた封筒が、無い。
「足りないんですか?」
「えっ? ええ」
 我に返れば、少年が心配そうにこちらを窺っていた。
 反射的に肯定してしまって、少々後悔する。どのみち近くに落ちているはずで、自分で探せば済むことだ。気に病ませる必要なかったのに。
「いいのよ。仕事に使う写真じゃないし……それより、あなた急いでたんじゃないの?」
「いや、べつに――行きたいところがあったわけじゃないんで」
 すなわち単なるスピード違反。バツが悪そうに首を振った相手は、やけに真剣な顔つきで訊き返してきた。
「それに、その写真って、大事なものじゃないんですか?」
「え」
 ミリアリアは、不意をつかれ口ごもる。

 カメラマンの作品としては、二束三文にもならない代物。
 わざわざ訪れる人間など自分たちの他にいないだろう、小さな群島の風景。だが、あれは――

「探しますよ、俺の所為なんだからっ」
 とっさにごまかし切れず、表情を翳らせたミリアリアの様子に。なにを感じ取ったか、少年は、頑として問い質す。
「写真ですよね? どんな!?」
「う、海に……ぽつんて浮かんだ島の写真よ。2枚だけ、スカイブルーの封筒に入れてたの」
「わかりました!」
 勢いに押され教えると、頷いた彼は、すごいスピードで駆け出していった。

×××××

「あのっ!」
 二手に分かれ周辺を探していると、ほどなく少年がミリアリアを呼んだ。
「あれ、そうですよね?」
 指し示された、ガードレールを越えた崖中腹あたり。スカイブルーの長方形が、大樹に引っ掛かっていた。
「そうだけど――ここからじゃ、どうしようもないわね」
 転落防止線ギリギリから身を乗り出すようにして、それを視認したミリアリアは、困り果ててつぶやく。どこからかロープを調達してきて、ロッククライミングの要領で近づくか、
「麓に戻って崖沿いに迂回していけば、なんとかなるかな……」
 下へ降り、枝の根元を探し当てても、木登りしなければ届きそうにないなと考え込んでいると、
「そんな悠長なことしてたら、風に飛ばされて海に落ちますよ!」
 あろうことか少年は、ひょいとガードレールを乗り越えてしまった。向こう側は、空――もとい、直角に近いんじゃないかというくらい急斜面の崖である。
「ちょ、ちょっと? なにやってるの危ないわよ! 戻って!!」
 突飛な行動についていけず、うろたえ悲鳴を上げるミリアリアの眼前で、
「このくらい、どうってことありませんよ」
 驚くべき身軽さで、ひょいひょい崖を降りていった少年は。あっさりと封筒を回収、涼しい顔で岩場をよじ登って戻ってきた。

 無茶を叱るか、礼を述べるか。
 どちらを優先すべきか少し迷ったが、写真が無事に手元に戻ってきた嬉しさと安堵は、ごまかしようもなく。
「ありがとう」
 するっと出てきた言葉は、やはり感謝だった。
「いえっ、元はといえば俺の所為ですから」
 少年は、肩の荷が降りてホッとした様子である。
「ううん、助かったわ……私の運動神経じゃ、とてもじゃないけど降りられないもの。こんな急な崖」
 笑い返しながら、ミリアリアは、中身を確かめるべく封筒を逆さにした。
「?」
 ひらりと出てきた写真を、興味津々、横から覗き込んだ少年は――正直者と言うべきか何というか、きょとんと目を丸くした。
「なんっの変哲もない、写真でしょ?」
「あ、や、えー」
 彼が抱いたであろう感想を、先回りして言ってやると、あたふたと困ったように視線を泳がせる。生真面目な慌てぶりは、なんだかちょっと可愛い。
「でも、大切なものなんですよね?」
「人様に見せられるような出来じゃないんだけどね。私には、忘れられない場所で……もう撮れないから」
 苦笑いしつつ、ミリアリアは肯いた。
「え? 撮れないって」
 少年は、訝しげに問いかけてくる。
「どっちの島も、吹き飛んじゃったのよ。ユニウスセブンが落ちたとき」

 更にどうしようもないことに、ネガは捨ててしまっていたのだ。
 扱い慣れぬ新品のカメラで撮った群島の写真、それらは、焼き増ししたいと思える出来映えには程遠かったから――また来年も行くんだしと、変わらぬ未来を疑いもせずに。

 ミリアリアが答えたとたん、相手は目を見開き。ひどく悔しげに項垂れた。
「……すみません」
「あなた、もしかしてコーディネイター……?」
 出自を問わず、能力・容姿ともに優れた人物を見慣れているため、すぐにはピンと来なかったが――鮮やかな真紅の双眸や、ボーイッシュな少女にも見えるキレイな顔立ち、加えてさっきの常人離れした身体能力は、そうと解釈した方が自然だろう。
 少年は、ぎこちなく 「はい」 と肯いた。
 こんな街外れをバイクで走っていたところからして、おそらくディオキアの住人だろう。プラントへ避難しておらず、言動にもナチュラルに対する偏見があまり見受けられないあたり、キラと同じ第一世代のコーディネイターではという気がした。
「ユニウスセブンを落としたの、あなたなの?」
「ちっ、違いますよ!」
 尋ねるまでもないことを、わざと質問すれば、少年はムキになって否定する。いちいち反応が素直な子だ。
「だったら、謝るのはおかしいわ。あなたの所為じゃないんだもの」
 ミリアリアは肩を竦め、いたずらっぽく苦笑した。
「そんなこと言われたら私も謝らなくちゃ。プラントに酷いことばかりやっている連合軍を、止められずにいること」
「いや、それは! 悪いのはロゴスですからっ」
 相手の口から転がり出た単語を、少し不思議に思った。
「ロゴス?」
 それは “死の商人” ――プラントにおけるザフトのように、国防の任を負う公的組織ではなく――兵器を造り、売り捌くことを目的に軍需産業を手掛ける者たちの、呼称だ。
 コーディネイター排斥論者のテロ行為に、彼らが資金を提供していることは、報道関係者の間では言わずと知れた事実だが、ブルーコスモスの過激さが前面に出ているため、社会における “ロゴス” の認知度は低い。
 毎年どこからともなく湧いて出る害虫のごとく、いくら摘発しても焼け石に水の、厄介な企業集団である。
 ……武器の売り手はもちろん、買う側にも問題はあって、すべてロゴスの所為として片付けられる話でもないのだけれど。




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シンがステラに出会う、ちょっと前の出来事? まあ、同じ時間軸に同じ街にいたんだから、ミリアリアとすれ違ってもおかしくはないかな、と。ノーヘルについて突っ込みたかっただけなんです……危ないよ! てーか、バイクの免許持ってんの!?