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■ 怒れる瞳 〔2〕
「そうかもしれないわね――」
自分より年下と思しき少年が、ブルーコスモスの背後にある “ロゴス” を認識していることに、感心しつつ頷くと、
「あの……コーディネイター、怖くないんですか?」
彼は、神妙な顔を向けてきた。
「え?」
質問の意図がとっさに理解できず、戸惑う。
(責められる、って思ってたのかしら)
犯人グループと同じコーディネイターであることで、事件後、誰からか詰られたんだろうか?
「そうね。オーブ生まれだから、私」
ナチュラルすべてが、あなたたちを毛嫌いしているわけではないと伝えたくて、祖国の名を持ち出す。
「オーブ?」
「ええ。もう、しばらく帰ってないけど……コーディネイターの友達もいるしね」
師に連れられて、世界を渡り歩くようになってから。初対面の相手に、自分の価値観を示すには、これが最も手っ取り早かった。
取材先で出会ったコーディネイターたちの “平和の国” に対する反応は、おおむね友好的で。
大西洋連邦の圧力に負け、条約に加盟してしまった現在でさえ、代表の苦渋に一定の理解を示してくれる者が多くいた――というより、オーブに悪感情を抱いている人間に、これまで出会わなかっただけなのかもしれない。
「帰る必要ないですよ、あんな国!」
突然、荒いだ声が返ってきた。
直情径行で素直そう。そんな、あどけなかった第一印象は消え失せて――真紅の瞳には、暗い憎悪が渦巻いている。
「あんな国、って」
思いもよらぬ反応に、ミリアリアは当惑した。
「中立だの理念だの散々偉そうなこと言ってたくせに、連合にミネルバ売り渡して、ふざけた条約に加盟してッ!」
少年は、激した語調で吐き捨てる。
正直ムッとした。どんなにカガリが孤軍奮闘していたかも知らないで、好き勝手を言ってくれるものだ。
(……まあ、この子が知ってる方がおかしいんだけど)
為政者の苦労が、他国で暮らす一般市民に伝わるはずもない。自分とて、彼女について把握していることなど微々たるものだ。それでも、
「だったら、オーブ政府がどうしていればよかった? 条約調印を拒否して、ザフト艦を匿って――大西洋連邦を敵に回して、二年前みたいに攻め滅ぼされればよかった?」
その心情すら考慮されず、カガリが。
祖国が非難されているのを黙って聞き続けるなんて、我慢ならなかった。
「連合に加担してコーディネイターと戦えばよかった? それともプラントと手を組んで、ナチュラルを殺せばよかった?」
「それはっ……!」
少年の表情に、さっきとは別種の陰りが浮かぶ。
「私も、今のオーブの方針は間違ってると思う。国家元首を送り届けてくれた “ミネルバ” を、あんなふうに連合に追従して売り渡していいはずがないわ」
異見を拒絶してはならない。完全な思想、絶対的に正しい主張など存在しない。過信は傲慢、卑下は逃避だ。
歩み寄ることを望むなら、まずは他者の話に耳を傾ける姿勢を示せ。
建前を侮辱されても傷つきはしないけれど、秘めた想いは――なにより指摘されて痛い心の奥底は、誰しも、無意識に隠しておこうとするものだから。
負の感情から目を背けず、それらを許容できなければジャーナリストなど務まらない。
「だけどアスハ代表も、大西洋連邦の要求に従いたかった訳じゃない。この情勢下で国を守るためには、他にどうしようもなかったのよ」
かつて師に教わったことを。裏づける過去の出来事を、順に回想しつつカガリを擁護すると、
「だったら! 最初っからそうしてくれてれば、父さんや母さん、マユだって」
怒鳴り散らしていた少年は、途中でハッと口を噤んだ。その剣幕と、途切れた言葉が意味するところに、
「あなたの家族……亡くなったの? あの戦争で?」
ようやくミリアリアは、彼が憤怒した理由を悟る。オーブ政府の避難誘導が間に合わず、戦いに巻き込まれたのか。
「殺されたんだっ、アスハに!!」
そこに仇を見ているかのような、炎に似た眼光。
理不尽にも感じる糾弾をぶつけられて、真っ先に湧き起こったのは――困惑や憤りではなく、既視感だった。
(…………フレイ……)
二年前。
アルスター事務次官を乗せた先遣隊が、クルーゼ隊に沈められた直後。
嘘つきと、キラを責めた。パパを返してと泣き叫んだフレイの表情と、少年のそれは酷似していた。たぶん――あのとき医務室で、ディアッカに向け刃を振りかざした自分とも。
「そうね。アスハ家は、国を守りきれなかった」
見殺しにしたという解釈も、成り立つ。
理念を捨てさえすれば、他の選択肢もあっただろう……一時凌ぎの道なら。
ミリアリアとて、考えなかったわけではない。
モルゲンレーテが、連合の新型モビルスーツ製造に手を貸してさえいなければ。自分たちが戦場に投げ出されることはなかった?
トールは、今も元気に生きていて。
私は、彼の隣で笑っていたかもしれない。
「でも……あなたが、あの頃オーブに住んでいたなら、ずっとウズミ様の外交手腕に守られていたのよ? 世界中が戦争をしている時代に、一番最後まで平和の中にいられた」
けれど過去を書き換えることは出来ない。
親しい、愛しい人を奪われた。それは他者に代償を強い、傷つけることの免罪符にはならない。けっして。
「代表首長は、確かにオーブの象徴かもしれないけど――国を形作るのは政治家じゃない。そこで暮らしていた人間、みんなよ」
信頼と依存は、似て非なるもの。
「ただ守られているだけで、守る力を持たなかった私には。あなただって、誰かを一方的に責める権利なんて無いわ」
今は亡き友人を。過去の自分を。
強く思い起こさせる少年を見つめ、ミリアリアは訊いた。
「連合の暴挙は、ロゴスが裏で糸を引いているのに。あなたの家族が亡くなったのは、アスハ家の所為なの?」
ジョージ・アルスターを撃った敵兵は、キラではなく。
トールを戦場に送り出してしまった軍人は、私自身なのに?
「…………!?」
少年の肩が、びくりと震えた。
こわばる表情を過ぎった色は、混乱か。それとも怯え?
だが彼は、それ以上なにを問いかける隙も与えなかった。キッと唇を噛みしめ、唐突に踵を返したかと思うと、
「あ、ちょっと!」
エンジンをかけっ放しだったバイクに飛び乗り、猛スピードで走り去っていく。
あっという間に、遠ざかる後ろ姿――追いつく手段などあるはずもなく、ミリアリアは路上に立ち尽くした。
しばらく呆然とその場に突っ立っていて。
危ねえだろと言わんばかりに、けたたましいクラクションを鳴らしながら、車が一台通り過ぎていったところで。
「…………」
ようやく我に返ったミリアリアが、真っ先に思ったのは 『カガリが、ここにいなくて良かった』 ということだった。
敬愛する父親、ウズミ・ナラ・アスハを喪い。
友達だったM1パイロットたちも、ヤキン・ドゥーエ攻防戦の最中に戦死して。
国を守るため必死に努力して、信念も恋心すら犠牲にしようとしていたのに――あんなふうに元国民から人殺し呼ばわりされては、たまったものではないだだろう。
連合に従うこと。理念を貫くために戦うこと。そのために失われ、危険に晒されたものを思えば、確かに正しい選択だったとは言い切れない。
だが、どちらを選んだところで責め詰るならば、いったい他にどうしろというのだ?
侵略を許さぬ武力。強固な意志。
かつてオーブで暮らしていて、戦争によって家族を亡くしたというなら。大西洋連邦に牛耳られた世界で、中立を貫くことがどれだけ困難か、察しがつかないほど子供でもないだろうに。
「ダメだなぁ……私……」
ふらふらとガードレールに寄りかかり、しゃがみ込んで。ミリアリアは、抱きしめたバッグに顔をうずめた。
泣きたいような気分だが、不思議と涙は出なかった。
悔しいのか悲しいのかも、よく分からない。
これから仕事なんだから、さっさと目的地へ向かわなければならないのに、腰を上げる気力すら湧かない。どこかのカフェで、ゆっくりランチでも食べようと時間に余裕を持たせていたことが、せめてもの救いだった。
今の自分は、そうとう情けない顔をしているだろう。こんな状態のまま、待ち合わせ場所には行けない。
相手の事情を知っても。
だからこそ、カガリが置かれた苦境を解ってほしいと思ったけれど――結果、少年の怒りに油をそそいだだけのような気がしてしまう。
我は押さえ、相手の心情を踏まえて話をする。取材中のコダックは、ごく簡単にそうしているように見えるのに――いざ倣おうとしたら、なんて難しいことだろう。
他人の落とし物を、親身になって探してくれた少年が。
アスハの名を聞いただけで、あんな怒り狂った瞳で、オーブの全てを否定する。
認められたくて、そうしたわけじゃない。
あのとき誰がなにを思っていようと、彼には知る由も無いけれど……。
ウズミ様の遺志、カガリの苦渋を。
裏切り者の汚名を負ってまで、三隻同盟に身を投じた人たちの葛藤や、自分の決意もすべて否定されたかのようで、どうしても憤りを押さえられない。
だが――かつてのフレイや、自分を思えば。
アスハに憎しみを向けることで、家族を亡くした喪失感を紛らわせているんだろう少年には、そんな事実など、なんの意味も成さないと解りきっていた。
境遇的には、けっこう似てる2人だと思います。しかしミリィに、シンの説得は無理だろうなー。爆死した家族の遺体を見てしまうショックって、戦闘中行方不明の比じゃないでしょう。やっぱり。