■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

NEXT TOP


■ 開く扉


「そうと決まれば、のんびりしていられないな」
 興奮冷めやらぬ空気の中、誰もが、キッと表情を引き締め。
「とりあえず、彼らは――オーブへ戻る人員を決めるんですよね? ここじゃ狭いし、食堂にでも案内しますか」
 チャンドラの問いに、マリューは肯いて返した。
「ええ、立ったままじゃ身体も休まらないものね。コーヒーくらいは出せるでしょう」
「……かたじけない」
 アマギを筆頭に、口々に謝辞を述べる男たちを、ノイマンが冷静にうながす。
「他の部隊より極端に遅れては、不審がられますよ。引き返すなら、一時間以内を目処に出立した方がいい」
 頷いたオーブ兵の集団は、チャンドラに連れられてブリッジから退室していった。

「キラ君、彼らの護衛を頼めるかしら」

 自動ドアが閉まり、人口密度が急激に下がったところで、マリューが遠慮がちに切り出した。
「ミネルバは、たぶんジブラルタル基地に補給物資を要請しただろうから。ここを出たら、移動中のザフト軍に発見される可能性があると思うの」
「分かりました」
 快諾したキラは、そのまま傍らの姉を窺う。
「ちゃんと、この海域を抜けるまで送っていくから。任せて?」
「……私も行くとか言わないから、安心しろ」
 カガリは少しむすっとして、それでも嬉しげに肯いた。
 他には――と視線を巡らすマリューに、黙考していたノイマンが 「艦長、ムラサメの修理は?」と問い。
「え? マードックたちが作業を進めているはずだけど」
 返答を受け、 あの人たちのことだからな……と呟いた彼は、おもむろに操舵席へ戻っていった。
「整備班、聞こえるか?」
 艦内通話をオンにしたらしく、正面モニターに 〔おう、どうしたノイマン〕 と、工具ケースを抱えたマードックが映る。
「ああ、すみません。格納したオーブ軍の機体は――」
〔どれもこれも派手に被弾しちまってるからなぁ。きっちり直すには、半日かかるぜ〕
「それなんですが、あと30分で終わらせてください。戦闘後に整備を受けたと、第三者から悟られない範囲に留めて」
〔はァ!?〕
 マードックは、あからさまに顔を顰めたが、
「あ、なるほど……あまり完璧にしたら、軍本部の技術スタッフに怪しまれるわよね」
 マリューが納得する様子を目の当たりにして、タオルごと首をひねりつつ訊き返した。
〔なんの話ですかい、艦長〕
「カガリさんの言葉を伝えるために、乗艦した人たちの半数以上がオーブに引き返すそうなの」
〔――なら装甲は放っといて、動力系統のチェックと、艦隊合流に必要な燃料だけで?〕
「メカニックとしては不本意でしょうけど、お願いね」
〔了解〕
 思いの外あっさり渋面を引っ込めたマードックは、ひらっと片手を振り、そこで通話が切られた。

×××××


「もう、ずっと……誰もいないと思ってた」

 ぽつんと声を落として、カガリは、自室のサイドテーブルに置いていた資料の束を手に取った。
 つい数時間前に “中継点” 経由で送られてきた、通信文をプリントアウトしたもので、オーブに関して調査された事柄の数々が記されている。リポートの文体が、コダックとは桁違いに丁寧だから、まとめたのは同行していたフジあたりだろう。

「私の言葉に、意味なんか無くて。オーブに居ても、外に出ても、なにも変わらないんだって」

 サイの父親を始めとした、政府高官の生の声。
 賛否入り乱れ、紛糾する世論。
 これまでと、これからにおける問題点の指摘。
 カガリの出方次第では、味方になってくれるであろう人々と。先を見据えるなら、協力を仰ぐべきと思われる逸材の名。
 それにターミナルが提言する、アスハ代表、並びにアークエンジェルの行動指針。

「でも――聞いてくれる人たち、いたな」

 撮影前にもう一度、考えを整理するため目を通しておきたいと言ったそれを、彼女は胸に抱きしめる。

「知り合いにさ、暇さえあれば悩んでる奴がいるんだ。昔っから、考えてもどうにもならないようなことばっかり、うじうじうだうだ、くそ真面目に。ハツカネズミじゃあるまいし」
 それはまた、ずいぶんと難儀な性格の人がいたものだ……心当たりが無いから、アスハ縁の人物だろうか?
 小首をかしげるミリアリアの隣で、キラは苦笑していた。
「一人でぐるぐる考えてたって、同じだって。だから皆で話すんだろって、私、自分で言ったのに。不器用なヤツだって、呆れてたくらいなのに」
 ホントに解ってなかったんだなと、カガリの唇から自嘲がこぼれる。
「見えなくなるときも、あるんだって知らないで。今の今まで、そんなふうじゃ――もう、あいつのこと馬鹿だなんて言えないな」
「それは……共感するって、難しいわよ。やっぱり」

 喪失の痛みは、なにかを決定的に無くすまで。
 憎悪という感情は、誰かを殺してやりたいと思い詰めるまで、きっと本当には分からなくて。
 
「似たような体験したって、たぶん、完全に同じ想いにはなれないだろうし。理解したつもりになってる方が、良くないんじゃない?」

 昔、ワガママで甘え上手な、寂しがり屋の少女を知っていたけれど。
 彼女が父親を失ったとき、手を伸ばせる距離にいたけれど。
 なにひとつ分かっていなかった、知らずにいた――だから、今なら口が裂けても言えないだろう、どこまでも道徳的で無神経な台詞を吐けた。
 守ろうと、必死に戦ってくれた人がいた?
 ずたずたに張り裂けた心に、もう二度と戻らないものに、そんな感傷がなんの気休めになる。

「……それもだ」
 カガリは、だらんと腕を垂らして天井を仰いだ。
「分かった気になってる方がおかしいって、言ったのになぁ――」
「でも……過去のことは、どうやったって変えられないけど」
 聞こえてきた盛大な溜息に、浸っていた記憶から我に返り。ミリアリアは、慎重に言葉を選びながら言う。
「今は、そういう気持ちになったんだから。次に、その人と話すときは、前よりしっかり向き合えるんじゃない?」

 会えるなら。
 探しに行ける、場所にいるなら。

「そっか」
 少しだけ微笑んだ彼女は、半ば独り言のように呟いた。
「話せるかな、また? 解っていけたら、いいな……これから」
 資料の文面に視線をやり、左の指でつうっと細かな文字列をたどる。
「行政府の、みんなも――いつか聞いてくれるかな? 私が、ちゃんと考えたら、もっと政治家らしくなれたら」
 その声が急激に湿りを帯びて、あっと思ったときには、またもやカガリの涙腺は決壊していた。
「泣いちゃ、ダメだって」
 ごしごしと袖で頬を擦りながら、不規則にしゃくりあげる。
「前にも……言われて、た……ん、だけどな……キサカが、見たら、呆れるな」
 悲しくて泣いているのか嬉しいのか、それとも安堵の類か見当がつかず。ミリアリアが、傍らの友人と顔を見合わせおたおたしていると。
「だいたいっ、キラなんか……会ったばかりの頃、しょっちゅう隠れてべそかいてたくせに!」
 気恥ずかしさを隠すためか、それとも心底腹立たしいのか、彼女は顔を真っ赤に染めながら弟を指してわめいた。
「泣かないでとか、おまえに言われちゃおしまいだ――」
「いや、ほら。オーブの代表が、国民の前で泣いてたら示しがつかないだろうから……アマギさんたちの居るところでは、ね? 今は、僕たちしかいないから。気にしないで」
 矛先を向けられたキラはたじろぎつつも、泣きじゃくる姉を必死で宥めにかかった。
「僕も――今でも時々、泣きたくなるときあるけど」
 むず痒そうに頬を掻き、それから優しい眼をして微笑む。
「大丈夫だから。泣いてもいい、泣けるんだから……って。昔、言ってくれた人がいたよ」
「…………」
 カガリは涙目を瞬かせ、視線をゆっくりこちらに移した。
「うん。今のうちに、わーっと吐き出しといたら?」
「……でも」
 ミリアリアが部屋から持ち出してきた、小型カメラと記録メディアを見つめ、ぐしっと啜り上げる。
「そりゃ、撮影までには落ち着いてもらいたいトコだけど。無理に、すまし顔でいる必要もないと思うわよ。自分の気持ちを話すんでしょう?」
 金の瞳がゆらゆら揺れて、しかし透明な水滴は細波のまま、すうっと消えていった。
「カガリ?」
 大洪水を予想していたんだろう、キラがきょとんと彼女の顔を覗き込む。
「いや、なにか……引っ込んだ、かも」
 そろって不思議そうに首をかしげる双子の様子に、ミリアリアはぷっと吹き出した。
「なにそれ」
「分からんが、とにかく撮影だ!」
 涙の痕を残したまま、ごまかすように 「顔、洗ってくる」 と言い置いて、づかづかとドアに突進して行ったカガリの後を、キラと一緒に苦笑しつつ追いかける。


 肩で風を切るように、通路を突き進む彼女の右手で、白い紙がはためく。


『理念を誇る人々とて、その気質は様々です。自発的に動こうとする人間ばかりではありません。むしろ、受身にかまえている者たちが圧倒的に多い――危機に瀕してようやく重い腰を上げる、請われてようやく自信を、あるいは自覚を得て奮起する――』

 世論を味方につけようと考えるなら、鍵となるのは熱狂的な支持者ではなく、そういった流動層。
 だから政治家は徒党を組み、演説する。

『耳に心地良い賛辞を贈る者ばかりが、理解者ではなく。異質に思える者の言動にも、一片の真実がある。あなたの想いが全てではなく、誰かの意志が絶対の正当性を持つこともない。自由と混沌、正義と抑圧は紙一重――時が流れる限り、世界は変わり続けます。かつて “獅子” が貫いた在り方も、いずれ緩やかに変化の途を辿るでしょう』

 語りかけるような口調の、通信文の末尾にはこうあった。

『願わくば、オーブの伝統ではなく、お父上の遺志でもなく――しなやかに多様性を受け入れ高みに昇り得る、ご自身の理念を見出されんことを』



NEXT TOP

運命では、キラ泣かなくなったなぁ……としみじみ。良くも悪くも戦時中に、喜怒哀楽の感情が磨耗したまま、ダメージが回復しきってないんだろうなぁと思います。壮絶だったからなぁ……無印最終回。