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■ 午前零時の鐘が鳴るまで 〔2〕
――カレンダーの升目は、800ほど昔に遡る。
その日、ディアッカは独り、アークエンジェルの食堂にいた。
渇いていたわけではなく、空腹だったわけでもない。ただ、なんとなく自室へ戻る気が起きず。
当て所なく艦内をうろついているうちに、だるくなったタイミングで目に留まった無人の空間が、たまたま “そこ” だっただけのこと。
無機質に冷え切って、そのくせ白々と明かりに照らされた情景は……もしかすると、自身の心理描写に似ていたかもしれない。
ジャケットの背を丸め、ぽつねんと長椅子にかけている様は、傍から見れば、苦悩を絵に描いたような姿だったろうが――実際には、なにも考えていなかった。
ひたすら億劫で、疲れているはずなのに眠くもなく、だから座り込んだまま動かずにいた。
「…………」
不意に、傍らで揺れた空気が頬をかすめ。
嫌々ながらの鈍さで反応した視覚は、すっかり見慣れたピンク色を捉える。椅子ひとつぶん離れた右側に、栗毛の少女が座っていた。
ついでに壁時計に目をやれば、とっくに夜の11時を過ぎている。
「……なんか用?」
わずかに浮かんだ戸惑いは意識の表層をすべり落ち、ディアッカは、平坦な口調で問う。
「そんなもの、ないわよ」
ふてくされた態度で、彼女は答えた。
「ただ、部屋に一人だと、気が滅入りそうだったから」
用も無いのに向こうから寄ってくるとは、珍しいこともあるものだ――ぼんやり考え、すぐに煩わしくなって目を逸らした。だが、ミリアリアはなおも話しかけてくる。
「あんた、どこか怪我でもしたの?」
「それなら今頃、医務室に縛りつけられてると思うけどね。おっさんと並んで」
ほんの一時間弱、メンデルで別行動を取っていた間に、フラガは脇腹を負傷。キラも心労で倒れ。
頭数を揃えているM1部隊には悪いが、三隻同盟の戦力は半減している状態だった。撒いてきた敵艦隊の、追撃の手が及ばないことを願うより他にない。
「……だって、シェパードっぽくないじゃない」
「はぁ?」
「いつもは仮眠してたって、人が近づいたら起きるのに。私が座って物音たてるまで、ピクリともしないし」
焦れたように言う彼女は、要するに、注意力散漫を指摘したいらしかった。
「コロニー内にザフトがいたんなら。なにかあったの、キラと少佐だけじゃないでしょ」
「べつに」
後に、聞かされた話によれば。
そうやって否定してみせたとき、自分は、穏やかにさえ映る笑みを浮かべていたらしい。
「やりにくいのは確かだけどな……同僚だった連中と敵対するの分かってて、こっちに残ったんだし? どうってことねーよ」
ミリアリアは、内心で。
見栄っ張り、嘘つき、分からず屋と、あらん限りの罵詈雑言を渦巻かせていたという。
「……あんたたちが、中に入っていってから、ずっと……呼んでたけど……電波干渉ひどくて、ノイズしか返って来ないし」
表面を飾ろうとして役目を果たさなかった、無意識のそれが。
ガラにもなく “相手を心配させまい” という気持ちからだったのか、他者の存在を意識した習慣による条件反射か。
もしくは 『きっと傷ついているはず、だから』 という少女の、思い込みに歪められた代物でしかなく――己の気質を踏まえれば、しょげた様子の彼女を嘲笑っていた可能性もあるのだが。
「機体ごと、撃たれて、通信に出られないんじゃないか、とか……クルーゼ隊の人が迎えに来てて、向こうに帰ったんじゃないかって、ごちゃごちゃ」
ただ横で、ほとんど一方的につぶやき続けるミリアリアの存在を、持て余し。
「そりゃ、どうも。ムダな心配ごくろーさん」
鬱陶しいと告げて追い払うか、自ら食堂を出て行くかの二択で揺れながら、ぶっきらぼうに相槌を打ったディアッカは、そこでギョッと瞠目した。
「ずっと、シグナル――ロストしたままになるんじゃないかって、考えたら、怖かったし。あんたがザフトに戻れるんなら、その方がいいんだって思ったけど。敵同士になるのも、もう嫌だし――だけど」
肩を落としうつむいた彼女は、両手を膝の上で握りしめたまま、ぼろぼろ涙をこぼしていた。
訳が分からず驚き、さらに少し呆れて、ディアッカは溜息混じりにぼやく。
「あのさぁ……泣きたいのは、こっちなんだけど?」
フラガに艦長が付き添っているように、労られて然るべきシチュエーションだと思うんだが。なんだって、ミリアリアの方が取り乱してるんだ? 心情ストレス諸々ひっくるめて、逆だろう、フツー。
「じゃあ、さっさと泣きなさいよッ、泣いてる私が馬鹿みたいじゃないの!?」
揶揄された彼女は、激戦を潜り抜け帰還したパイロットを慰めるどころか、火が付いたように怒りだした。
「なんなのよ、あんたは? そんな今にも死にそうな顔して、なにがどうってこと無いのよ――痩せ我慢も、たいがいにしなさいよね!!」
「…………あー……」
初めて深く関わったナチュラルの言動は、いつだって理解の範疇を越えていた。
「どうやるんだっけ、泣くって?」
「人に訊くことじゃないでしょうが! 涙腺のコーディネイトでもされてるわけ? なによ、その無駄な技術――」
宥めようと試みても、ろくな台詞が出て来ずに。
ミリアリアは、さらに激しく泣きじゃくる。白い頬を濡らす透明な雫は、とめどなく。
「そうだねぇ」
進歩ねえなあと、己のボキャブラリーの貧困さを嘆きつつ、ディアッカは苦笑した。
なにをやってるんだろうな、俺たちは。
『僕は、人の自然そのままに、この世界に生まれたものではない』
ふと、脳裏を過ぎった。
プラント社会の、始祖とも言うべき男が残した、一節。
容姿・能力ともに “ナチュラル” と一線を画し、世界中に名声を轟かせたファーストコーディネイター、ジョージ・グレン。
(……おい、この惨状が見えてるか?)
あんたが願った 『僕に続くもの』 は、現れなかった。華々しく公開してくれた遺伝子操作の技術は、争いの種にしかならなかったよ。
頭脳明晰って割に、ずいぶん能天気だったんだな。いったい人間に、どんな夢想を抱いた?
物心ついた頃から誉めそやされて、誰もが自分のようであれば幸せになれると思ったか?
それは、たぶん傲慢だったよ。思い上がりでさえなかったなら、疑いもしないほどに信じ切っていたんなら――コーディネイターの存在意義も最初から底が知れてたってことだな。
いや、もしかしたら……死ぬ間際には悟っていたか?
“母なる自然” ですらないものに齎された不公平を、恨み憎んだ、ナチュラルの子供に殺されたそのときに。
コーディネイターを “宇宙の化け物” と妬み、虐げる、本来同胞だったはずの者たち。
元から戦争を繰り返していた人類の、エゴと保身は捻じ曲がって炎を噴き上げ。
もはや遺伝子操作そのものが、金で玩具やアクセサリーを買う感覚に近い、安易で独善的な道楽のひとつと成り果てた――真空の箱庭では、コーディネイターであることに興奮も熱狂も伴わない。肥大化して受け継がれたのは、役にも立たない優越感とプライドばかりだ。
『ヒトとヒト、そして人と宇宙に調和をもたらす調停者』
ご大層な話だよ、聞いて呆れる。
他者や、世界との関わりにおいて、コーディネイターである必然性は皆無だ。卓越した能力など、相手によっては妨げにしかならない。
現に自分は、友人ひとり納得させられず、女の泣き止ませ方すら思いつかないってのに……なあ、ミリアリア?
×××××
「俺より、コロニーの中で会ったヤツの方が……泣きそうだったよ」
軍服の袖で頬をこすりながら、落ち着かなきゃと、必死に呼吸を整えるミリアリアの隣で、
「“デュエル” のパイロット――癇癪持ちの美人でさ、眺めてて飽きないっつーか。けっこう仲良かったんだぜ? 軍じゃ、たいてい二人でつるんでて」
自嘲混じりに肩をすくめつつ、ディアッカは懐かしむような眼をしていた。
「裏切り者って、怒鳴られたけどな」
「当たり前でしょ!?」
思わず叫んだ声が、だだっ広い食堂にわんわんと反響する。
「行方不明になった友達が、生きてたと思ったら、敵艦に混ざってるなんてッ……誰だって怒るわよ、そんなの!」
だから、あのときオーブでさっさと避難してればよかったのに。
そうしたら戦わなくて、無くさなくて済んだものの方が、きっと多いはずなのに。
「敵、か」
つぶやきと共に眇められた、紫黒の眼は天井を仰ぎ。
「なった覚えは無い、プラントを裏切ったつもりもない――って言っても、あいつ聞く耳持ってねーしなぁ。こっちは丸腰で話に行ったのに、速攻で拳銃、突きつけられるし? よく無傷でメンデル脱出できたよねぇ、俺」
「……バカじゃないの」
“バスター” と “デュエル” が対峙した、両機のパイロットが言い争う情景を思い浮かべたら、もう堪らなくなって。
「あんた絶対バカよ。もうダントツ、世界一の大馬鹿!」
ミリアリアは、感情任せに喚き散らす。
ああ違う、こんなことを言いたかった訳じゃない。私が苦しいとき一人じゃなかったように、せめて、話し相手になれたらと思って来たのに。
「ホントに、その人が聞く耳持ってなかったら、とっくに撃たれて死んじゃってるわよ!」
だけど最初から、かけられる言葉なんて。
アークエンジェルは連合から離反して、エターナルもザフトに追われ、オーブが焼かれた今――逃げ込める場所なんて何処にもあるはず無かった。
選んだ道を、前へ進むしかないのに。
嫌だ、なんて。
警報が鳴り響き、計器のランプはひっきりなしに点滅して、ブリッジの外を閃光が奔り抜ける。被弾の衝撃が、脳細胞を掻き乱す。送り出したモビルスーツは、パイロットは、傷だらけになって帰ってきて――そうしたら、また 『発進どうぞ』 って言わなきゃいけない。
オペレーターの仕事だから、送り出さなくちゃいけない。死と隣り合わせの、戦場に。
怖い。
見失うのが、怖い。
だって私は戻って来ない人を、探しに行くことさえ叶わない。
祈りを、願いを聞き届けてくれる、神様なんかいないのに。
どんなに大切で、あったかくて確かに信じたものだって、ある日ぷっつり突然に手のひらから零れて無くなるの。
ああ良かった大丈夫だった……って、安心した端から心臓がギリギリ軋む。
いつになったら終わるの。
解放される日が、来るの? まるでブラックホールみたいな、出口の見えない迷路から。
「ここ、宇宙なのよ? 絶対また、ザフトとぶつかることになるのに、アークエンジェルに戻って来てどうする気よ――」
トラブルになったら自力でどーにかするって、散々偉そうなこと言ってたくせに。ちっとも割り切れてなかったんだ、こいつは。
生まれも育ちも違いすぎて理解に苦しむ相手だけど、そのくらい分かる。
「……しょうがねーから撃たなきゃ、なんだろうな」
今まで見たこと無いくらい暗い眼をして、なのに淡々と他人事みたいに。
普段はへらへら饒舌で、勝手気ままに振る舞ってるのに、こんなときだけ感情に蓋をして冷めるまで待つのは軽視、不信。それとも意地、誇り?
「なにが仕方ないのよ!」
そうやって押し込めてやり過ごそうとしたものに、取り返しがつかなくなっても。
「あんた、コーディネイターなんでしょ? 優秀で、頭良いんでしょう? だったら、なんとかしなさいよ」
平気だ、なんて嘯いてみせるんだろうか。
身体だけ無事でも、傷だらけで放っておかれた、心は、じわじわ膿んで擦り切れ潰れてしまうかもしれないのに?
「その人、殺さないで。誰も死なせないで、ちゃんと生きて帰って来なさいよ!!」
ああ。我ながら、ムチャクチャを言う。
出来っこないと、理性の片隅が非情に告げてる。
気持ちだけで、どうにかなる問題じゃないのに。
なんで私は、慰めらしい言葉のひとつも考えつけないんだろう。
情けなくて歯痒さが止まらなくて、ミリアリアは、駄々をこねる子供のように泣きじゃくっていた。
「なー、イザークって俺より強いんだよねぇ」
しばらく黙り込んでいた彼が、唐突に、世間話でもするような調子で呟いたので。
「いざー……く……?」
意味も分からず繰り返し、首をかしげる。
話の流れからして、仲が良かったっていう友達の名前だろうか。
「軍人なら、撃ちたくないから見逃せなんて理屈、通んねーだろ。これから先、出撃して無傷で戻れる可能性もゼロに近いし」
そう言ってディアッカは、なぜだかニヤリと笑った。
「だからさぁ、予約。取っといていい?」
ずっとろくに視線を合わそうとしなかった相手が、急にこっちを向いたので、ミリアリアは安堵と同時に困惑する。
「俺が怪我して戻ってきたら。専属ナース、おまえね」
「は?」
「疲労困憊で帰って来たとこに、おっさん連中の暑苦しいツラなんざ見たくねーからな」
続いた台詞がこれまた、さっきまでの深刻な空気に沿っていない。
(ちょっと待ってよ。なんで、そうなるの?)
空元気かと勘繰ったが、眼差しに見え隠れしていた翳りは消えてしまっていて――睨んだり角度を変えても探り出せなかった。
「瀕死の重傷なんか、治せないわよッ」
なんとなく騙されたような気分で、涙目のまま憎まれ口を叩くと、
「死なない程度に奮闘してくるって」
「だったら消毒液、塗りたくってやるんだから」
「……手取り足取り教えた、応急医療を活用してほしいんですケド?」
すかさず軽口で返された。取られてないわよ足なんかと、腹立たしさのあまり揚げ足取りに傾く、ミリアリアの思考。
「あんたが、被弾しなけりゃ済む話でしょうが!」
「ごもっとも」
不敵に口角をつり上げる表情は、拍子抜けるくらいに見慣れたもの。普段どおりのディアッカだった。
ホッとして、目元をごしごしやっていると。
タイミングを見計らったように、食堂に、午前零時を告げる音が鳴り響いた。
「……日付、変わったな」
寝起きのような調子でディアッカが言い、ミリアリアはこくんと頷く。
「休めるうちに、眠っとかないとな」
「うん」
「一緒に寝る?」
「う……」
疲れに加えた惰性で、うっかり首を縦に振りかけ、一時停止。のぼせた頭が口撃に出るよりも早く、右手が動いた。
「寝言は、寝てから言いなさいよー!!」
ばっちーん、と小気味良い感じのビンタが炸裂して。
ミリアリアは憤然と食堂を出て行き、翌朝また、どっぷり自己嫌悪に陥ることとなったので。
「少しは気合、入ったかな――」
残されたディアッカが、ひりひり痛む頬を押さえつつ満足げに目を細め、それから朝まで心地好く熟睡したとは……思い出話に花が咲く数年先まで、知ることはない。
久々の回想シーンで……我ながら、どうしてジョージ・グレンになんか言及しているんだろう?(汗)
でもまあ、続編では放っておかれたテーマ、遺伝子操作の是非や倫理観とかですね(今更だな)