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■ 雪降る海の、夜明け前 〔2〕
ストップウォッチで計ればコースレコードを記録したろう勢いで、駆け込んだ格納庫――宇宙をヒトに模したような、巨大な機影がそこに在った。
パイロットスーツを纏い、それぞれ点検作業に勤しむ青年たちの姿は、漆黒に溶けるようで。
闇色の中、真っ先に識別した黄金へ向け、ミリアリアは声を張り上げた。
「ちょっと、ディアッカ!!」
とりあえず間に合った、と思ったら気が抜けて。肩で息をしつつ、手近に転がっていたコンテナにぐったり凭れる。
「……ミリアリア?」
モビルスーツ肩部にあぐらをかいていたディアッカは、片眉を跳ね上げ、斜め後方へ目線を投げた。
「ったく、おっさんはよー。寝てるヤツら起こす必要ねえってのに――鬼だな。ダミ声のモーニングコールって最悪じゃん?」
「起こしたんじゃねえ! ちーっと内線鳴らしてみたら、たまたま起きてたんだよ」
「こいつら全員?」
「おう! キラたちも、すぐに来るとさ」
問われたマードックは、大威張りで怒鳴り返す。
そう言われてみると確かに、古株クルーのほとんどが顔を揃えていた。さすがに夜中であるため、夜勤シフトだったノイマンを含む数名以外はナイトウェアと思しき私服姿だったが。
「おまえな……あんな話を聞かされた日に熟睡できるほど、俺の神経は太くないぞ」
やや疲れを残す調子で、チャンドラがぼやき。
フラガ生存の可能性を知るところとなった、乗組員は一様にちらちらと、褐色の瞳を翳らせたマリューを盗み見つつ頷いた。
どうにか呼吸を整えたミリアリアは、黒ずくめの男に近づいていって、口を尖らせ突っかかる。
「あんたね。帰るんなら挨拶くらいして行きなさいよ、聞いてないわよ」
「さっさと帰れつったの、おまえだろ」
ここは宇宙に非ず、重力に干渉される地球だというのに、肩をすくめたディアッカは軽々と機体から飛び降りてきた。
「先にシュバルツの調整済ませてから、部屋に寄るつもりだったんだけどな――まだ夜中だし」
夜這い疑惑かけられたらシャレになんねえだろ、と軽口を叩く。
いったい “シャレ” にならないのは、夜這いと疑惑どちらだ? 小一時間ほど問い質してやりたかったが……ここで売り言葉を買っては、お決まりパターン・ケンカ別れコースまっしぐらだ。
「これ」
文句諸々を飲み込んで、パイロットスーツの右手に、携えてきた封筒を押しつける。
疑問符をたたえた眼差しが洋形3号の水色をかすめ、問うようにミリアリアへ落ちて。
「――あのね。写真、撮ってたのよ」
未熟な技量、まだ扱い慣れないカメラだったけれど。
「春に、お墓参りに行ったとき……」
でも、その島は、落ちたユニウスセブンに砕かれ消えてしまって。もう、二度と撮れなくて。
「余計なお世話かもしれないけど、私は、知りたかったから」
ずっとずっと、爆散したスカイグラスパーのコックピットに、閉じ込められたトールが血塗れで苦しんでいる夢ばかり、壊れたレコーダーみたいに見続けていたけれど。
穏やかに晴れた空、散策した小島は、思ったより寂しくも冷たくもなくて。
怖いばかりじゃない、懐かしい記憶を手繰り寄せられるようになったのは、それから。
「だから、いつか遺族の人に渡して?」
ディアッカは、瞳孔をまん丸に見開いたまま、封筒から引き抜いた写真を凝視している。
「…………」
たぶん苦笑されるか、少し嫌な顔をされるだろうと想像していた、ミリアリアは相手の反応に戸惑った。
なんだろう。
べつに絶句されるような物じゃ、ないわよね? あ。もしかして、マーシャル諸島だって分かってない?
途切れた会話を不審に思ったクルーが、なんとなく黙り込んだ二人に注目するも、それぞれ別のことに意識が飛んでいる両者は気づかない。
“シュバルツ” と呼んだ機体を一瞥、また写真を眺め。
再び向き直った男は、諦めたような感嘆を含む、なんともいえない表情をしていた。
「結局、俺が欲しいものって、ほとんどおまえが持ってんだよなぁ」
訳が分からず首をかしげたミリアリアの腕が、ぐいっと引かれ、さらに視界は焦点を結んでいた対象を唐突に失う。
「――さんきゅ」
甘く低い、囁きの後。
右頬の下部に、なにか、うちゅっと柔らかな感触が。
「……」
思考は凍りつけども、視覚は健在。
数秒後、わずかに身を離したディアッカは、にやぁっと底意地悪い笑みを浮かべた。
「きっ、ききき貴様……ッ、公衆の面前でなにをやっている!?」
「んー、唾つけた?」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
イザークの怒号がこだまして、はっと我に返ってみれば――格納庫の入り口には、タイミング悪くやってきた双子が硬直。元から居合わせたクルーまで、ぽかんと点目でこちらを注視している。
「ち、違うわよ? なんにもされてないわよ!?」
誰に対して、なにを弁解しているのかさえ定かでないまま、じりじり後退るも。
「気にするな、ミリアリア! 私は見てないからッ!」
「うん、僕も……」
ぶんぶん首を横に振りつつ返された、カガリの台詞はまるでフォローになっていなかった。
キラに至っては “うーん、邪魔しちゃったかな?” という気まずさが前面に出ている。
「だから、キスなんかされてないってば!」
ミリアリアは泣きたい気分で、重ねて叫んだ。
唇の端ぎりぎりくらい近かったが、とりあえず触れられたのは頬だった。ほっぺたにキスなんて、そんなスキンシップ、国によっては就寝の挨拶代わりなんだから。だいじょうぶ、たいしたことない騒ぐほどの問題じゃ――ないんだから、冷めた物腰で平手のひとつも食わせてやれば、難なく片付いたろうに。
「あー。あんなもん序の口、っていうかキスの範疇に入らないよなあ?」
しみじみ呟いたディアッカが、極度の混乱に拍車をかける。
こめかみに青筋、赤から青、青から赤へ変色しているイザークの端正な顔は、まるで信号機。唖然と互いを見やるキラとカガリ、さらには元首を追うように現れ、何事かひそひそ耳打ちを交わしているオーブ軍人が数名。
「な、なっ……」
実際、唇を奪われてはいないのに誤解を招いた原因は、巧妙に体勢その他を計算し尽くしたディアッカの問題行為に加え、うろたえた当人が墓穴を掘り嵌って自爆したわけだが――始めの対処を間違った時点で、手遅れだったといえよう。
「あんたねえっ、紛らわしい言い方するんじゃないわよ!」
ミリアリアは全身をわななかせ、片腕を振り上げて、悪びれもしていない男に掴みかかった……が。
「んじゃ、きっちり態度で示しておきますか?」
憎たらしいほど余裕しゃくしゃく攻撃をかわしたディアッカは、流れを取り込み掴んだ手首を、ワルツの要領でくるりと引き回し――驚いてたたらを踏むミリアリアの眼前に跪くなり、白い手の甲に口付けた。
お伽話で姫君に忠誠を誓う、騎士さながらに。
しかもご丁寧に、居並ぶギャラリーへ見せびらかす角度で。
「ッ!?」
外ハネの栗毛が一瞬、猫のように逆立って見えたと後に証言したのは、名も無き整備士Bだったという。
ひいっと火傷したかのように、ミリアリアが手を振りほどくよりニ秒早く、
「ごちそーさん、っと」
退いて距離を取ったディアッカは、深海に出現した茹蛸を満足げに眺め下ろした。ぶっちんと聴こえた、なにかが切れる音は誰の空耳か。
「なにすんのよ、この馬鹿ー!!」
再襲撃をひょいと避けラダーに掴まった男は、腹を抱え、げらげら笑いながらコックピットへ上がっていった。機体の足元でぴょんこぴょんこ跳ねる、怒髪天を突いたミリアリア。見世物状態に陥っていることは、もはや念頭に無い。
「逃げるんじゃないわよ卑怯者、降りて来い、こらーッ!」
〔おっさーん、予定繰上げハッチ開けてー? 俺、刺されちゃうー〕
しかし “シュバルツ” からは一方的な要望が、のんきにスピーカーで響くだけ。こちらの憤懣に応じる様子は欠片も無かった。
「ちゃう、じゃないわよ! なに可愛い子ぶってんの、ナイフなんか持ってないわよ降りてきなさいッ」
あろうことか、起動音を発し始めた機体によじ登ろうとする少女を、
「み、ミリィ? ダメだよ危ないって――」
慌てたキラが止めに入るが、煮えたぎった脳細胞には諌めの言葉も届かない。
「放してよ女の敵ぃ、セクハラ反対ー!!」
「ええっ、僕!?」
じたばた暴れるミリアリアの絶叫に律儀にうろたえ、羽交い絞めしていた腕をわずかに緩めた油断が祟り、キラは、手加減無しの肘鉄二発をみぞおちに食らうことになった。
それでも少女を逃さず、シュバルツ付近から退避させたあたり、男の意地というべきか……我関せずと壁際へ逃げていたチャンドラが、少年の雄姿と苦悶へ向け、ひそやかに合掌する。
「マードックさん、ハッチ封鎖! そいつに着艦用ネットでも何でもいいからぶつけて、機体ごと縛り上げて止めてーッ!!」
「だああ、無茶言うな――二人して、俺を巻き込むんじゃねえ!」
ぼさぼさ頭を抱えた整備班チーフは、矛先を、ほぼ無関係なオーブ軍人たちへ逸らそうと試みた。
「ええい、そこの新顔! 行け、止めて来い!」
「ど、どっちをですか?」
「どっちもだ!」
「私の手足は二本ずつしかありませんよ!!」
そんな不毛な会話が延々と繰り広げられる中、片や噴火寸前、さらに絶対零度の眼つきで以って僚機を睨めつける、イザークとシホ。
〔なー、艦長さん。流血沙汰の再来は防ぎたいよねえ?〕
「え、ええ?」
おもむろに話を振られたマリューが、困惑顔でマードックを見やり。
「くっそー、痴話ゲンカも大概にしとけ! 平和になったら酒奢れよバカ野郎、美味いメシ付きでな!」
〔あー、恩に着るよ〕
「――ま、待たんか! この不埒者がッ」
開きゆくハッチへと一歩踏み出した “シュバルツ” を追い、イザークもまた自機に飛び乗っていった。
「あの、ミリアリアさん? 黒豹に齧られたとでも割り切って、忘れた方がいいと思います……」
気の毒そうに言い置いたシホまでが、そそくさと一礼して隊長機に従う。
「だから、なにもされてないんですってばー!!」
ミリアリアは声をあらん限りに主張したが、誰も聞いちゃいなかった。
「あ。イザーク、シホさん! ありがとう、道中気をつけて」
今にも艦外へ飛び立とうとする三機に、急ぎ走ってきたカガリは、キャットウォークの手摺から身を乗り出して叫んだ。
「ディアッカっ! 私な、おまえんトコの隊長に叱られたぞー!!」
〔らしいねえ――少しは目ぇ覚めた? お姫サマ〕
「姫って言うなあ!」
〔舐められるのが嫌なら、せいぜい元首らしく言葉で武装するんだな。オーブのアスハ代表〕
「それ、もっと意地悪に回りくどく言ったんだろ? おまえの場合」
〔……さぁ。なんの話ィ?〕
すっとぼけた語調の問いには応じず、彼女は何故か怒るでもなく 「やっぱり」と笑う。
「次に会うときは認めてもらえるように、がんばるから! そしたら、ミリアリアばっかりかまってないで、私も宴に混ぜてくれるかっ!?」
〔頭数にくらいなら入れといてやるよ。その代わり、無礼講だぜ?〕
「分かったーっ!!」
おもしろがるような声音にカガリが応え、それを最後に “シュバルツ” は競うごとく海を裂き、白み始めた空へと発進していった。
もう無駄だと頭の隅で理解しつつ、ミリアリアは未練がましく訴える。
「爽やかに見送ってないで、あいつ止めてよカガリーッ!!」
「や、うん――嫌がる女の子に、無理矢理キスして逃げたっていうんなら、ぶん殴って捕まえて “ルージュ” で足蹴にしてやるとこだけど」
けれどカガリは、大真面目に答えた。
「みんなに見られて恥ずかしいから怒ってるだけみたいだし、首を突っ込まない方がいいかなと思って」
「……」
とどめを刺されたミリアリアは、へちゃりと床に突っ伏した。
おろおろする双子、ごちゃごちゃがやがや責任のなすり合いを始めたマードックたちを横目にしつつ、ぼそり自問するノイマン。
「もう大人なんだし、遠慮してやる必要もないと思ったが――やっぱり、まだ子供か?」
「遠慮って、なにがだ?」
彼のつぶやきを聞き咎めたチャンドラが、不思議そうに訊ねるが。
「……気にしないでくれ、独り言だ」
思わぬ形で宣戦布告を返されたアークエンジェル操舵士は、穏やかならぬ面持ちで、閉じていくハッチを一瞥――やれやれと嘆息しながら、騒動を鎮めるべく混乱の中心点へと歩いていった。
ほっぺちゅーだけのはずが、また好き勝手やらかしましたD氏。これでも糖分当社比50%増ラブコメモード、書き手の限界です……というわけで、メリークリスマス♪(2006.12.24UP)