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■ シン 〔1〕


 喧騒を極めた、夜が明け。
 
「ん――な、こっ恥ずかしい台詞、口が裂けても言えるかッ!!」

 特訓開始より30分と経たぬうちに。
 受講生もといカガリは、頬を真っ赤に染めながら、プリントアウトされた 『台本』 を床に叩きつけていた。
「まー。オーブの為なら何だって、なぁんて殊勝なこと言っといて、こんな初歩のロールプレイもこなせないの?」
 対するは、シルビア・ヴェスタル。
 我流では限界があると判断したカガリに、ターミナルとの交渉を経て宛がわれた講師は、ミリアリアが、アークエンジェル合流前に “中継点” で世話になった女性と同一人物だった。
「やめやめ。本人がそんな甘っちょろい心構えじゃあ、時間のムダね――おとなしく海の底で後生大事に守られて、悲壮ぶってたら? 箱入りお姫サマ」
 ハニーブラウンの髪を結い上げ、眼鏡のフレームはダークレッド。涼しげにパンツスーツを着こなした彼女は、劇団員やらコールセンター責任者を経て、今は報道業界に身を置いているらしい。20代後半に映る容貌だが、実年齢はもう少し上だろうと思われた。
 オーブの代表首長を相手にしながら、指導態勢は容赦なく手厳しい。
「やれな、くは、ないが――政治家らしくなることと、これになんの関係があるんだ!?」
 モニター越しに語気を荒げる、カガリの言い分は……分からないでもない。
 なにしろテキストの会話文ときたら、フルーツパフェ並みに甘いラブシーンだったり。どろどろな怨念や因縁が渦巻く骨肉の争いだったり。とにかく、ただ音読するだけでも 「うわあ〜」 と退きたくなるような代物ばかりだ。
「人間の印象は、表情と声に左右されるパーセンテージが90以上。話してる内容なんて、実は二の次。初対面ではなおさらよ」
 けれどシルビアは、素っ気なく。
「もちろん中身に魅力が無ければ、友好関係は持続しないでしょうケドね――そうやって直情的に、物事に噛みついてる時点で、あなたの外交スキルは手腕以前に致命的な欠陥品です。祖国の命運を肩に背負って、まだ性懲りもなく世界にケンカ売って回るつもり?」
 苦情を一蹴、逆に険しい眼を向けてきた。
「代表の座にいる限り、オーブに不満を抱く人間は、当然のようにカガリ・ユラ・アスハを詰るわ。理不尽な糾弾を浴びることだって、これから先もうんざりするくらいあるでしょう。そういった罵詈雑言に、なぁに? 文句つけられたから言い返して、怒鳴られたら耳を塞いで、嫌なものは周りから弾き出すの?」
 歯噛みしたカガリは、うつむいて動かず。
「リーダーなんてね、面倒で制約多くてストレスばっかり溜まって、世間がお祭り騒ぎで浮かれてるときもクレーム処理に追われて頭を痛めてるポジションなの。どんなに疲れて泣きたい気分だって、カメラの前じゃあ、にっこり笑ってリポーターに答えないとバッシング浴びちゃう、悲しい人種なのよ」
 自動ドア付近に控えたオーブ兵たちは、主君を弁護したくてウズウズしているようだった。
「ふんぞり返って特権行使、公務にかこつけ豪遊三昧に暮らしてるのは、初志を忘れた独裁者ね。まあ、そうなった方が楽は楽でしょうけど」
 師に勝るとも劣らぬ饒舌さに、はらはらと周囲を窺うミリアリア。
 緊張に強ばったクルーの面々には目もくれず、
「アスハを継ごうって人間が、その程度で終わる器なら……悪いけど “中枢” に進言して、アークエンジェルは潰すわよ。ワガママ元首の道連れにオーブと無理心中させられるなんて、一般市民の皆さんが気の毒すぎるもの」
 シルビアは、年若い生徒のみを見据えて告げた。
「守りたい国があるなら、小難しい政治論より先に――負の感情に満ちた人間を、安心させて、宥められる態度を。腹の探り合いや、挑発に耐え得る冷静さを身につけなさい。駆け引き相手の油断を招くに充分な、柔らかい物腰を演じなさい。そうして生まれた余裕の先に、重きを置くもの――それは、あなた次第よ」
「だけど、そんな……」
 しばらく言い淀んでいたカガリが、意を決したように口を開き。
「…………思ってないこと言ったり、嘘で笑って……相手を騙すみたいな」
「確認しとくけど。バカ正直に素で振る舞って上手くいかないことは、いい加減に解ってるわよね?」
「――それ、は」
「あなた、国へ戻りたいんでしょう? 実権を握ってるセイラン親子と、どうやって交渉する気? ご自慢のモビルスーツで造反組を全員撃ち殺す?」
「そんなことはしないッ!」
 見え隠れする逡巡と反駁に嘆息した、シルビアは再び、たたみかける。
「じゃあまた叫んで喚いて、交戦空域で成す術もなく傍観しているとでも? ……無様ねえ」
 二度に渡る、戦闘介入の顛末を想起したか、
「ダーダネルス、クレタと同じよ。現オーブ指揮官との交渉が決裂した時点で、向こうは撃ってくるわ。失敗したら抵抗せずにおとなしく殺されます、アークエンジェルクルーも一緒に死を選びますって言うなら、べつに止めはしないけど」
 顔色を失ったカガリに、少しだけ和らげられる口調。それでも詰問は途切れず、
「軍事力に訴える暴君と、言葉を尽くす平和主義者。力で捻じ伏せる武力解決と、対話による無血革命――オーブに相応しい政治家、方策はどちらでしょうね? あなたは何をどうしたいの」
「……誰にも、死んでほしくないです」
「だったら殺し合いを阻止するため、言葉を交わす表舞台に立てるのは、誰?」
「私……?」
「でしょう?」
 自信無さげな少女に、発破をかけるように相槌を打ってから。
「だいたいね。嘘っていうなら、自国の行政府さえ纏めきれない小娘のくせに、ご立派なキレイゴトを掲げていらっしゃるアスハ代表? そういうの、口先だけの人間って言わないかしら?」
 シルビアはまた、わざと感情を逆撫でしたがっているとしか思えない皮肉を放つ。
 ぎりぎりと拳を握りしめるカガリだが、現状を考えれば違うと断じることも出来ないようで、悔しげに項垂れた。
「大嘘つきに成り下がりたくなかったら――屈辱だろうが幻だろうが取り込んで、理想実現の糧になさい」
「……はい」
 よろしい、と頷いたシルビアは、景気づけにパンッと手を打ち鳴らすと。
「さあさあ納得したなら四の五の言わずにちゃっちゃとやる! 膠着した戦局も、いつまた激変するか分からないんだから。私が教えられる時間も、そう長くはないわよ」
「なんとか、なり……ますか? 彼女」
 おずおず口を挟んだミリアリアに、思いの外、明るい調子で答えた。
「そうね。性格がジャマしてるけど、筋はそんなに悪くないわ。立ち振る舞いの基礎もしっかりしてるし――数日そこらのレッスンじゃ、太鼓判は押してあげられないけど。TV画面に映っても見劣りしないくらいには成長するでしょう」
「え?」
 さっき投げ出した台本を拾い上げていた、カガリは、散々叱責された後から降ってきた褒め言葉に、きょとんとモニターを仰ぎ見る。
「お国では、誰が教えてくれてたの? 淑女の所作」
「マーナ……いや、えっと。侍女が……子供の頃からずっと、口煩いくらいに」
「相当、苦労なさったでしょうねぇ、じゃじゃ馬姫の教育係なんて。あなたを相手に、どれだけ時間と根気と創意工夫を凝らしたか、想像もつかないわ」
 しみじみ呟かれて、バツが悪そうに顔を赤らめ、
「今、こんな通信講座で済んでるの、マーナさんのおかげよ。無事にオーブへ帰れたら、お礼のひとつも言っときなさいな」
「はい」
 けれど、こくんと嬉しそうに頷いて、台本を胸に抱きしめた。
「……良いお返事♪」
 シルビアは、満足げに目を細め 「じゃ、気合入れていきましょうか」 と練習再開をうながす。
「よろしくお願いします」
 素直に頭を下げたカガリは、なんとなしに後方へ目線をやり――絶句した。

 旧知のクルーが、ずらり。
 オーブ軍人、みっしり。
 部屋の隅に固まって、ひそやかに固唾をのみつつ見守るギャラリーは、当初の十倍をゆうに越え膨れ上がっていた。

「なな、なんだ……おまえたち、いつからそこに居たんだ? 見世物じゃないぞバカ、出てけっ!!」
 猛然と抗議する少女を、愉しげに窘めるシルビア。
「こらこら、失礼なこと言わないの。私が頼んで集まってもらったんだから」
「なんで!?」
「これは、人前に立つ訓練なのよ? 大勢の視線にさらされてなくちゃ臨場感が出ないでしょ」
「だからって、こんな、クルーに囲まれてたら気が散るじゃないか!」
「うふふ。嫌あね、おバカさん♪」
 笑顔であしらう姿が、サディスティックに輝いて見えたのは――単なる錯覚だったのかどうか。
「ガラでもない姿を誰に見られて恥ずかしいかって、知り合いでしょう? お友達やら部下の前で、澄まして熱演ぶちかませたら、衆人環視の中でも威風堂々としていられるわよ」
「けど、ちょっと……せめて少しは形になるまで、時間……」
 問答無用の雰囲気に、ぎくしゃくと抗い後退りつつ、カガリは必死になって講師を拝み倒した。
「今日だけ、いや、一時間でもいいから! お願いしますっ」
「しょうがない子ねえ――半日。観客抜きのマンツーマンで、オマケしといてあげるわ」
 懇願が通り、ぱあっと瞳を輝かせたのも束の間。
「オーブ兵の皆さぁーん? 愛しいカガリ様のレッスンを、効率的に充実させる為にも、午後からお手隙の際はぜひ見学にいらしてね♪」
 シルビアに煽られ、うおおぉおお、と叫び涙ぐんで妙な熱狂を渦巻かせる軍人らの勢いに、ひぃっと青褪め竦み上がる。

「……通信講座だから。拳骨が飛んで来ないだけマシよ、きっと!」

 心細げなカガリに、あまり慰めにならないエールを送り。
 はかどらない調べ物を進めるべく、ミリアリアは、後ろ髪を引かれる想いでその場を後にしたのだった。



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年上のお姉さんに、スポ根路線 (むしろガラスの仮面?) でしごかれるカガりんの図でした。こういうんじゃなくてもワンカット、裏で努力してますって描写が欲しかったなぁ。