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■ ファントムペイン 〔1〕


 明々と照らしだされた空間を、ただ無機質な音が浸す。

 カサカサ、カタカタ――紙をめくり、キーボードを叩く音を。
 朽ちかけた枯葉や看板が、背後で風にあおられているかのように感じるのは、しょせん錯覚に過ぎないと判っていても。

「……ッ!?」

 遅れて合流したシホが、息を呑むというより、噛み殺した悲鳴に近い声を漏らし。
 PCデスクの一角に陣取り、目ぼしいデータを片っ端から引き出していたディアッカは、巡らせた視線をすぐモニターへ戻す。

 白い壁、スチール棚、黒々としたコンピューター機器――モノトーンで統一された実験室。
 四方に整然と並べられた透明な円筒状の、ガラスケースに浮かぶもの。
 腐敗・劣化を防ぐためだろう。薬液漬けにされたそれらは、ゆうに百体を越える人間の標本だった。一部には、摘出された脳などの臓器も混じっている。
 まだ男女の別もさほどない子供たちの。光を宿さぬ瞳が、無感情に、招かれざる侵入者を見下ろしていた。
「人間の、やることですか……これが」
 握りしめた拳を震わせ、室内に足を踏み入れたシホと入れ替わりに。

「ごめん、ちょ、っと、出てく、る」
「いいから、早く行けって! 頼むから、ここで吐くな」
「お、俺も……」

 ボックスファイルの資料を漁っていた連中が、うっと口元を押さえ、競うように外へと転がり出ていった。
 ちなみに、開け放たれた扉横の壁がヒビ割れている理由は、つい十数分前にシホと似たような反応を示した青年が殴りつけた所為であって、建物が老朽化しているわけではない。

 ロドニアの惨状は聞いていた。
 似たような光景を目の当たりにするだろうと、覚悟はしていた。

 だが、ひやりと空調の効いた実験室に、血痕や腐臭は存在せず。
 肺と嗅覚を乱す、ホルマリンと消毒液が入り混じった匂いに。全身をチューブに戒められたまま、動くことも朽ちることも出来なくなった存在が、心臓と胃液を掻き回す。
 それらは、すでに “モノ” だった。
 死の剥製。
 とうの昔に命は無く、それが消えた痛みすら霧散して、ただ薬品により原形を留められた蛋白質の塊が――磔られた子供たちの墓標ならば。
 さしずめ、そこを漁りに来た自分たちは墓荒らしだ。

 生理的嫌悪感より、なにより強く、この場にいること自体への罪悪感が平常心を乱していく。

 スヴェルドと、ロドニア。どちらの調査に赴くかを、事前に選べたとしたなら。
 打ち捨てられた廃墟の奥で、むごたらしい殺戮現場に出くわす方が、いくらかマシだったかもしれない。

「本館にも、いくつか “サンプル” は置かれてたから……予想はしてたけど」
 すぐ傍でコンピュータを弄っていたモニカが、
「やっぱりキツイわ、夢に見そう」
 仲間の一人に向かって、鬱屈とした調子でボヤいた。回収すべき資料を持ち出して、なるべく早くに立ち去りたい。
 その思いは、誰しも共通していただろう。
 外の警備が徹底していたぶん、内部セキュリティはおざなりで、データが保存されたディスク類は労せず見つかった――とはいえ、もたもたと全てに目を通している暇は無い。
 ランダムに数枚を抜き出し、タイトルラベルと合致した内容であると確かめ。互いが妥協できる程度に分配した後は、ウィスナーへの質問を挟みつつ、各自勝手にデータベースを洗っている。

『しかし、この少女が生き続けるためには、もうひとつ絶対条件があるらしい。薬か、手術の類か、それは今の段階では分からんがな』

 ディアッカは画面をスクロールしつつ、父親の言葉を思い返していた。

 Name / Stellar Loussier
 Blood-Type / A
 Block word / 死

 添付された顔写真。
 金髪に、ガーネットの瞳。タッドの手元にあった物とは違う、ごく普通の、ぽやっとした表情。
 今はミネルバに拘束されているという、エクステンデッド――ステラだ。第八一独立機動群 “ファントムペイン” 所属、搭乗機 “ガイア” とある。
 わずかな個人情報を始めに、ずらずらと並ぶ身体・戦闘能力に関する項目。
 いつどのような処置が施されたかという、十数年に及ぶ記録が示す数値は、素人目に見ても異常だった。
 話に聞いた衰弱は、おそらく身体依存型の薬物中毒が原因だろう。
(親父にも、専門外じゃねーのか? これ……)
 さらに “カオス” と “アビス” 両機のパイロット絡みのデータを揃え、他のファイルも順に開いてみたが、表示されるのは、同時期に前線へ送られたエクステンデッドの記録だけで、組織全体に関するデータは見当たらなかった。
 ならば、イザークたちが調べているコンピュータは? と席を立ったところで、

「ファントムペイン――アーモリーワンを襲った部隊も、ここの?」

 斜向かいに座っているシホが、眉をひそめ呟いた。タイミング良く、該当データに行き着いてくれたらしい。
 探す手間が省けたなと歩み寄るディアッカの、視界の先で、画面が次々に切り替えられていく。
 ガーティー・ルー、TS-MA4Fエグザス、イアン・リー、GAT-04ウィンダム――ロゴスの私兵とも呼べる特殊部隊に、深く関わる母艦や役職にあるもの、戦闘機、そして、

「……おっさん!?」

 二年前に死んだはずの男とそっくり同じ顔をした、地球連合軍 “大佐” もまた、リストに名を連ねていた。

×××××


 実験室の空気が、ざわりと揺れた。
 “おっさん” に該当する男共がこぞって振り返り、当て嵌まらない女たちはビクッと身を縮め、
「大声を出すな、馬鹿者!」
 イザークは腹立ちまぎれに、黒いパイロットスーツの背中を叱りつけた。
 いきなりの大音量が不快だったから、図書館では静かにというような問題であって……驚いたわけではない。断じて。
「どうしたんですか、ディアッカ――」
 割り込んできた同僚を、迷惑そうに一瞥したシホの表情が、懸念へと入れ替わる。
 ディアッカは、いつになく険しい眼で文字列を追いつつ、キーボードに指を走らせていた。話しかけることさえ憚られる雰囲気だ。

「……なんなんだ、いったい?」

 PC画面には、濃い金髪を垂らした黒軍服の男が映っていた。
 不敵そうな面構えを、斜めに過ぎる傷痕――内容は、連合軍大佐ネオ・ロアノークなる人物の個人データと、指揮官としての戦歴であるようだ。
「二年前、オーブ近海で……俺の機体を墜としたヤツだ」
「なに?」
 短く返された言葉を、眼前にあるものと照らし合わせるには、少々時間がかかった。

ダーダネルス海峡
脱走艦 “アークエンジェル”  同盟国オーブ代表首長  “フリーダム” による介入、無差別攻撃
連合・オーブ艦隊、戦闘継続不能により、一時撤退
ガイア、ザフト機 “グフ” を撃破  Misson 達成率、29%


「…………ちょっと待て」

 ザフト軍パイロットとして、最前線に身を置いてからというもの。
 被弾どころか、機体が大破するような目にも幾度となく遭ってきた――それは自分もディアッカも同じことだが、 “オーブ近海” と条件が付くなら。

インド洋
アビス、ボズゴロフ級潜水艦を撃沈
ロアノーク機、及びカオス、ガイア  敵モビルスーツと交戦するも、さしたる戦果は残せず
対カーペンタリア前線基地建設・駐屯軍、及びウィンダム部隊、全滅  Mission 達成率、34%


 記憶違いでなければ。
 足つきを追っていた当初は、ナントカいう戦闘機に。メンデルで遭遇した頃には “ストライク” に乗り換えていたという、
「……そいつは、ヤキンで戦死したと聞いた覚えがあるんだが」
「ああ」
 今はそれどころじゃないと言わんばかりに、説明を端折るディアッカの態度に、
「ふざけているのか、貴様」
 イザークは、いらいらと声を荒げる。

L4.アーモリーワン
ZGMF-X24S カオス  ZGMF-X88S ガイア  ZGMF-X31S アビス 計三機、奪取成功
新造艦 “ミネルバ” を牽制、終始優位に立ち回るも、沈め損ねる  Misson 達成率、70%


 スクロールされていく戦闘記録の日付は、つい最近、ザフトに真っ向から敵対するものばかりだ。

(とうの昔に死んだ男が――古巣に戻って、特殊部隊を率いているだと? 馬鹿馬鹿しい)

 他人の空似に決まっているではないか? しかしディアッカは、画面にかじりついたまま応じる。
「ふざけてるとしたら、このデータがだろ」
 台詞と裏腹に一歩もそこから動こうとしない男に、辟易した様子のシホが席を譲り。
「どうしたの、大声出して」
 横から、ひょいと首を突っ込んで、
「ファントムペイン……の、ネオ・ロアノーク? ああ、エクステンデッド主要配属先に挙げられてる、第八一独立機動群の大佐かぁ。噂だけなら聞いていたけど、けっこう若いのね。仮面で隠してるっていうから、二目と見られない顔なのかと思ってたわ」
 少し、意外そうに評したモニカに、
「しっかし悪趣味なネーミングよね。お化けに、苦痛って――箔でも付けてるつもりかしら」
「ひどい物言いだな。れっきとした医学用語だよ、phantom pain は」
「なに、そんなのあるの」
「幻肢痛」
 ウィスナーは、己の左肘を、右手でとんっと叩いてみせた。
「たとえば事故なんかで、腕半分が吹っ飛んだとするだろう? 神経は肉体もろとも失われているんだ……なにも感じるわけがないのに、肘から先が痛む、手や、指も疼くと訴える。そういう症例」
 モニカは 「へえー」 と目を瞠っている。
「妙な話があったものだな。錯覚だろう? すでに無い体の一部が痛むだなどと」
 つい興味を引かれて口を挟むと、ウィスナーは苦笑して寄こした。
「さあ? とりあえず五体満足で生きている僕には、なんとも言えないな。定説では、脳の記憶とされているけどね」
 なんなんだそれは怪談の類かと、情緒もへったくれもない感想を抱くイザークの隣で、
「 “魂が痛む” という、こと――でしょうか?」
 顎に手を当て考え込んでいたシホが、ぽつんと呟いた。
「詩人だねえ」
 ウィスナーがふっと目を細め、モニカからは興味津々の眼を向けられて、
「な、なんでもないです、変なこと言ってすみません!」
 ぶんぶん両手を振ってごまかす彼女の顔は、ヘルメットのバイザー越しにも見て取れるほど、朱に染まっていた。

「…………」

 ディアッカはというと、すぐ傍で交わされる雑談も耳に入らないようで、ひたすら画面上のデータを追っている。
 ほんの数分、気を散らしている間に、ネオ・ロアノークの経歴は二年近く前まで遡っていた。

イレギュラー発生
被験体、基地内にて “エンデュミオンの鷹” を直接知る、一般兵と接触
齟齬による混乱と、発作  デリート・再設定に、三日を要する
対処・条件付け――私室外では、仮面着用のこと
対処・理由付け――敵地への潜入任務をこなすには、顔が割れていない必要があるため


(いや……別人のものか?)

身体機能は順調に回復  負傷・軽度の酸欠に起因すると思われる、記憶障害を確認
プランの実験素体としてラボに搬送
インプット完了 経過順調……


 人間の過去を記す文としては、あまりに無機質な単語の羅列に、イザークは片眉を跳ね上げる。

アズラエル氏の捜索部隊
ヤキン・ドゥーエ宙域にて、連合製モビルスーツの救難信号をキャッチ
半ば溶解したコックピット内より、頭部を負傷したパイロット発見
同行していた幹部Sの言及び、記録に残っていた生体データとの照合結果――ムウ・ラ・フラガのものと完全一致する


 記述は、そこで途切れていた。



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真っ暗闇のなか、連合の非道に怒り、死体に驚いて叫んでいたシン&アーサーは動のイメージ。間逆を目指して書いてみましたが、どっちにしても心臓に悪そうです。
……そろそろ出番です。ロアノーク大佐 (名前だけ)