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■ ファントムペイン 〔2〕


 実験室から外に出ると、視界を白いものが掠めた。
 暗闇の中さらさら、さらさらと。

「…………雪……?」

 夜空を仰いだシホが、わずかに片腕を伸ばした。
 パイロットスーツの手のひらに落ちたそれは、数秒も経たぬうちに、くしゃりと溶けて。
 馴染みの薄い幻想的な情景に、プラント育ちのイザークたちが魅入っている間にも――ターミナル側は、ばたばたと積み込み作業を急いでいた。
 どこから集まったやら百近い人員が行き交い、周辺には、数十台のトラックやジープが停まっている。ぐったり伸びている職員や、運び出したディスク類すべて乗せてもまだ余裕がありそうだ。
 旧プラント評議員に接触し、連合の施設襲撃など企てるだけあって、けっこうな組織力を有しているらしい。

 それぞれ応急処置のみ受けて、医療班のトラックを降りれば、
「ねー、そこのエロくさい声の子ー!!」
 クリップボードを片手に輪の中央に立ち、仲間に指示を出していたモニカが、ひらひらと手招いた。
「……呼んでいるようだぞ」
「呼ばれているみたいですよ」
 うながす声が、見事なまでにシホとかぶり、
「もう少し、他に呼びようがねえのかよ……」
 不服そうに顔をしかめ、ぼやきながら歩いていったディアッカに、
「これ。何度か通信に出てた、エロくさい声のおじさまに渡してちょうだい」
 モニカは、胸ポケットから取りだした紙切れを押しつけた。
「未来のお嫁さん経由でプレゼント。あなたが今、いちばん話をしたい人への直通ナンバーよー、って」
「?」
 ぺらぺらしたそれはFAX用の感熱紙で、記された数字は電話番号――局番からしてプラントのものだろう。
 ディアッカは、胡乱げに女を見やる。
「あんた……人生、棒に振る気かよ? 金ならそこそこ持ってるけど、性格悪いぜ。あの男」

 つまりこれは、タッド・エルスマンを気に入った女が、スヴェルドの一件が片付いても個人的に連絡を取ろうとしていると?
 そういった俗な話なのか? こんな場所で、不謹慎な。

 ひそかに憤慨する第三者、イザーク。だが、モニカは怯むどころか、さもおかしげな笑みを浮かべた。
「さあ? ホントにお嫁さんになるかどうかは、あなた次第じゃないかしら」
 ぱちんと片目を瞑ってみせ、さらに意味不明なことを言う。
「じゃ、頑張ってね。ボーヤたち」
 こっちは訳が分からず困惑しているというのに、用は済んだとばかりにディアッカの背をはたき、足取り軽やかに去っていった。
「…………」
 訝しげに首をひねっていたディアッカは、すぐに考えるのが面倒になったようで、紙片をぽいと荷物に放り入れた。


 間を置かず、作業を終えたメンバーが順に車に乗り込み始め。
 そろそろ機体へ戻るかと踵を返したイザークは、大型トラックの傍ら、ぼうっと雪空を眺めている白衣の男に気づく。


「――おい。どうするんだ、これから」
 気絶・昏睡したままの施設スタッフは、全員そこいらの街に放り出すという話だった。ターミナルの面々は本拠地へ戻るだろう。
 だが、理由はどうあれ連合に盾突いたこの科学者と、存在そのものが機密であろうエクステンデッドは?
「資料を元に、停戦手段を探すんじゃないかな? 他にもあれこれ策は講じているだろうけど、僕には、ターミナル中枢の考えまでは分からないよ」
「そうではない、貴様だ」
 重ねて訊くと、ウィスナーは 「ああ……」 と思い出したように頷き、
「治療だね、あの子たちの」
 トラックの荷台に目をやった。中には毛布が敷き詰められ、つい一時間前には嬉々として血を流していた少年少女が、虫も殺さぬような無邪気な顔ですうすう眠りこけている。
「受け入れてくれる病院と物資は、ターミナルが手配済。類を見ない症状といっても、要は、薬物中毒だ――投薬を断って、刷り込みと暗示を解いて。あとは離脱症状との戦いさ」
 研究所からは逃れ得た。
 だが、どれほど理不尽に弄られていようと、体と意識に替えは利かない。
「まだ実戦配備される前の段階で、細胞組織が薬に侵され切っていない点が救いだね。キレイに元通りって訳にはいかないし、早くても数年かかるだろうけど……軍とは無縁な場所で、自分の意思で生きていけるくらいには回復するだろう」
 そのために、自身を内から苛む苦痛と戦うことになり。
 スヴェルドを潰したところで氷山の一角に過ぎず、根本的な解決には至らないのだとしても。

(……治るのか)

 少し、胸の痞えが取れた気分だった。
「なんにせよ、あの子らの命は繋がった。君たちが、殺さず止めてくれたおかげでね。だから――」
 ウィスナーは気だるげに突っ立ったまま、口の端だけで笑んだ。
「もう二度と、会わずに済むよう祈っておくよ」
「…………」
 イザークとて、やや毛色が異なるとはいえ、ブルーコスモスの党員から礼など述べられたくはなかったが。
 それにしてもずいぶんな去り際の挨拶である。
「僕は、自然が好きなんだよ。そして、コーディネイターは嫌いだ」
 投げかけられた言葉はまた、挑発的な内容でありながら、こちらの気分を逆撫でする “なにか” に欠けていた。
「敬意に値する人物も知ってはいる、けれど、わざわざ関わりたいとは思わない。君の仲間が言っていたような、手を取り合える人々――彼らは彼らで、融和の道を進めばいい」
 形容に適した語句が思い浮かばす、イザークは、しかめっ面で考え込む。

「……と、僕は思っている訳だけど、君は? 人類皆兄弟、お手て繋いで仲良く一緒に、なんて未来を描いてるクチかい?」
「有り得んな。俺は、ナチュラルが嫌いだ」

 ごく一部の例外を除けば―― “ナチュラル” という枠でくくった人種は、以前とさほど変わらず軽蔑の対象であり、マイナスの度合いが多少減ってもプラスに転じはしないだろう。同時に、自分がコーディネイターである事実も一生変わらない。
 良くも悪くも、二十年近く培ってきた概念を、いまさら取り払うことなど不可能だ。

「共に居たい奴らは、そうすればいい。相容れぬなら、互いに不干渉を貫けば済む話だ」

 思ったまま言い返すと、ウィスナーは、意を得たりとばかりに目を細めた。
 そこで、すとんと腑に落ちる。
 こいつの根底にあるのは、おそらく “許容” だ。
 畏怖や嫌悪というほど否定を含まず、単純に、気に食わないから距離を保つ。相手の領域を侵さぬ代わりに、自分の庭には立ち入らせない……ある種、利己的とも言える姿勢。

 だが、それすら認めない連中の手で、ユニウスセブンは核に撃たれ、二度も争いの引き金となったのだ。
 コーディネイターを殺すためにと、道具にされかけた子供たち。ここに在るものすべて――戦争でさえなければ出会う必然性も無かった。ならば、

「手段と目的を取り違え、主義主張を押しつけ合う連中と、俺は戦う」
「そうか」
 ウィスナーは、無造作に片手を上げた。
「じゃ。道中、気をつけて」
「ああ」
 話し込んでいる間に、高らかに、撤収の合図が響いていた。

 雪は、しんしんと降り続く――

×××××


 宵闇を隠れ蓑に、がたがたと荷台を揺らしながら。
 ターミナル関係者――及び、研究施設に関わるあらゆるものを乗せた車両は、スヴェルドの地を走り去っていった。

 あとは確保した資料をプラントに持ち帰れば、頼まれ事すべてが滞りなく完了する。
 かき集めたデータが活用されるか否か、それは父親たちの検証結果次第であり、またすぐに軍人として戦場へ赴く自分が携わることではない。
 けれど今、操縦しているモビルスーツはザフト機に非ず、連休をつぶして赴いたのだから。

 ……少しくらい好きにさせてもらっても、文句を言われる筋合いはないだろう。

 駆動音を響かせ始めた僚機に背を向け、シホは、モニターを切り替えた。
 ウィスナーの指示で焼き斬った、通路の残骸がすぐ傍に転がっている――ちょうどいい。
 ど真ん中に照準を合わせ、ビーム砲を軽く一発。
 呆気なく砕け、ぼうぼうと燃えだしたそれを拾い、実験室の入り口手前に屈み込んだところで、スピーカー越しに問われた。
「シホ? なにをしている」
「……焼きます」
 勝手な行動を咎められた、と感じ、ためらう――それでも止める気は起きなかった。
 投げ入れた炎の塊は、床に散らばっていた書類を舐め、勢いよくキャビネットやシステムラックに燃え移り、
「どうしたんだよ、珍しいな。任務外のことに手ぇ出すなんてさ」
「屈辱だからです」
 そこでアルコール系の薬品でも喰らったか、ごうと鮮やかな紅蓮にゆらめいて。
 子供たちの亡骸が、無数のガラスケースごと焼き尽くされてゆく様を、微動だにせず見つめながら、シホは答えた。

「ここに在るものすべて……屈辱以外の、なにものでもありません。だから、焼き払います」

 生きながらモルモット扱いを受け、死してなお、標本のように晒される身を。
 置き去られたがゆえ地球連合軍に回収され、再び利用され続ける “サンプル” を。
 無傷で残した結果、エクステンデッド研究の拠点として、変わらず稼動し続ける施設を、想像する――なんと腹立たしく、我慢ならぬ風景だろう。
 
「もちろん、私が独断でやったことです。あとで問題視されるようなら、責めは一人で負いますから」

 誰の為にもならぬものを、放置したままスヴェルドを発つより、ずっとマシだ。
 言いながら、瞬く間に火葬炉と化した実験室から離れると、

「へーえ。じゃ、親父たちになんか言われたときは、各自で反論するってことで?」
「屁理屈なら一人でこねろ。俺は謝らん」
 入れ替わりに前へ出た “シュバルツ” 二機のガトリングビーム砲が、施設本館に狙いを定め、火を噴いた。
「壊すなら、徹底的にだ――悠長にかまえている時間は無いぞ。連合側が、いつ異変に気づいて動きだすか分からんからな」
 外壁に併置されている燃料タンクを狙えと、イザークが速やかな指示を下す。
 思わぬ援護射撃に、呆気に取られたのは数秒で。
「はい!」
「りょーかい」
 応じる声は、笑みを含んだディアッカのそれと重なった。

「……あーあ。館内には被害を出すな、って言われてたんだっけ」
「それは制圧が完了するまで、でしょう?」
「必要なデータは回収済、ターミナルも撤収したんだ。問題あるまい」

 コンクリートの壁が撃ち崩され、窓ガラスは一枚残らず粉微塵になり、衝撃に煽られた炎が鎌首をもたげ、破裂して、さらなる誘爆を引き起こす。

「ザフトの関与を、疑われるでしょうか?」
「ロドニアのラボに、調査隊が入った矢先だからな――短時間で、こうまで派手に破壊されたとなれば。誰も、まさか民間のジャーナリスト組織に潰されたとは思わんだろう」
「私たちをコーディネイターと認識していた所長が、軍上層部に泣きつきでもしたら、なおさらですね……」
「いいんじゃねえの? 犯人探しは、見当違いの路線でやってもらった方がさ。ターミナルが尻尾つかまれて、エクステンデッドを奪い返されでもしたら面倒だしな」

 言葉を交わしながら、休み無しにトリガーを引き続ける。

「しっかしモビルスーツ乗り回して、イザークに激飛ばされて。休暇中だってのに、やってること普段と変わんねーよなあ」
「なんだ、不満か」
「私は本望です。隊長」
「あ、俺もー」
「……貴様が言うと、嫌味にしか聞こえんぞ。ディアッカ」
「なに、シホなら良いわけ? 隊員差別?」
「日頃の行いだろう」





 燃え上がる赤が、網膜に灼きつく。

“ファントムペイン” の意味を想う。


 肉体が失われても、魂は痛むというなら――
 朽ちることすら叶わぬ身体に、幼子の心は、縛りつけられてはいなかったろうか?

天国や輪廻などという概念を、信じるガラではないけれど。


 ……もしもまだ彼らが、凍れる大地を彷徨っているなら。
 どうか、この送り火がすべての枷を焼き尽くし、自由の空へ導いてくれますように。



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それぞれ性格は違えども、ジュール隊は単独行動が好きそうです。
同じ場所で、同じことをしていても、協力して――とか、連帯責任とは言わず。