■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

NEXT TOP


■ 彷徨う眸


 ヘルメットだけ外したパイロットスーツ姿のカガリは、虚ろな表情でベッドにうずくまっている。
 半日前、マリューと交代で様子を見に訪れたときと変わらず、サイドテーブルに置かれた食事のトレイも手付かずで残されていて。
「カガリ?」
 そっと近付き呼びかけても、身じろぎひとつしない。
 金の瞳孔は焦点を失い、凍りついたように、光源から遮断されたモノトーンの世界を映している。


 クレタを逃れ、“フリーダム” に曳航されて着艦した後―― “ルージュ” のコックピットは、焦れたマードックたちが外部ロックをこじ開けるまで、沈黙したままだった。
 連れ出されたカガリは白蝋のように青褪めて、足元もおぼつかず。
 望遠鏡を手に騒いでいた整備士たちの話し声が、よりにもよって、そこで彼女の耳に入ってしまった。

『しっかし、ヤマトも容赦ねえなぁ……ザラが乗ってんじゃなかったのかよ、セイバー?』
『さっき、ミネルバが引き上げてんの見えたけどよ。あの勢いで海面に叩きつけられて、よく原形留めてたモンだよなー、胴部。一歩間違えりゃ、爆散して海の藻屑になってたトコだぜ』
『あれじゃパイロットも、どうなってるか分からんぞ? 堕とされてからだいぶ時間経ってるし、内部爆発か浸水引き起こしてたらアウトだろ』

 男たちの会話は無遠慮に、なおも続き。
 がくがくと震えだしたカガリは、自分を取り巻くすべてを拒絶するように、きつく耳をふさぎ両目を閉じて――その場から一歩も動こうとしなくなってしまった。

 助け起こそうと差し伸べた、誰の手も、握り返されることはなく。
 担ぎ込まれた士官室を浸すのは、泣き叫ばれるより重い沈黙。

 コダックが 『ブリッジクルーを全員集めろ』 と、事情聴取の通信をかけてきたとき。
 カガリは呼べない、と拒否した弟子にとやかく言わなかったのも、彼女の容態が想像ついたからだろう。


(……私も、こんなふうだったのかな)


 トールが戻らなかった、あのとき――ずっと傍にいてくれた、サイは、どんな言葉をかけてくれていた?
 当時のことを思い返そうとしても、気遣わしげな彼の表情が、断片的に浮かんでくるだけで。

(ごめん、サイ……なんかもう、心配かけてばっかりでホントごめん!)

 遅まきながらに、彼の心労の一端を思い知ったミリアリアは、胸中で詫びた。
 無事に帰れたら、ここで見聞きしたこと全部きちんと話そう。そもそも日常に戻れるのかどうかすら、今は定かでないが――


「……カガリ」
 再び、今度は強めに呼びかけてみたが、やはりピクリとも動かず。
「カガリ!」
 仕方なく肩を掴んで揺さぶると、その全身が鞭打たれたかのように跳ね上がった。次いで、ぎくしゃくと顔を上げる。
「ミリ……ア、リア……」
 とりあえず認識されたことに安堵しつつ、ミリアリアは、ゆっくり話しかけた。
「ターミナルから連絡があったわ。アスラン、無事だって」
 金の瞳をこぼれ落ちんばかりに見開いた彼女は、掠れた声でつぶやいた。
「……無……事?」
「たいした怪我は無くて――今はまた、ミネルバに乗ってるって」
 こんなことを教えても、師が言うように気休めにしかならないだろうとは思っていた。けれど、

「わ、たし……喜んで……いい、の、かな……?」

 カガリの反応は、まったく想定外のものだった。
「……私の、所為なの……に」
 感情すべて噛み潰した、憑かれたように昏い眼。途切れがちな声に、わずか滲み出ているのは純然たる怯えの色で。
「帰れ、って、言わ……れてた、のに……出てった、から……」
 くしゃくしゃになった金髪を、震えの止まらぬ腕で抱え込み、泣き笑いに近い歪んだ表情でひたすらぶつぶつと呟き続ける。
「許してもらえるわけ、ないの……に、なんで……? 間違っ、て……間違って、る、だろ? そんなの……」

 尋常でない彼女の取り乱しように、ただ唖然としていたミリアリアは、
(あ――)
 どくんと、警鐘を鳴らすようにざわついた胸を、無意識に押さえた。
 既視感。こんなふうに追い詰められて、ひび割れて――かさついて、内側から壊れていくもの。それは何時の、誰のことだったか。

「なに言ってんの!」

 思い出した勢いに任せ、カガリの両頬を、ばちんと挟むように引っぱたいた。
「あなたが喜ばないで、どうするのよ」
 混乱しきった様子で全身を強ばらせている彼女に、目線を合わせて、苦笑混じりに語りかける。
 いくら政治家だからって――誰に責任があって、取り返しがつかないことの方が多くたって。嬉しいことを喜ぶ気持ちと、それらは別問題のはずだ。
「良かったね、アスランが生きてて」
「よ……かっ、た?」
 反芻することで、ようやく意味が浸透したらしく、カガリはこくんと頷いた。
「……うん……良かっ……」
 途端、金の瞳から溢れだした水滴が、頬を伝い、幾重もの透明な筋になって――彼女の膝、手の甲や、掻き毟るように握られたシーツの上に落ちて、乾くことなくまた落ちて。
(これじゃあ、まるで、私がいじめて泣かせたみたいじゃない!)
 ミリアリアは、内心激しくうろたえた。

 ……いや、泣かすつもりは毛頭無かったけれど、そうさせたのは紛れもなく自分なのか?
 自殺しそうな顔して責任云々言われるくらいなら、こうして泣かれた方が百倍マシではあるけれど。

 カガリは少しだけ俯いて、ほとんど音も無く涙を流している。
 ずっと押し殺されていた喜びが、そこに在って――じっと見ているのは気が引けて、ミリアリアは彼女と背中合わせ、ベッドサイドに腰掛けた。

 すっかり冷え切って、小さく痙攣しているパイロットスーツの背中は、一国の命運を背負うにはあまりにも華奢に思えた。


(けど、ホント……どうしよう? これから)


 ミリアリアは、背後の少女に気取られぬよう、ひそかに溜息をついた。
 師の言い草には腹が立つものの。

 大西洋連邦と条約を結ぶこと、要請に応じて派兵すること。
 南洋の楽園が誇ってきた理念に反する行為、オーブ行政府の決定に、落胆しつつも――国を守るには已むを得ないと、変わらぬ世論が認めているんだから。
 異を唱えながら、武力を行使すれば。
 戦争を止めるためだろうと、元首たるアスハの名を持ち出そうと、それはテロ行為に他ならない。

 戦闘艦であるアークエンジェルには、武器を以って兵器を破壊することしか出来ない。
 そこにいる自分たちクルーは、万策尽きたと言うより、具体的に何をどうするかさえ定まっていないのに。

 そもそも、名だたる政治家を父親に持ち、国の中枢を身近に感じながら育ったであろう、アスランや、ラクス――キラたちが、カガリの傍にいても止められなかった事態を、いまさらどうにかしようなんて。
 無理。
 駆け出しジャーナリスト風情が、いくら考えても、打開策なんて見つかりっこない。
 ミリアリアは、げんなりと膝の上に突っ伏した。


「……なあ、ミリアリア」


 いつの間にか泣き止んでいたカガリに、ぽつんと話しかけられ、あわてて身を起こす。

「私、もう……出来ること、ないのかな……」

 無い、ように思う。

「大西洋連邦との同盟って、他の首長たちが全会一致で決めたのよね?」
「……うん。みんな……私の考えがおかしいって、言ってた」
 カガリは、項垂れて首を振った。
「争いが無くならないから “力” が必要で……アスハは、人殺しで……私は、なにも知らなくて、アスランのことも解らないで……閣議で主張したことも全部、子供じみたキレイゴトだって……」
「今までもらったアドバイスで、出来ることは全部やってきたのよね」
「え?」
「周りの人たちに、相談してたんでしょう? ウズミ様みたいに、国をまとめていくにはどうしたらいいのかって」
「それは、話したけど……元はと言えば、私が至らないせいだから」
 つぶやく声すら、今にも消えてしまいそうだ。
「お父様みたいに毅然として、オーブの理念を曲げずにって……キサカが……がんばれって、アスランにも言われたけど……決めたことはやり通さなきゃって、ラクスも……だけど、私、なにひとつ応えられなかった」
「行政府の人たちは?」
「行政府?」
 訝しげに問い返されたミリアリアは、あわてて言葉を継ぎ足す。
「他の首長たちが、大西洋連邦寄りなのは分かってるわ。だから――この際、政治関係者じゃなくてもいいから」
 政府内を変える手段が、無いのなら。
 せめて世論が、カガリ糾弾に傾くような流れだけでも食い止めなければ。
「あなたの事情を把握していて、少しでも理解を示してくれて……今の時点でオーブに残ってる人。誰か、いない?」
 国外に出てしまっているキサカたちは、この状況下で頼れない。というより、
「叔父上……マーナや、エリカなら……」
「ううん、そうじゃなくて」
 元より彼女に賛同してくれているだろう、アスハ家の身内や、三隻同盟の関係者ではダメなのだ。

 彼らが何を叫ぼうと、今となっては、アークエンジェルの同類と見なされてしまうだろう。

「私の知らない――たとえば、代表首長になってから知り合って、遠慮なく愚痴こぼせたような相手とか」
 祖国において、社会的な信用と実績がある大人ならば、なお良い。
 そういった人物に、カガリのことだけでも擁護してくれるよう、話をつけられないだろうか?
「……いない。誰にも言ってない……そんなこと」
 けれど、カガリはさらに肩を落とした。
「ただでさえ、私、お飾りの国家元首だったのに……頼りないって思われてるのに……政務で顔を合わせた相手に、弱音なんか吐くわけにいかないじゃないか……」
「そう、よねえ……」
 ミリアリアは、落胆しつつ真っ暗な天井を仰いだ。
 彼女たちとて頼れる人材がいるなら、とっくの昔に協力を求めていただろう。

(じゃあ、やっぱりもう出来ることなんて)


 ……無い?


「待って、カガリ――今なんて言った?」
「え?」
 きょとんと首をかしげた彼女の顔を、まさか、という思いで凝視する。
 問い質したいことが山ほどあるような気がするが、あまりにも漠然としすぎて、上手く言葉になってくれない。

 いや、私の方こそ、ちょっと待て? 落ち着いて、よく考えてみよう。
 この二年間、あれだけ頭脳派の人間やら軍事のプロが、彼女の元に集っていながら――まさかそんな単純な、

(でも……)

 なんの可能性も残されていないなら、いったいコダックたちは、今からオーブ本土に赴いて何を探すというのだ?
 ミリアリアは、勢いよく跳ね起きた。

「……どうしたんだ?」

 不安げに眉を寄せた、カガリの両手に、
「それ、飲みながら待ってて! 30分くらいで戻るから――もう嫌だって言うくらい、質問攻めにするからね。水分補給しててよ?」
「え、えっ?」
 サイドテーブルに置いていた紅茶のカップを押し付け、部屋の外に飛び出しかけたところで、振り返る。
「確かめたいことがあるの。ちょっと、師匠と話して来るから!」
「って、なに――」
 自動ドアの隙間から差し込んだ光が眩しかったようで、カガリは、片腕で顔を庇いつつ困惑の声を上げた。

 ……早く閉めないと、目が痛いだろうか?
 少しためらい、思い直して、扉の左側にあった照明スイッチに手を伸ばす。こんな暗い場所で考え込んでいたって、なにも始まらないじゃないか。
 
「まだあるかもしれないわよ、出来ること!」

 瞳を白黒させている彼女に言い置いて、ミリアリアは、全速力でブリッジを目指した。



NEXT TOP

ミネルバに救助に割ける余剰人員と道具が無ければ、アスランは鉄の塊の中に閉じ込められたまんま海底で水死か窒息死していたと思われます。ところがTV本編、AAクルーが彼の身を案じている描写は皆無……? 28〜30話の流れ、略しすぎですよう。