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■ 楽園に咲く薔薇


『ねえ、綿あめ買って!』
 ジャケットの裾が、くいっと引かれた。
『は……?』
 困惑しつつ首を巡らしてみれば、なるほど、所狭しと立ち並ぶ出店の一角に[綿あめ] と看板が出ている。
『いいけど、なんで綿あめ? 出店なら、クレープやワッフルもあるみたいだよ』
 似合わない――とまでは言わないが、華やかな美貌の少女と、やや子供っぽい菓子の取り合わせが奇妙に思えて。
『だって、食べたこと無いんだもの』
『こういう祭り、来たことない?』
 訊ねると、彼女はむくれて唇を尖らせた。
『あるけど……食べたいって言ったら、パパが、どんな添加物が入ってるか分からないからダメだって』
 お嬢様育ち、ここに極まれり。
 どれだけ過保護なんだ? 父の知り合いだという、アルスター事務次官殿は。先が思いやられる――いや、べつに親の面子を無視すれば断っても良いんだろうが。この歳で持ち込まれた縁談など。
『……それじゃ、バレたら俺がどやされるわけ?』
 財布から小銭を取り出しつつ、苦笑すると。
『だから、内緒ね』
 いずれ婚約者になるかもしれない令嬢は、人差し指を唇に添え、いたずらっぽく片目を瞑った。

 セピアに霞んだ、情景の断片。

『へえ、お父さんの母校なんだ? 俺の親父も、ここの出身だよ』
 なるほどな。
 それで初顔合わせのセッティングが、大学祭――まあ、どこぞの高級レストランに呼びつけられて、がっちがちの堅苦しい時間を過ごすよりマシか。
『じゃあ君も将来は、この大学に?』
『行かない……って言うか、行けないわよ。偏差値まったく足りないし、元々そんなに勉強好きじゃないもの』
 少女は、あっけらかんと笑った。
『だから、あなたが入学してね。そしたら私、遊びに来るから』
 決定事項なのか、それは?
 どうも、すでに相手のペースに巻き込まれているような――まあいいか。

 フリーマーケットで買い物をしたり、演劇サークルを覗いてみたりと、あちこち見て回っている間に時は過ぎ。

 少し、歩き疲れてきた頃合に、
『あのパーゴラ、綺麗でしょ? パパがね、私が生まれた年に、記念に寄付したんだって!』
 瑠璃色の瞳が、ぱっと輝いた。
 前方に、格子状の壁とルーフ、蔓状に絡まる花を咲かせた建造物が見える。
『せっかく来たんだし、ちょっと休憩――』
 ワンピースの裾をなびかせ走りだした、彼女の足は途中で止まった。
 パーゴラの下にはベンチが設えられており、確かに一休みするに適した造りとなっていたが、
『…………』
 こういったイベント会場においては特に、居心地の良い休憩場所には自然と人が集まるものなのだ。
 パンフレットを広げる親子連れ、外野も気にせずいちゃつくカップル、湯気たてるタコ焼きに舌鼓を打つ老夫婦、エトセトラ。
『人気スポット……みたいだね』
 苦笑いを浮かべつつ、追いかけていって声を掛ける。
『――ま、いっか。誰もいないより、にぎやかな方がずっと』
 拗ねた表情から一転して、少女は、ふわっと口元を綻ばせた。視線の先には談笑している人々と、深紅の蔓薔薇。
『あの花さ、なんて名前?』
 生誕記念に寄贈されたものというだけあって、花弁の色合いが、彼女の髪によく似ている。

『エデン・ローズよ』

 誇らしげに微笑んだ面差し、景色すべてが、そこで急に朧に揺らめいて――




『サイ』




 暗転した、世界に。




「……おい、アーガイル!」

 じんわり、彩が戻ってくる――生い茂る深緑と、咲き零れる小さな赤い花々。焼けつくような西陽が、眩しい。

「んなトコで寝こけてると風邪引くぞー」
「つーか、なんだよその分厚い本の山は?」

 遠く近く聞こえる、ざわめき。
 気だるさに逆らい身を起こした、向かい側に立っている集団は同学部の友人たちだ。

 ああ、そうか……夢か。
 まだ浅いところに、たゆたう記憶の。

 手探りで眼鏡をかけ直し、胸元に伏せていたバインダーノートがずり落ちかけるのを、もう一方の手で拾い上げた。
「ゼミの、発表日が近くてさ」
 午後の講義が終わってから、ここで論文を書き進めている間に眠ってしまっていたらしい。
「あー、おまえらんとこ、厄介なテーマで討論やってるらしいもんな」
「オーブ政府の方針の是非、及び今後の課題について――だっけ?」
「まあね。毎回、白熱を通り越してケンカになってるよ」

 十数人のメンバー内でさえ、意見が合致しないのだ。
 国家間で争いの絶えない現実が、むしろ自然なことに思えてくる。

「じゃあ、またなー。サイ」
「借りてた法制史の講義ノート、明日持ってくるからよ」
「ああ、それじゃ」

 ショルダーバッグに筆記具を放り入れ、これからバイトだという彼らと、軽く手を振り交わして帰路についた。

×××××


 いつものように家に戻り、自室へと続く階段を上がりかけたところで。

(……お客さん? 誰だろ)

 応接間の、窓ガラス越しに。
 中間管理職のサラリーマン、並びにお抱え運転手といった風貌の男が、手持ち無沙汰にコーヒーを飲んでいるのが見えた。
「こんばんは」
 服装からして、おそらく父親の仕事関係者だろう。扉をノックして入り、挨拶すると。
「ああ、こんばんは。初めまして、サイさん」
 どこという特徴の無い佇まいに、中肉中背スーツ姿の男が、少し気弱そうな笑みを浮かべた。
 次いで、その隣に座っていた人物が、目深にかぶっていた制帽を取り外す。
「よお、久しぶりだな。じゃましとるぞ」
 幾重にもシワを刻んだ、日焼けした顔――年齢を感じさせぬ、鋭い眼つきの。

「……コダックさん?」

 ミリアリア・ハウが師事する、初老のカメラマン。
 なぜ彼が、こんなところに居るんだ? なにより、共に行動しているはずの “彼女” はどこへ――

 理由を問おうと口を開きかけたタイミングに被せるように、車庫の方から聞き慣れたエンジン音が響いて、すぐに止まった。


『これから話すのは、むしろあんたに把握しといてほしいことだ』 と、老カメラマンは同席を促した。
『オーブに関することだからな。将来、政界に身を置くつもりなら聞いておけ』 と、やや遅れて帰宅した父も頷いた。

 そうしてサイは、夕暮れの応接室に留まり、彼らの会話を聞いている。

「まず、結論から述べましょうか……オーブ政府は、アークエンジェルの再入国を拒否します。今後、情勢が急変しない限り」
「受け入れの絶対条件、再考されるケースは?」
「カガリ様が、あの艦のクルーに脅されていたと。かつての仲間を罪人として処罰するならば、大西洋連邦やプラントへの体面は整いますが」
 示唆された可能性に、ぎょっとする自分とは対照的に、
「逆に、今もアスハを支持している人々の多くが、彼女に見切りを付け離れていくでしょうね。勧められる手段ではありません」
「どのみち無理だろ、あの娘にゃ」
 あっさり否定して退けたコダックの横で、初めにフジと名乗ったスーツ姿の男は、ひたすら速記に徹している。
「そんな非情さを持ち合わせてりゃ、もう少し上手く立ち回っていただろうしな」
「ええ。この先、カガリ様に、復帰の機会があるとすれば――セイランが国の存亡に関わるような致命的ミスを犯したとき、くらいのものでしょう――とはいえウナト・エマも、宰相として政務を担えるキャリアを積んできた男です。そうそうオーブの不利益になる真似をするとは思えず、我々も、そんな事態を望みはしません」
 普段、どちらかといえば寡黙な父が、
「元首として守るべき国と、カガリ・ユラ個人として愛する者たち。双方を抱きかかえる腕を持たず、どちらを切り捨てることも出来ないなら……いっそ政界から身を引いた方がいい。ただでさえ、誠実な人間には生き辛い時代ですから」
 よどみなく語る内容は、まさに、ここ数ヶ月ゼミで討論していたテーマに沿い。
「昔のように独自の立場を、中立のままで在れたらと、民の大多数も思ってはいるでしょう――けれど彼らがオーブでの暮らしを望んだのは、理念に殉じて死ぬ為ではない」
 だが、感情論に傾きがちだった自分たちの対話と、眼前で紡がれる言葉はまるで別物だった。
「私も、息子を国や軍に奪われるのは、二度と御免です」
 静かに一瞥されて、サイは、ぐっと詰まる。

 ヘリオポリス崩壊後、その意味を深く考えもせず入隊を決めた自分。
 あのとき自分がフレイを止めていれば、軍に志願しなければ、彼女やトールは今も変わらず生きていたかもしれないと……繰り返し考えた。

 けれどもう戻らない、手の届かない過去。



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『星のはざまで』 の映像を見たら、ふと書きたくなりました。フレイとの思い出話と、サイ兄さんの日常。
レッド・エデン・ローズという品種の蔓薔薇は、実在します。写真で見ると、見事な赤でした。