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■ 空と海の間 〔1〕


 やや遅めの朝食を終えた、休日に。
「サイ、出掛けるの?」
 玄関でスニーカーの紐を結び直していると、母親が、耳聡くキッチンから顔を覗かせた。
「ああ。カレッジ時代の友達と、一緒に海釣り」
 詳しく聞きたいけれど鬱陶しがられるだろうかと葛藤している様子で、そわそわ落ち着かぬ彼女に、しょうがないなと苦笑しつつ細かい予定を告げる。
「カズイと、車でハクト海岸に行くだけだよ。昼飯は向こうで食って、日暮れ前には戻るから」
「そう、それなら片道一時間くらいよね。天気予報は、夜まで晴れだったけど……海沿いは、にわか雨が降るかもしれないし。傘とジャケット、持っていった方がいいんじゃないかしら? ケータイ、忘れてない?」
「大丈夫、ぜんぶ鞄に詰めてるって」
「お夕飯は? カズイ君が遊びに来るなら、彼のぶんもごちそう作るわよ」
「ああ、晩メシまでには帰るよ――あいつは明日、仕事だって言ってたから。ウチには寄らずに自宅で食うだろ」
「そう? そうね、あの子もご両親と暮らしてるんだったわよね。バスカークさんたち、お元気かしら……?」
 いよいよ話を脱線させそうな母親に 「行って来るよ」 と片手を振り。
「待ち合わせに遅れちゃいけないものね。脇見運転してる対向車には、気をつけるのよ、サイ? カズイ君によろしくね」
(……運転するの、俺じゃないんだけどな)
 なおも追いかけてきた声に、ああ、と少々なおざりな返事をしてドアを閉める。

 不必要に息子を甘やかすことなく、おおらかな性格だった母親は。
 ヘリオポリスが崩壊した、あの日以前に比べ――ときに周りが辟易させられるほど、過保護な一面を見せるようになった。



「しっかし……おまえが暇さえあれば海に、とはね」

 釣り糸を海に垂らして潮風に吹かれながら、妙な感慨に耽る。
「怪獣がいるかもよ〜って、ミリィにからかわれて動揺してた奴とは思えないよな」
 小魚が二匹ほど泳いでいる、クーラーボックスを挟んだ隣。テトラポッドの先端にあぐらをかいていたカズイが、真っ赤になって飛び上がり。
「確か、あのときサイは居なかったろ!? なんで知ってんの」
「シフト交代で甲板に上がろうとしたら、おもしろおかしく話してくれたよ。トールたちが」
「うっ、しょうがないだろ? ヘリオポリス育ちで、海なんて見たことなかったんだから!」
 凪いだ海岸線に、ひとしきり響く笑い声。
 ぶつぶつ抗議していたカズイは、再び腰を下ろしたあと思い出したように訊いた。
「……べつに行きたいところは無いって言うから、俺の趣味に付き合わせちゃったけど。街で買い物とかの方が良かった?」
「いや。活字やネットから離れて、外でゆっくり過ごすなんて久しぶりだし――なんか、ホッとしたよ」
 そっか、と相槌を打って、持参したペットボトルの水を一口。
「大学の勉強、やっぱり難しい?」
「そうだな。まあ、丸暗記が通用する分野じゃないからさ」
「世の中ぐちゃぐちゃな時代に、法政だもんなぁ」
 空を仰いだ彼につられ、ふわあと欠伸をかましつつ見上げた晴天を、優雅に舞う鳥の姿は。
 白いのがカモメで、それより一回り小さい薄茶がウミネコ。時折ゆったり旋回している焦げ茶の大型鳥は、鳶だと教えてもらった。
 ここへ来て、なかなか釣果が上がらず時間を持て余すときは、双眼鏡でバードウォッチングしているんだそうだ。
 以前、釣りの片手間に食べていた、エビが原料の菓子を袋ごと掴み盗られ。どんな奴か調べているうち生態観察に嵌ってしまった、というあたり……らしいと言うか、なんというか。
「カズイは、順調? 配属先、特殊金属の開発やってるんだっけ」
「うん。働いて給料もらってさ――自分の仕事が形になるって、なんかイイよね?」
 返された答えは、よどみなく明瞭で。
「覚えた端から新しい担当業務が増えるけど、任されるって嬉しいなぁと思うよ。それに苦手な営業する必要ないし、たまに上司のお客さんにお茶出すくらいで、あとはずっと実験に集中していられるんだ……性に合ってる感じかな」
 すっかり職場に馴染んだのかと思いきや、続いた台詞は意外なものだった。
「近いうち、転職するかもしれないけど。それでも工学系の研究員でいると思う」
「転職?」
「あ、うん。もちろん一人前の技術者になれたって自信、出来てからがイイんだけど。そう悠長にしてられなさそうだしね」
 はたはたと両手を振る友人に、サイは眉をひそめて問う。
「モルゲンレーテ、なにか問題あるのか」
 えっ、と目を丸くしたカズイは、嫌だなあと笑い飛ばした。
「 “ストライク改” を密造してる、なんて判ったら俺、またザフトが攻めて来る〜って大騒ぎしてとっくに逃げてるよ」
 大西洋連邦と同盟を結んでいる現状、シャレにならない仮定だ――が彼の反応を見る限り、今のところ、そんな噂は皆無なんだろう。
「会社っていうより、国が、さ……アスハ代表のトラブルがどう転ぶか分かんないから、なんとも言えないけど。そのうち両親連れて、政情が安定してるスカンジナビアあたりに引っ越そうかなって、最近ちょっと考えてるんだ」
 驚くサイへ、思い切ったように打ち明けて。
「働くんなら工学知識生かして、国防に携われる仕事って、決めてたし。復興が一段落したばかりのオーブじゃ、そんなに就職先の選り好みも出来なかったから――教授のツテで、再建されたモルゲンレーテに入社したけど」
 憂鬱そうに首を縮めた、友人は。
「ダーダネルスやクレタの中継ニュースは、サイも見たろ? お父さん…… “アークエンジェル” のこと、なにか言ってた?」
「ああ、渋い顔してたよ。後先考えなさ過ぎるって」
「だよ、ねえ?」
 同意を得られて安心したように、訥々と語りだす。
「俺さ……家族みんなだけど。条約締結が発表されたとき、これでしばらく安全だと思ったんだ。先のことは分からないけど、明日いきなり連合軍が攻めてきたり、政府が自爆する心配はいらないんだって」
 そのとき、カズイの釣竿がくんっと引かれ。
 あわててリールを巻き上げるが、魚は餌だけ食いちぎったようで、曲がった針の先にはなにも残っていなかった。
「アスハ代表と、結婚したユウナ様を、セイラン宰相が裏方で支えて。なんていうかこう……のらりくらり? 約定どおり被災地への援助はする、でも他国の争いに介入はしないってふうに中立を貫いて、オーブが戦場になるの防いでくれると思ったんだよ。なのに」
 肩を落とした、彼は深々と嘆息する。
「あっちこっちに現れて “ムラサメ” まで撃ち落して、式場から誘拐されたアスハ代表は、毎回おんなじこと叫んでるし。理念や誇りって、カッコイイとは思うけどさぁ――セイラン宰相たちが、上手く言い訳してくれなかったら。また本土が焼け野原にされたら、どうするつもりだったんだろ? ウズミ様時代より劣った軍事力で勝てっこないのにさ」
 経済文化局の責任者でさえ、連日泊り込み残業、各国からの問い合わせ対応に追われていたくらいだ。
 軍事や外交に携わる行政府の官僚は、そうとう苦労しただろう。
「ヘリオポリスごと会社が潰れちゃった父さん、必死に再就職先探してさ。母さんはパートに出て。俺も卒業して、やっと稼げるようになって……狭い借家だけど、やっと生活が落ち着いてきたとこなんだよ? それなのに “アークエンジェル” が、世界中から睨まれるようなこと、しでかすなんて」
 あの艦が迷走した経緯については、コダックから詳細を聞かされていたが。
 それをそのままカズイにぶちまけることは、むやみと不安を煽るだけに思え、ためらわれた。
「オーブは技術大国なんだから。外交関係が悪化したら輸出も低迷して、製造業は真っ先にリストラの嵐じゃないか? 自給自足できる、政府が生活を全面保障してくれるって言うなら、まだ納得するよ。けど経済にゆとりあった二年前だって、個別の補助金なんか無かったのに」
 経済問題は、局長を務める父親の管轄でもあり、これまた耳に痛い。
「臆病だとか卑怯者って、思われても……俺には、身近な生活の方が大切だから。国と一緒に野垂れ死になんて、嫌だよ」
 降りるか、残るか。
 二年前の別れ際、半ば怒鳴るように口にした台詞と似たことを、カズイは静かにつぶやいた。
「おまえの感覚が普通なんだよ。アークエンジェルの戦闘介入は、政府内外でも批判浴びてるし――二年前は、俺にも出来ることがあったから、後悔しないため艦に残ったけど」

 ……今回は、きっと悔いたろう。
 ミリアリアは “ターミナル” との架け橋という役目を負っている。けれど一介の法学部生に過ぎない自分が果たすべき務めは、古巣に無い。
 政治絡みでこんがらがった事態は、二年前のように、戦力を補強すれば打開されるという代物ではないのだから。



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戦後、カズイは元気で、サイたちと再会。でも庶民とは呼べない暮らしをしてるキラとは疎遠だと思ってます――で、ひっそり国防関係の仕事に就いているイメージ。オーブ侵攻前に戦線離脱した、引け目や未練を昇華すべく。