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■ クラインの後継者 〔1〕


 片手で押さえようとしたが間に合わず。
 くしゅんっ、という音は、小ぢんまりした艇内に思いのほか響いた。
「すみません、寒いですか?」
 パイロットシートの青年が、気遣わしげに振り返り。空調、弱すぎたかな……と計器をがちゃがちゃ回す。
「安物でかまわなければ、仮眠用の毛布もありますけど」
「いえ、お気遣いなく。室温は快適です」
 べつに埃っぽくもないのに何故クシャミが――わずかに首をかしげ、アイリーンは答えた。
「いくら慎重にルートを選んでも、偵察機にぶつからないとは限らないでしょう? 燃料は、節約するに越したことありません」
 ひとたび戦闘に突入してしまえば、自分はまるっきり役立たずだ。
「それより……余所見運転をされては、デブリに衝突しないかと不安ですね」
 楕円形の窓ガラス越しに、果てなく広がるコズミックブルーを眺めやり、微笑して返すと。
「す、すみません」
 彼は、赤毛を掻きつつ操縦に戻り。
 同じくアイリーンを迎えに赴いた壮年の男が 「おいおい、しっかり頼むぜダコスタぁ」 と陽気にヤジを飛ばす。
「あとニ時間ほどで、目的地へ到着しますから」
 そう告げた、自分と変わらぬ年頃の女もまた、ザフトの緑服を身に纏っていた。


 今はとある宙域に身を隠しているというラクスへの支援を、工作員が打診してきたのは――ちょうど “シュバルツ” 三機が地球へ向かう直前だった。
 タッドの息子らが帰還するまでは、と返事を先延ばし。悩み抜いた末に 『まず、ラクス本人と会わせるよう』 要求。
 なんだかんだと理由をつけ拒否される可能性の方が高そうに思えたが、意外にも即日了承を得られた。
 アイリーン・カナーバを評価しての対応か、はたまたクライン派が困窮している表れか。
(今回は、どちらでしょうね……?)
 過去へ想いを馳せながら、静かに耳を傾けた。
 ダコスタたちが交互に語る “事情” は、ターミナル経由で把握していた流れと寸分違わず。混乱も驚愕さえ伴わず、時折、相槌や質問を挟んでは細部を整理するだけ。

 そう。理屈は分かる、呑み込んだ――けれど未だ腑に落ちない。
 なにかひとつ喉元で引っ掛かったままだ。
 すべてを見透かしたような、けれど不明瞭なタッド・エルスマンの言葉が、残滓のごとく。
 ラクス、それからアンドリュー・バルトフェルド。
 現在、クライン派を束ねる両名へ、告げるべきことは既に決まっており……覆しようも必然もなく。ただ違和の根源を確かめたいが為だけに、星の海を往くのだろう。私は。


 そうして、小型艇が辿りついた先は。
 岩塊を用い小惑星に模して、秘密裏に建造された “ファクトリー” と呼ばれる兵器工廠だった。
 デュランダル政権下、おおっぴらに集まり議論を交わす場を失った、クライン派の本拠地であり。今は歌姫の住居を兼ねた、戦艦 “エターナル” も停泊しているという。

「……奇妙な光景ですね」

 ラクスの元へ案内される道すがら、淡紅色のシルエット、さらに開発途中のモビルスーツを見とめた、
「軍事は専門外でも、あれは記憶にあります」
 アイリーンは頭痛を堪え、強いて冷静な声音を保つ。
「え?」
「前終戦直後、次期主力MSを決めるコンペティションで候補に挙がっていた “ドムトルーパー” ――相変わらず、ザフトの情報セキュリティは欠陥だらけということでしょうか?」
 ほぼ完成された形で格納庫に収まっている、重量感ある二等辺三角形のライン。
「リサイクル精神は尊ばれるべきですが、破棄されるべき機密データを奪って私物化するとは感心しませんね」
 こんなモノが造られていることさえ知らずにいた、自分は。
 シーゲル・クラインの側近だった、はずだった。
「プラントが、核攻撃の脅威にさらされて……ザフト各隊は、今も地球連合と睨み合いを続けているのに。指揮系統を抜け出して、祖国ではなく、民間人に過ぎない少女の元で戦力増強に勤しんでいる」
 けれどこの感覚は、まるで単身敵陣へ乗り込んだよう。
 すれ違う “ファクトリー” の人間は、見覚えある者より、知らぬ顔の方が圧倒的に多く。
 浴びせられる視線に振り返った、アイリーンは、遠巻きに睨めつけてくる眼帯女に眉をひそめた。トップエリートの象徴、赤服ご登場とは恐れ入る。
 このぶんでは、司令官クラスの白や黒も紛れていそうだ。
「あなた方が袖を通した、それは作業着代わり? 離反した組織への愛着? それとも」
 情勢の変化や経験から、考えが変わることはあるだろう。
 必要とあらば所属を移す決意もするだろう、けれど。
「歌姫暗殺に “アッシュ” を送り込んだ、警戒対象たるプラント本国において、諜報活動をするのにちょうど良い隠れ蓑になる――ということかしら? マーチン・ダコスタ」
 軍属の証たる制服は、けじめとして返上すべきだろうに。
 役割を放棄した彼らが、エターナル、ドムトルーパーを含め、なにを揃いも揃ってザフトの物資を流用しているのか。
「カモフラージュとして不可欠だからこそ、手放せないのは事実ですね」
 立ち止まったダコスタは、気負うことなく真顔で肯いた。
「ザフトに敵対する意図はない。本来の職務を逸脱しても、プラントの為になると考え選んだ……自負と計算があって、この軍服を着ている」
 褒められた行為でないことは百も承知ですが、と前置き。
「合法的に世界を牛耳り、証拠を残さず、ラクス様を亡き者にしようと目論む輩が存在する以上。違法行為を罵られようと、力ずくで突破口を探す――それが俺たちのやり方です」
 背に腹は替えられない、備えあれば憂いなしといったところですね、と嘯く。
「けれどおそらくカナーバ様には、容認し難いものでしょう?」
「ええ。二年の時を経て再び、ザフト軍に攻撃を仕掛けた “フリーダム” ……さらに白昼堂々ハイジャックに踏み切られては、さすがに擁護出来ませんね。元より正当性を欠いた行為に、緊急性さえ認められぬとあっては」

 前戦時。
 独断専行でモビルスーツ及び最新鋭艦を奪取したラクスたちは、ある意味、賢明だったろう。
 自分を含め、ザラ派に拘束された議員の誰もが、おそらく知らされていれば頑なに反対したはず。クライン派内で揉めていては、パトリックの強攻策に押され続けるだけだったろう。
 二年前は、幽閉の身。そうして今は……ここへ招かれた訳だが。

「核動力保持に飽き足らず、使い途も定まらぬモビルスーツを大量密造。よくもまあ、こうまでユニウス条約を反故にしてくれたものですね? 締結者が誰かを知った上で、敢えて泥を塗ったのかしら」
 相容れぬもの。
 同じ派閥に身を置いても、なお。
「私は、あなた方に賛同しません。兵器開発のノウハウなど持ち合わせておらず、資金源にも成り得ない、とうの昔に政界から遠ざかった一般人です。殺しても脅しても、なんら役に立ちませんよ?」
「そんなことしませんよ! 会談がどんな結果に終わろうと、俺が責任持ってセプテンベルまでお送りします」
「あら、そうなの? すれ違う人たちが、ずいぶんと胡散臭げに私を睨むから――うっかりラクスに異論を唱えようものなら不敬罪で八つ裂きに、デブリへ棄てられるんじゃないかと思っていたわ」
 くすくす肩を揺らした、アイリーンの眼は笑っておらず。
「……シーゲル様と懇意になさっていた、元議長でもあるカナーバ様を、侮るような人間はここに居ません」
 ムキになって否定したダコスタは、ややあって慎重に。
「けれど、ラクス様を害する輩は何人たりとも許さないと、苛烈な忠誠心を抱くメンバーは多くいます。歌姫帰還の報せに、勇んでプラントを飛び出したものの――情勢は膠着して調査も進まず、大半が無気力に陥る一方で、血気盛んな連中は時間と暇を持て余している」
 ファクトリー内の空気も暗く凝り、まずい状態だと明かした。
「デュランダル議長を “黒” と仮定するなら、現状、付け入る隙はありません。行き詰った組織に迎合されても意味がない……俺たちとは違うやり方で、それでもラクス様を、プラントの未来を憂うだろう人物でなければ」
 青年は、真っ直ぐにアイリーンを見据え。
「クライン親子と親交深かった、知名度ある旧議員。第一線を退いたとはいえ政界における発言力・人脈を残しながら、これまで強攻策に訴えることはなかった――あなたが、心当たりの筆頭でした」

「お互いに目的が一致した、と考えて良いのかしら?」
「それを確かめるにも、ラクス様に会わなければ始まらないでしょう」
 通路の最奥に位置する扉に向かい、慣れた手つきでIDカードを通すと 「ダコスタです。アイリーン・カナーバ様をお連れしました」と告げる。
〔……おう! 遅かったな、入れ入れ〕
 インターホンより応えがあり、かちりとロックの外れる音がした。
「室内には、隊長――バルトフェルドを始め、リーダー格のメンバーが集まっています。彼らとの話がまとまれば、他の説得や交渉事はすべて俺が引き受けますから」

 そうして開け放たれた、扉の向こう。

「お久しぶりです、カナーバ様!」
 柔らかに弾んだ声と。
 モノトーンの殺風景な空間において、たおやかに、ひときわ目を惹く薄桃色。
「申し訳ありません。本来、私共の方から伺うべきなのに……このような不便な場所へ、ご足労いただいて」
 駆け寄ってきた少女は、記憶にあるより。
 ここしばらくメディアを賑わせていた “歌姫” に比べても、ずいぶん大人びて映った。
「あなたがプラントへ出向く危険に比べれば、たいしたことありませんよ。迎えの船だけで充分です」
 時の流れを実感しながら、アイリーンは微苦笑を浮かべる。
「二年ぶりですね、ラクス。顔色は悪くないようですけれど――少し、痩せましたか?」


×××××



 ラクス、ダコスタ、バルトフェルドを除けば。
 小会議室と思しき空間に佇むは、強面の白並びに黒軍服と、グレーのスーツを着た男――いずれも知らぬ顔だった。
 読み取れる感情は警戒、当惑、さらには軽侮とマイナスに偏っている。

「あー、ところで……カナーバさん? まだ着いたばかりだ、小一時間でトンボ返りってことはないでしょう」
「はい?」

 勧められるまま、ラクスと向き合い腰掛けたところへ、
「話が長引けば紅茶一杯じゃあ足りっこない。菓子はたくさんあるんだ、甘味を堪能するには苦いもの! ……という訳で、二杯目からはコーヒーをいかがですかね?」
 妙にそわそわと話しかけられた、アイリーンは相手の意図が解らず点目になった。
「あら。何度も申し上げましたけど――この席はわたくしにお任せくださいな、バルトフェルド隊長」
 ティーポット片手に微笑んだラクスは、彼の提案を一蹴。
「昔から、紅茶の方がお好きでしたものね?」
 アイリーンは、口元をほころばせ 「ええ」 と肯いて返す。
 なにしろ、宇宙にぽつんと浮かぶ拠点施設――シンプルと呼ぶにも簡素な造りの部屋だが。
 据え付けのテーブルには、人数ぶんのティーセット。さらにチュイール、ビスコッティやラング・ド・シャと、数種類のクッキーを盛りつけた大皿が置かれていた。
 そうこうしている間に、青いコートの襟首をむんずと掴まえたダコスタが、
「他の連中が飲み飽きて逃げるからって、カナーバ様まで巻き込まないでくださいよ!」
「いや、しかしだなあ」
 もてなしの精神がどうこうと主張するバルトフェルドを、壁際へ引きずっていき説教を始める。

(……賞味期限が迫ったコーヒー豆でも余ってるのかしら)

 どうでも良いことに気を散らしつつ、
「ありがとう、早速いただくわね? ちょうど喉が渇いていたのよ」
 カップを手に取ったアイリーンを見つめ、嬉しげに頷いた少女は、ひとまず隅で揉めている二人を放置。
「はい。皆さんも、どうぞお掛けくださいな」
 残る三名に着席をうながした。
 歌姫手ずからに紅茶を注がれた、青壮年の男たちが恐縮しつつ頬を染め口々に礼を述べる中。
( “ファクトリー” 内部の雰囲気からしても……あれこれ面詰するより、問われる側に回った方がこじれなくて済みそうだわ)
 交渉相手となった顔ぶれを順に眺めつつ、思案していると。
「さて、カナーバ殿」
 初対面のクライン派構成員は、それぞれ名乗るや否や焦れたように口火を切った。
「遠路はるばるお越しくださり、お疲れでしょうところ誠に申し訳ないが。悠長にかまえていられる事態ではありません」
 本題に移らせていただきたいと、こちらの返事さえ待たず。
「デュランダルの元、あろうことかラクス様に成り済ましおった小娘の存在は、当然ご存知ですな? 厚顔無恥にもクラインの名を汚す、彼奴らの謀りを暴くため、我らと志を同じくする者として――なにより前議長たる責任に於いて、ここにいらっしゃるお方こそ本物であると証言していただきたい」
 憤懣もあらわに要求した彼らへ、バルトフェルドが 「おいおい……」 と呆れ混じりの視線を向け。
 ダコスタは、思いきり顔をしかめた。
「――な」
 ぎょっとしたラクスが、弾かれたように席を立ちかけるのを制して。
「そう言われましても……プラントに滞在中の “歌姫” が偽者で、こちらのお嬢さんが本物だという根拠はどこに?」
 アイリーンは失笑をこぼす。
 臨時評議会の解散以降、政治的な活動といえば――時折、セプテンベルの市議会に招かれアドバイザーを務めた程度。こういった場へ赴いたのは実に一年ぶりだが、駆け引きの必要さえ無さそうだ。
「なんだとぉ?」
「眼病を患っておるのか、カナーバ殿? 一目瞭然ではないかッ」
「我らのラクス様が、あんな飛んだり跳ねたり破廉恥な振る舞いをする訳なかろう!」
「残念ながら、判りませんわ」
 かんかんになって吠えたてる彼らを、底意地悪い気分で見やり。
「顔は同じ、声も同じ。イメージが昔と異なるのは確かですが――成長期の少女、しかもアイドルなんて良くも悪くも変化するでしょう? 現に私が知る、純粋無垢で可愛らしい印象しかなかった “シーゲルの娘” と、ここに同席している彼女もずいぶん違いますし」
「なにを言う! ラクス様は、貴公が紅茶好きとご存知だったではないか」
「そんなこと。友人知人のみならず、議員だった当時、肩を並べ働いていた同僚の大半が覚えているはずよ? オフィスでの主流はコーヒーだから、なおさらね」
 あまり “クライン” を貶めてくれるな、と皮肉に思う。
「な、ならば! ご自身の芸能活動歴とシーゲル様の職務について、詳細をラクス様にお話いただこう。それなら文句あるまい」
「……文句もなにも。シーゲルの仕事に関してはともかく、私は芸能に疎くて、熱弁されても判断しかねます。そもそも、公的記録を熟読すれば誰にでも知れることでしょう」
 部下と客の間で板挟みにされた、少女は真意を量ろうというように、じっとアイリーンに視線を据え。
「おお? 完膚なきまでに、やり込められてるなぁ」
「そりゃあ。ブランク有りとはいえ、外交委員を務めていた方ですからね」
 バルトフェルドたちは、押される一方の同僚らに加勢するでもなく傍観を決め込んでいた。
「アスハ邸を襲った “アッシュ” に付随して、プラント政府に不審点があることは認めましょう。けれど私は、オーブへ亡命した後の歌姫を知らない。デュランダルに請われ、あるいは自発的に、祖国へ戻ったのかどうかさえ――なにより、片方が偽者だからもう一方が本物とは限りません」
 ラクスへの敬愛こそ共通するも、どうやら指揮官クラスのメンバー同士はまとまりに欠けるようだ。
 こうまで容易く挑発に乗せられ突っかかってくる輩が、クライン派の中心人物と数えられているなら、おそらくは提供資金額等の多さにより発言権を得ただけ。

(会談に臨みながらも、ブレーンと呼べる人材ではないんでしょうね……)

 特にバルトフェルドは、彼らを良く思っていなかったのか。
 ぎりぎりと歯噛みしてアイリーンを睨めつける男たちに、ざまあみろと言いたげな眼を向けている。
「シーゲルとパトリックを喪い、彼らの血を継ぐ子はオーブへ去った。ザラとクラインの二大派閥が影響力を弱め、デュランダル政権下――待遇や政策に不満を抱くものがクーデターを目論むならば。それこそ、ラクスの偽者くらい担ぎ出すでしょうね?」



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マイナー獣道ペア (?) ダコカナ。管理人脳内では、ぞれぞれクライン派勢力内で対極に位置する二人です。旧評議会組の中心がクルーゼ隊の親世代だったため、なんとなく30代後半と思い込んでたカナーバ前議長……調べてみると、まだ20代半ばらしい。物腰落ち着きすぎ〜 (汗)