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■ クラインの後継者 〔2〕


「き、き、貴様! 我らを愚弄する気かッ……!?」
「ただ、可能性の話をしているだけです。私が考えつくレベルのこと、プラント政府とて反論してくるでしょう。盗難艦 “エターナル” 保持、データ流用の “ドムトルーパー” 以下、MSを大量密造――瞭然なのは、あなた方が反乱分子だという物証ばかり」
 アイリーンは、話の腰を折ってばかりの三人組を黙らせにかかった。
「では、再質問です。プラントに滞在中の “歌姫” が偽者で、こちらのお嬢さんが本物だという根拠はどこに?」
 ぐっと言葉に詰まり、眼球を泳がせる男たち。
 とうとう笑いを堪えるように顔を背けたバルトフェルドは、渋面のダコスタに、脇を肘で小突かれ。
「証明出来ない、でしょうね。だから」
 アイリーンは嘆息しつつ、ほっそりした肩を落とす少女に目線を留める。
「私は、あなたがここに居ると確かめに来ただけです」
「……カナーバ様?」
 ラクスが、やや不安げに小首をかしげる中。

「政治討論のため、幾度となくクライン邸に集まった折――やはり、紅茶と焼き菓子が用意してありました」

 想起する、在りし日々を。
 打ち壊された屋敷には住人が居なくなり、とうに跡形も無くなってしまったけれど。
「私が苦手なバターサンドばかり残していたら、それはいつの間にか出なくなって。どこで買ったのか訊ねたら……シーゲルが、愛娘が腕を振るったんだよ、と得意げに」
「父が?」
 唐突な思い出話に、ラクスは、淡いブルーの瞳をきょとんと瞬かせた。
「定番だったクッキーが五種類で、飾りつけも記憶にあるまま。風味や焼き加減は――甘さ控えめで、少し嗜好が変わったかしら?」
 さくさくと菓子をかじり紅茶を口にしながら、アイリーンは話し続ける。
「けれど、新しいレシピをマスターするまで、けっこうな頻度で失敗するから大変だと笑って。あの頃も、大量に焦がしたパウンドケーキを……だったかしら? メイドさんたちに押し付けるわけにもいかなくて、連続五日・三食とも、親子でパン代わりに食べ続けたとか」
「ち、違います! パウンドケーキではなくて、シフォンケーキです」
 するとラクスは、耳まで赤くなり首を振った。
「捨てては勿体ないし、ちょっと硬くてもフランスパンみたいなものだといって。ジャムを塗ったり、ベーコンとレタスを挟んでみたり――飽きないように色々と工夫してみたんですけど、あの」
 必死に弁解して、おずおずとこちらを窺う。
「……父は、困っていました?」
 問いに応じようとするアイリーンを遮り、しぶとく絶句状態から回復した面々が「なんなんだ」 と口を挟む。
「菓子の味で証明されたなら、最初からそう言えば良いだろうに――ラクス様を疑うような暴言の数々、失礼だと思わないのか」
「そんなもの判断材料にすらなりませんよ」
 まったく煩い連中だ。ここしばらくタッドに言い負かされる日々を過ごしていたためか、追及ポイントの鈍さには、拍子抜けや優越感を通りこしてゲンナリする。
「は?」
「クライン邸で、ホームメイドの菓子をつまんだ回数など片手で数えられる程度です。いくら記憶力が優れていようと、三年近く経つのに、味の比較検証なんて出来るわけないでしょう。飾りつけ云々の台詞は出任せです」
「…………」
「私が覚えているのは、クッキーと紅茶が素朴に美味しかったこと。それから、あるときシーゲルが五日連続、昼食に焼け焦げた “シフォンケーキ” を食べていたことだけ」
 なにしろ強烈な笑い話だった。
 しかしこれは、その時期その週にシーゲルの執務室を訪ね、来客中にもかまわず彼が食事、なおかつ雑談するほど親しかった人間――もしくはクライン家の使用人だった者か、オーブンの時間設定を間違えた当人しか知らないエピソードだろう。
「パウンドケーキじゃなくて、ね」
「! ……ええ、シフォンケーキでしたから」
 意味ありげに微笑むアイリーンに “試された” と思い至ったらしく、瞠目した少女は、重ねてはっきり頷いた。
 バルトフェルドが冷やかすように、ひゅうと口笛を鳴らし。
 ダコスタは、意を得たりとばかりに破顔する。
「あの頃、レパートリーはお菓子ばかりと聞いていたけれど……地球で暮らして、家庭料理も覚えた?」
「はい。カリダお母さま――あっ、いえ!」
 こちらには覚えのない固有名詞を出したラクスは、赤面しつつ言い直した。
「あちらで同居させていただいた、女性の方に……習いまして」
「そう」

 これだけ確認できれば、態度を決めるに充分だ。

「どちらが本物かという論争を、あなた方が起こすか、それともプラント政府が火をつけるかは――分かりませんが」
 同席者六人を直視して、アイリーンは静かに告げた。
「そのときは、私が名乗りを上げましょう。直に話せば、シーゲルの娘本人かどうか判るから、デュランダルと共にいるラクス・クラインに会わせなさいと」
 政府が口裏合わせを打診してくるか、なんらかの理由をつけ拒否するか。
 どちらにせよ、プラント市民の疑念は最大限にまで煽られるだろう。


「けれど私は、あなた方とは無関係です。ユニウス条約を踏み躙った武装グループへは非難を表明する、もちろんシーゲルの後継者とも認めません。ここへ招かれ応じたこと、交わした会話内容は一切他言無用です」
「ふん、責任は負わないという訳か? クライン派にあるまじき、とんだ臆病者だな」
「どう転んでも己に不利益が無いようにとは、小賢しい……」
「違うな」
 ずっと壁に凭れていたバルトフェルドが、気勢を取り戻した同僚を牽制するように割って入る。
「俺たちの支援者であっては、せっかくの提案も信憑性が薄れるから――だろ?」
「……ええ」
 参謀としては使えぬ輩が混じっているものの、かつて砂漠で名を馳せた者達は、さすがと言うべきか頭の回転が速いようだ。
「今の流れと同じことです。私がどう理由をつけても、保身ゆえの弁明に聞こえたでしょう? けれどバルトフェルド氏が一言、こうして口添えれば納得する――あなた方を非難する者であってこそ、証言は意味を成す」
 また的外れな反論を披露されるかと思ったが、ぐぬうと唸りつつも相手方は黙り込み。
「ただし、名乗り出るにも交換条件があります。本日を以って、プラント政府及びザフト軍を対象にした物資強奪・横流しを、例外なく停止なさい」
「なに!?」
「なに、じゃありません。シーゲルの忘れ形見を、窃盗団の女首領に祭り上げるおつもりですか?」
「窃盗とは失敬な! ラクス様を亡き者にせんと、モビルスーツの大群を差し向けてきた暗殺者の尻尾が掴めぬから、仕方なく守りを固めておるだけだッ」
「新鋭機 “アッシュ” の紛失に気づきもせず、偽者ごときのコンサートに浮かれていたザフトの怠慢だ!」
「だいたい、本物かどうか区別すらつかん政府の連中が悪い! それとも全員がデュランダルの共謀者か?」
「とにかく、これは正当防衛だ!」
「……それも度を越せば、過剰防衛で罰せられると思いますけどね」
 意見というより口々に不満をぶちまける彼らを、アイリーンは冷めた口調で突き放す。
「理由の如何に関わらず、一連の行為は盗難に違いありません。二年前は、酌量の余地あればこそ追及を免れたに過ぎない―― “ラクス” を詐称した少女より、クライン派のきな臭さが鼻につけば、本物の所在公表はマイナス要因にしかなりませんよ」
 元々物量では地球連合に抗しきれないというのに、クライン親子の威光を笠に着て、プラントの戦力を削がれてはたまらない。
 いくらアバウトな組織体制のザフトとはいえ、横領が度を越せば勘付く人間も現れるだろう。
「歌姫が、昔以上に持て囃されているのは」
 プラント国内においてデュランダルを凌ぐほど、今なお圧倒的な影響力を誇る理由は。
「テロ紛いの行為に走ったアークエンジェル一派と異なり、ラクス・クラインは――議長の傍ら、慰問活動に励んでいるのだと認識した市民が。どんな形にしろ、彼女の歌声に癒されているからだという事実をお忘れなく」
 それは皮肉にも、彼らが “偽者” と罵り嘲る少女のおかげ。
「クライン派の名を汚すなと言う、そちらこそ……糾弾されかねない行為は慎んでもらいたいですね。表面化した危険も無く、手っ取り早いからなどという説明では誰も納得しませんよ」
 今頃になって自分に接触を図った、ダコスタらの事情がようやく飲み込めた気がする。
 おそらく彼らが危惧したのは、閉塞感に苛まれたメンバーの暴走により齎される内部崩壊――ならば確かに、互いの目的は一致していたようだ。
「政敵の非を詰るなら、己こそ潔白でなければ始まらない。訴追される隙をむやみと増やさぬよう、きちんと末端の構成員まで統率してください――また、有事の際にも決してプラント本国へは銃口を向けぬこと。この約定が果たされれば、私も証言に立ちましょう」
 すでに成された軍備増強の是非は、すべてが明るみに出たあとプラント市民が決めるだろう。

×××××


 夕食も済ませ、バルトフェルドたちと打ち合わせるべきことは語り終え。
 緑服の女性に案内されるまま、宛がわれた寝室は――居住エリアの奥も奥、どん詰まりで。
 VIP待遇といえば聞こえは良いが、カナーバの滞在を問題視しているか、過度の敵愾心を抱くメンバーを警戒しているのか。
 まあ理由は混在していて、とにかく要らぬトラブルが起きぬようにという配慮だろう。
 備え付けのTVでニュース番組をチェックした限りでは、プラントにも地球にも、まだ特に大きな動きはないようだ……と。

〔ハロハロハロ、テヤンデーイ!〕

 覚えのある電子音声が聴こえ、顔を上げれば天井にある、空調ダクトだろうか正方形の枠がぱかっと開いた。
 転がり落ちてきた球体は、ベッドの上を二度跳ねて。
「……ハロ?」
 ソファに座っていたカナーバの膝に納まると、両眼を点滅させ、ぱたぱたと耳 (?) を上下させる。
「相変わらず神出鬼没ね、このペットロボットは――」
 思い返せばクライン邸に出入りしていた頃も、庭だのリビングだの、至るところに色とりどりコロコロと。
「あら? あらあら、ピンクちゃん?」
「?」
 なぜか小さくラクスの声まで聞こえ始め、ハロに録音されたメッセージかと思いきや、
「暗くてよく見えませんわね……えーっと、ハシゴ、ハシゴは」
 さっきハロが出てきた60cm四方程の穴から、ガッタンバッタンずるずるひゅー、ぼすっとピンクの人影が降ってきた。

「キャー!?」

 二人ぶんの悲鳴がこだまする室内、ベッドをクッション代わりに仰向け。
「も、申し訳ありません、突然押しかけてしまって! お怪我はありませんでしたか? カナーバ様――」
 ころんと転がっていた少女はあわてて跳ね起きると、真っ赤になって頭を下げた。
「……むしろ、あなたが大丈夫ですか?」
 突拍子無さに驚くのを通りこして脱力しつつ、ようやく硬直の解けたカナーバが訊ねると。
「ええ、どこも痛くありませんわ」
 やや頼りない仕草で腕や首筋を確かめ、心配してくださってありがとうございます、と微笑む。
「こんな夜遅くに部屋を空けては、護衛さんが気づいて大騒ぎになるのでは?」
「ダコスタさんにお願いして来ましたから、一時間くらいは見つからないはずです……けど……夜遅くに、ご迷惑だろうとは思ったんですけれど、どうしてもお話がしたくて」
「私なら、かまいませんよ」
 どのみち、まだ眠るには早すぎる時間だ。
「ですが、なにもわざわざ――あんな狭い場所を通らなくても」
「非常用の脱出路なんですの。カナーバ様と二人きりでお話したいと打ち明けましたら、バルトフェルド隊長は、いいじゃないかと笑ってくださったんですが、他の方々がダメの一点張りで」
 ラクスは、しゅんと溜息をついた。
「22時以降に出歩くのは禁止、格納庫へは危ないから必ず誰かと一緒に、せめてお料理をと厨房におじゃましたら、火傷されたら一大事なのでスタッフに任せてくださいと……ダメなことばかりですわ」
「ずいぶん窮屈そう、ですね」
「プラントにいた頃はいつも、こんな感じだったはずなんですけれど。オーブではずっと、自由にさせていただいてましたから――少し、息苦しいように思います」
「今の政界は、穏健派が主流を占めていますから」
 疑心暗鬼になる気持ちは分からないでもない。かつてマイウス市の工廠で、タッドが指摘したように。
「暗殺未遂事件の黒幕と私が通じている、もしくはアイリーン・カナーバ自身が首謀者であり、あなたを殺しに来たのではと懸念するのは無理もないこと。私がここを去れば、いくらか締めつけも緩むでしょう」

 ラクスに椅子を勧めようにも、小型ソファひとつしかなく。
 アイリーンは少し考え、並んでベッドサイドに腰掛けることにした。

「カナーバ様……やはり、明日にはお帰りになるのですか? お力添えは、願えませんか」
 どこか思い詰めたような口調で、少女が問い。
「わたくしどものしていることは、間違っていると思われますか」
「歌姫直々に、頼み事をされるだなんて。ファンに知られたら、カミソリレター百通程度では済まないでしょうね」
 茶化しつつ応じたアイリーンは、真顔に戻って問い返す。
「ずっと訊きたかったことがありました。二年前―― “フリーダム” 奪取を、シーゲルは」
 日常が、崩れ去った日。
「彼は、あなた方の計画を容認していましたか? それとも、事後承諾?」
 クライン派の議員だった自分たちが、状況すら把握できぬままに共謀を疑われ、拘束されることは想定外だったのか。
「それは……」
 返答に窮する少女。
 どちらにしろ、とアイリーンは後を続ける。
「地球各国へ無差別にニュートロンジャマーを撒いてまで、核兵器を否定した――あの人は死にました」
 知りたかったこと。
 拘り続けて、最後に残ったもの。
「私が信じた “クライン” は、シーゲルです……ラクス。あなたではない」
「わたくしは、父の遺志を継いでいない――と?」
「受け継いだからこそ、あなたの元に集った人たちが何百人といるのでしょう」
 プラント本国に潜伏した構成員を含めれば、何千、あるいは何万人と。
「けれど、けっして同一には成り得ない」
 おおきく瞠られたブルーの瞳が、困惑に揺れる。
「あなたが間違っているというなら、真っ先に裁かれるべきは私の方でしょう。ユニウス条約は機能せず、追い落とされたザラ派が暴走して、地球側に開戦の口実を与えてしまった――結果、世界はこの有り様で」
 プラント側に不利だと批判を浴び、議会解散を余儀なくされてまで固執した、核の廃絶、軍備縮小は叶わなかった。
「主張を通すため武器を取った時点で、行為そのものは同質です。あとはどこまでを許容するか、見過ごせないと感じる一線はどこからか……その違いだけ」

 有事に備えて戦力強化を図る、現クライン派。
 手掛かりを探すためにと、強硬手段でスヴェルドの扉をこじ開けた “ターミナル” 。
 非合法に得た情報を利用する、ラクスらの所在を突き止めながらプラント政府に明かさぬつもりでいる自分も、だが。

「政府という組織は、自らに都合の良いデータのみを開示するのが常です――その裏を探るため、諜報活動の有用性は認めても、ザフトから奪った物資を “歌姫” が使うという構図が我慢ならない」
 たとえば “シュバルツ” が盗難機であったなら、おそらく自分はタッドたちを反乱分子として政府に訴えたろうし。
 戦闘回避のため “ミラージュコロイド” を搭載するなら、と妥協したが。
「成し遂げるべきこと、その為に必要だったとしても、核エンジンを搭載したモビルスーツだけは受け入れられない……それがアイリーン・カナーバという人間の信条であり、適応の限界です」
「今から方策を改めても、ですか?」
「ええ。事情はどうあれ “フリーダム” や “ジャスティス” の投入を是とした、あなたと共に行くことはありません。私にとって “クライン” は今も――頑なに核兵器を否定する穏健派、だから」
 バルトフェルドやダコスタに比べ、柔軟性に欠ける人間が自分ということ。
 それは目的如何の問題ではなく。
「あなたは、あなたの道をお行きなさい。ラクス」
 平行線のまま決裂するだろう価値観は、事ここに至っては、クライン派の足並みを乱す結果にしかなるまい。
「アンドリュー・バルトフェルドに、マーチン・ダコスタ。あの二人が共にいれば、粗方のことは心配ないでしょう」
 一度は “象徴” たることを強い、願ったなら。そう在り続けられるよう尽くすべきなのかもしれないが。
「必要だと思ったからこそ、フリーダムを保有していたのでしょう?」
「はい」
 ラクスは、きっぱりと肯いた。
「禁忌の “力” に呑まれぬ強さを持った人に、想いを託せたと信じています」
 アイリーンはふと眼を細め、ふわふわとした感触を残すベビーピンクの髪に手をやった。
「?」
 少女は一瞬びくっと身を縮め、瞳を白黒させる。
 嫌がりはしないものの戸惑った顔つきが、撫でられるのに慣れていない仔猫めいて、少し可笑しい。
「なら、私は……私の中にある、クラインを追います」
 大人が望むように完璧に、振る舞える子供だった。
 妖精めいて現実味のない、シーゲルの娘としか認識していなかった少女。
 それがどこまで彼女の素だったか知らず型に嵌め込んできたのか、良し悪しどちらの影響を多く与えたか、いまさら判るはずもないことだ。けれど。
「シーゲルが生きていれば願っただろう、未来は――あなたが望めば、歌姫という枠に押し込められず生きていける世界でしょうから」
 本人の意思と関わりなく幻想を煽りたてた、ツケを、べつのやり方で払う人間が一人くらいいても良いだろう。



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ラクスは原作中、大人と普通に会話してるシーンがあまり見られなかったので、イメージ先行で書いてます。