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■ PERSONA 〔2〕


 どうにか涙が引っ込むまで通路の陰にしゃがみ込んでいて、自己嫌悪に陥りつつ歩きだしたところ、ばったり出くわしたマリューに 「お茶でもどう?」 と誘われた。
 艦長室でハーブティーをぐしぐし啜りながら、わずかに冷静さを取り戻してうなだれる。

「ごめんなさい。なにしに行ったんだか、私――」

 泣いた跡を指摘することも、さっきの醜態を咎め立てることもなく、マリューは落ち着いた眼差しをしていた。
「……ミリアリアさんには、彼が、洗脳されているように見える?」
「はい、だって」
 “あんなの少佐じゃない” と口を突いて出かけた暴言を、すんでのところで引っ込め。
「正攻法の尋問は、アマギさんたちが請け負ってくれたから」
 そのまま黙りこんだミリアリアを眺めやり、頬杖をついて、褐色の睫を伏せる。
「私はずっとコミュニケーションっていうか、まず雑談から始められないかって、あれこれ話しかけてたんだけど」
「刑事ドラマで、故郷の話とかするみたいにですか?」
「そうね、でも――目の保養になるから美人は大歓迎だけど、色仕掛けにほだされるほど不自由してないぞって、すっぱり釘刺されちゃったわ」
「失礼ですね少佐ってば、艦長が、どんな気持ちでいるかも知らないで!」
 萎れていた怒気に再点火されたミリアリアは、腹立ちまかせに、どんっと机を殴りつけるが。
 マリューは苦笑まじりに、首を横に振った。
「最初に、あの人が目を覚ましたとき。うろたえてる私を不思議そうに眺めて、一目惚れでもした? 美人さん――って、軽口叩いてね」
 初日のことなら覚えている。
 医務室を飛び出してきた彼女は、人目も憚らず泣き崩れて。
「なんていうか、ものっすごくムウが言いそうなことなのよねぇ……人格も豹変してるなら、まだ冷静に応対できると思うんだけど。記憶だけ無くなって、性格はそのままって心臓に悪いわ」
「変わってない、ように見えるんですか? 艦長には」
 心配で目を離せずにずっと付き添っていたけれど、慰めにと浮かぶ言葉はどれも白々しく思えて、結局なんの相談にも乗れなかった。
「と言うより、ヘリオポリス崩壊直後くらいの――地球連合軍に属して戦うことを正義と信じて疑わなかった頃に、意識が逆戻りしてるって印象かしら」
 けれど今ではクルーの中で、誰よりマリューが泰然とかまえているように映る。
 柳みたいな人だ、と思う。
「コーディネイターはナチュラルを見下す、ナチュラルはコーディネイターを妬む。それが現実だって……あの人、さっき言ったでしょう? みんな顔を引きつらせてたけど」
「私も聞きたくなかったです。少佐の口から、あんな台詞」
「かなりキツイ、わよね――だけど彼、オーブでウズミ様と話をしたときも同じこと言ってたわ」
 当惑するミリアリアに向き合い、困ったように微笑む。
「たぶん、お互い様なのよね。あの人は、アークエンジェルに乗っていた頃の記憶を失くしていて。逆に私は、遠い昔に……なにを想って地球軍に入ったかを忘れてしまったから。彼が今、なんの為に戦っているか見当もつかなくて」
 青き清浄なる世界のためと高らかに叫んだ、ロアノーク大佐は。
「だけど、自軍の大義を信じてなきゃ戦争なんか出来ないって――これも前に、ムウが言ってたことよ」
 過ちから生み落されたコーディネイターを根絶やしにすると。
「だから今の彼にも、記憶の書き換えとは無関係に、なにか “大切なもの” があるんじゃないかって……私が、そう思いたいだけかもしれないけど」
 俺たち “ファントムペイン” はその為に選ばれた尖兵だと、怒鳴ったのに。
「戦う理由が、ですか?」
 ミリアリアには、彼女がそう感じる理由がよく分からない。
 分からないと考えて、ふと気づく……自分は、少佐の何を知っていただろう?
「主義主張に拘ったり、脅されて誰かに従うなんてタイプじゃなかったから。そこは今でも、変わりないように思えるし――ベルリン戦のときや、さっきも、同僚らしい人の名前を呼んでたわ」
 確かに、ブルーコスモスの思想に染められているなら、ロード・ジブリール様万歳とでも叫びそうなところだ。
「だからその、なんていうかな……信念? になってる部分に触れられない限り、いくら問い詰めたって、結局なにも肝心なことは聞き出せない気がする」

 ムウ・ラ・フラガとは、どういう人間だったろう。
 頼りになるお兄さんみたいな、軍人にしては砕けた性格でも凄腕のパイロットで――アークエンジェルを庇って、宇宙に散ってしまった青年。
 ディアッカの上官だったクルーゼという人との、因縁は、あとになって少し聞かされたけれど。

 同じ艦にいた月日は一年にも満たない。
 共有した時間は、もっともっと短い。

「まずは、あの人と向き合わなきゃ始まらないのよね」
 目の前で、しみじみと呟く女性が把握していることの、きっと半分も知りはしないのに。
 なにを基準に別人と断じる?
「だけど私は、ムウのことを覚えていて――重ねて見ずにいられるほど、強くも純粋でもない。まっさらな状態にはなれないから」
 意に反した道を歩んできたなら、苦しいのはフラガ自身で。
 彼が地球連合軍であり続けることを望んだとしても、その選択を、頭ごなしに否定する側こそ身勝手にならないか?
「……最初に、接し方を間違えたかもしれないわ」
 自嘲めいた響きに、物思いに耽っていたミリアリアが首をひねると。
「医務室に拘束されて、あの人は、どんな気持ちでいるんだろうって考えたんだけど。気分悪いに決まってるわよね」
 マリューは、ずるずると机上に突っ伏した。
「データどおり偽の記憶を刷り込まれたんだとしても、ネオ・ロアノークという自我は間違いなくあるのに。敵兵が寄ってたかって、あなたはムウなんだムウなんだって連呼したら――敵じゃなくたって、違うって反発したくなると思うわ」
「あ」
 ごちゃごちゃしていた思考が晴れると同時に、ざーっと血の気が引いていく。
「すみません……私ずっと、少佐少佐って」
「私なんか “初対面” で、取り乱して泣いちゃったわよ。曲がりなりにも艦長なのに――年下の女の子に励まされて、情けないったら」
「そんなことないですよ! 捕虜になってる気持ちなんて、私、考えてもみなかった」
「半分引きこもって彼のことばかり悩んでたのに、気がついたの今朝になってよ? 遅すぎだわ。それに……分かっていても出来なきゃ一緒、なのよねえ」
 狼狽するミリアリア、さらに沈むマリュー。
「私たちは戦争を止めさせたいだけで――ただ、エクステンデッド研究は人道的にも問題がありすぎるから。ラボの場所を教えてほしいって頼んだら、鼻で笑われてそれっきり」
 ダーダネルスやクレタで砲撃していなければ、まだ信じてもらえたのかしら。
 つぶやく声が、ぽつんと艦長室に落ちた。
「でも、こんな形の再会だけど……確かに帰って来てくれたから」
 ややあって気を取り直したように、マリューは語気を強め。
「あの人みたいに、不可能を可能には出来なくても――タイムリミットぎりぎりまで粘ってみるわ。もうこの際、寝言でも何でもいいから、研究所に関することを聞き出さないとね」
 行かずに済むなら処刑台は避けて通りたいし、と肩をすくめた。
「“ターミナル” と板挟みにしてしまって、悪いけど。付きっ切りでかかりたいから、三日後まで、アーノルドたちと一緒にブリッジの方をお願いできるかしら」
「じゃ、私も」
 “心因性だと徐々に回復する例が多いし、ショック療法が効いたって話もある……でなきゃ一生そのままか”
 ディアッカの台詞が、脳裏を過ぎる。
「ネットワークに公開されてる関連データ、なにか取っ掛かりでも見つからないかダメ元で探して――報告を急かされたら、期限引き延ばしをって食い下がってみます」
 フラガの症状が、どういった類のものにしろ。
 眠っている記憶を掘り起こせるものなら、マリューとの会話が一番効果的だろう。
「オペレーター、頼んでおいて言うのもなんだけど……今のうちに離艦するっていう選択肢もあるのよ? あなたには」
 複雑そうに眉をひそめた、艦長の問いを。
 ようやくすっきりした頭で、ミリアリアは笑い飛ばした。
「危険だとか難しいなんて理由であっさり投げ出してたら、子供のお使いみたいな仕事しか回してもらえなくなっちゃいますよ、フリージャーナリストなんだから」



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女同士で会話させてみるの巻。
マリュ&ミリは単純に、書いてて楽でした。