■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ メンデル・ノート
デブリひしめき空気も抜け、凍りついた水の粒が舞う、荒れ放題のコロニー・メンデルで。
マーチン・ダコスタを中心とした “エターナル” クルー数名は、バイオハザード発生により放棄されるまでは遺伝子研究所だった建物内を、探索していた。
(……手ぶらじゃ、帰り辛いんだがなぁ)
ごわごわした船外作業服を身に纏い、しらみつぶしに調べて回るが――PCデータはおろか薬瓶やファイルといった資料になりそうなモノさえ残っておらず、今のところ収穫ゼロである。
〔そっちの本棚は?〕
〔どれもこれも旅行雑誌の類だよ、休憩室じゃあるまいに!〕
空振り続きでは無理もなかろうが、通信機越しに聞こえてくるクルーの会話も、溜息まじりの投げやりだ。しかし通過してきた各ブロックに比べ、
(あまりに空っぽすぎやしないか、ここは?)
眼前の情景に不自然さを感じつつ首をひねった、ダコスタの眼前を、ふわりと音もなく一冊のノートが横切り。
〔すまん、手がすべった!〕
オフィスデスクの抽斗を漁りながら謝ってよこした、同僚の周辺には、中から放り出したんだろうボールペンや薄っぺらいカタログなどが漂っている。
「いや……」
軽く応えつつ、反射的に受け止めたノートの頁をぱらぱらとめくってみる。
――とうとうメンデルに到着してしまった。
ちょうどワクチン開発の仕事が一段落、ついでに独身で身軽だろうからって、なんで僕がこんなトコに来なきゃいけないんだ?
“君の頭脳ならコーディネイターにも引けをとらないだろうから” って、褒めたつもりか? 院長め……。
しかも案の定――初っ端から、デュランダルとかいうロンゲ野郎を囲んで、遺伝子解析の話題ばかり。
いくら注目を浴びてる分野でも、自然の摂理に逆らった技術なんぞ興味無いっつーの!
「……なんだ?」
文章中に “デュランダル” の名を見とめた、ダコスタは、暗がりで懸命に目を凝らす。
宇宙生活、一週間が経過した。
窓を開けても、鳥のさえずりが聴こえない朝――目覚めは最悪。
食堂へ行けば、うっかり遺伝子組み換え穀物を食わされそうになったりと、まっこと気分が優れない。
シンポジウムに至っては最悪だ。
ただでさえ熱弁を振るうデュランダルがうるさかったところに、権威だか何だか知らないがお偉い教授さんまで加わって、どんどん話の方向性がおかしくなってきている。
遺伝子操作の有用性とリスクをメインテーマに議論するだけならまだしも、イイ歳こいた科学者が “人類救済策” って、本気かよ?
文字列を追い、ライトで照らした紙面。
赤いインクで記された英単語が、ぱっと目を引いた。
「DE……S……TINY……PLAN?」
日記の文面に混じってグラフや図と数式、それらについての走り書きが加わっていく。
概要を聞けば聞くほど、なんて短絡な構想かと思う。
そういった管理システムが遠からず破綻することは、共産圏を中心とする歴史が立証してきたし、なにより彼らコーディネイターの出生率低下こそが閉ざされた未来を物語っているだろうに――頭でっかちの秀才は、これだから嫌いだ。
そもそも生物が活動するには、エネルギーが必要だ。
胎児のうちは母親から吸収するし、産まれてからは何かしら食って生きている。
物理的なキャパシティが “人間” の枠を越えられないなら。
自然に委ねれば持ち得ぬ遺伝子、眠ったままにされたはずの素質を、人為的に弄り出せば……当然、どこかデリケートな部位から圧迫されて劣化する。
そうして程度の差はあれど、計算外の欠陥を持って生まれ落ちた。突出した能力の代償に、命を継ぐ力をすり減らした亜種がコーディネイター。
進化と呼べば聞こえは良いが、偏った変化を遂げた動物グループは往々にして、不測の事態に対する柔靭性が欠落しているものだ。
たとえば、かつて地上に君臨した恐竜が死滅したように。
寒さに弱い、飛べなくなった、尾が消えた、指の数が減った――ある側面で能力を得る代わりに、どこかを犠牲にしたパターンは多々あるが、生殖能力が潰えるという結果は生物として致命傷だろう。
なにしろ子孫を残せないんだから、絶滅するより他に無い。
〔どうした? ダコスタ〕
「ここにいた研究員の、日記らしい――他に似たようなノートは混ざってなかったか?」
〔……日記?〕
左右からノートを覗き込みながら、顔を見合わせるクルーたち。
〔ちょっと待ってくれ、探してみる!〕
なにを考えずとも適した仕事、適した異性が宛がわれ、敷かれたレールに従ってさえいれば一生の安寧を保証される。
自然との共存バランスを確立するには、増えすぎた人類は減るべきであり、義務感で子を産む必要は無いという。
自己完結した、循環型の。
“人々が満ち足りて生きる世界” は、確かに気楽で平和だろう。
長らく不平等の皺寄せを受けてきた弱者・貧困層を、救済するとともに “最大多数の最大幸福” を実現するに違いない。
だが、遺伝子操作を肯定するにしろ禁止するにしろ。
デスティニープラン―― “才能の差” を前提に確立される、平等な社会は。
〔……どっかで聞いたようなフレーズだな〕
〔社会学のあれだろ? ベンサム〕
料理が上手い人間は、コックさえ務めていれば。
コンピュータに強い人間は、一生技術屋でいれば。
迷わず間違わず回り道もムダもなく、楽に生きていける――そんな生活環境じゃ、動物は間違いなく虚弱化する。
不変の日々に、哀しみも怒りもない。
“出来て当然” なら、溢れるような喜びも湧くまい。
誰もが同じ、のっぺらぼうに似た楽しいという仮面を貼り付けて、効率的社会の歯車として生きて死ぬわけだ。
失われる恐怖を知ってこそ、今あるものを愛しむ気持ちが育まれ。
悩み苦しんだ経験や記憶があってこそ、他者の痛みに共感できるものだろうに。
……そうして起伏を失う、感情と同様に。
プランに組み込まれた人々の生殖能力も、劣化の一途を辿るだろう。試験管ベビーが増えるほどに。
人間に限らず動物の体内は、不必要な、使わない器官から退化していくものだからだ。
進化の過程で発達した器官が、環境変化などの要因により失われたケースは珍しくないが。
逆パターンはまず無いし、少なくとも僕はそんな例を知らない。
家畜として飼い慣らされたニワトリが、どう訓練したところで大空は舞えない、といって翼を指に代えることは出来ないように――退化による消失の、不可逆性を。
手遅れになってから悟ったところで、打つ手は無いと。
人口調節を名目にじわじわと、種としての生存本能を麻痺させ……緩慢な滅びを目前にして、ようやく気づくんだろうか。
それとも最後まで認めず、我らの叡智が解決すると豪語するだろうか? 彼らは。
どっちにしろ、本気でデスティニープラン導入など考えているなら。
プラント本国だけで勝手にやってくれと言いたい。
ナチュラルにまで巻き添え食わすっていうなら、断固阻止するぞ僕は。
〔進化だの退化だのといった部分は、よく解らないが――持ち帰ったほうが良さそうだな〕
飛ばし読みしながら、ノートの末尾を開くと。
「ああ。隅々まで読めばもっとなにか、当時の議長について書いてあるかもしれない」
相変わらずなデュランダルに比べて、どうも最近、難しい顔ばかりしているな……と思ってはいたが。
彼が学界で認められたあかつきには、研究チームの有力スポンサーになるだろうと噂されていた、あの教授がプランを否定してのけるとは意外だった。
思ったより、まっとうな感覚の持ち主であったらしい。
だが、教授の台詞を是とするなら。
コーディネイターとはいえ “人” に変わりない彼らが、生きているプラントもまた “世界” ということだ。
そんなに滅びたけりゃ勝手に絶滅してしまえ、くらいに考えていた僕も、いささか反省すべきだろうか。
……ならば科学技術が、人類を自然へ還す為のものであるように。
生涯、地味に研究を続けていくとしよう。
〔デュランダルの言う “デスティニープラン” は、一見、今の時代、有益に思える――〕
昔、誰かがここで。
紡いだ言葉を、聞いていた。
「――だが、我々は忘れてはならない。人は世界のために生きるのではない。人が生きる場所、それが世界だということを」
誰かの文字を、誰からともなく声で指で辿る。
最後の日付は冒頭より、約半年を経ていた。
ようやく僕も任期が終わった、地球に帰れるー!!
星空はまあキレイだし、無重力空間も慣れてしまえば便利ではあったが、もう二度と来たくない。
やはり、地に足のついた生活を送っていられる方が幸せだ。
僕自身が、この確信を忘れ、再び宇宙へ上がることは無いだろうが……。
“権威” の賛同を得られなかった研究チームが解散しても、誰かまた、似たような遺伝子至上主義者がメンデルを訪れないとは限らないし。
逆に、マイノリティとして肩身の狭い思いをしながら、ここで研究に従事する人間がいるかもしれない。
シンポジウムの結果次第では、提出論文の下書きにするつもりだった雑記だが――日の目を見なかったプランに拘って噛みつく行為も、不毛といえば言える。概要は頭に入ってるんだし、ノート数冊とはいえ荷に加えれば嵩張るからな。
……置いて行くか。
新しい入居者に、速攻で資源ゴミに出されるかもしれないが。
捨てる前に誰か一人くらい、読んでくれることを祈りつつ。
ともあれ帰ったら休暇だ、まずなにをしようか――先人の息吹を感じに海外旅行、パルテノン神殿あたり拝みに行ってみるかな。
デスノートもとい研究員の日記。具体的になにが書かれてるんだかは、公式小説を読んでさえサッパリ不明だったので、開き直って捏造してみる。