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■ 眼差しの先 〔2〕
『えーっと、ラクス。元気にしてる? そっちは変わりない……かな?
だいたいの経緯は、カガリたちに聞いたんだよね? 僕の怪我は、たいしたことなかったから――普通に、食事してるし。心配しないで。
アークエンジェルも修理と補給を受けられることになって、それから。
“フリーダム” が大破して……どうにか核爆発だけは防いだけど。プラントを追われることになってまで、僕に託してくれた機体だったのに……こんなときに、ごめん』
メッセージ映像を流し始めると。
“エターナル” のオペレーターブースに座っているラクスの表情が、透けるようにほころび。
「ゆ、ゆっくり自分の部屋で見たいわよね? こういうのって」
ミリアリアは気恥ずかしさをごまかすべく、転送速度を最大に切り替えた。
サブモニターは非表示になったが、さすがに地球の海底とプラント間ではたいしたデータ量でなくとも時間がかかる。
「……ねえ、ラクス」
1分ほど沈黙したのち、ふと思いつき尋ねてみた。
「なんで、キラが良かったの?」
〔え?〕
「だって、ほら。アスランが婚約者だったんでしょ? プラントの上流階級なら、他にも完全無欠の王子様みたいな男の子いっぱいいただろうし――」
するとラクスは、授業中に難問を出されて答えられず開き直れず、黒板前で立ち尽くす生徒のような表情になった。
そのまま頬を朱に染め真剣な顔つきで、うーんうーんと唸っている。
「あ、答えたくないならいいの! 言葉にするって面倒だもんね、こういう感覚っぽいこと」
〔い、いえ! 嫌なわけではないんです、けど……その。訊かれたことがなかったものですから〕
あきたりな話題を出したつもりだったのに。
もしかしたら婚姻統制を布かれているプラントでは、気軽に恋バナ、なんて出来ないんだろうか?
〔…………ごめんなさい、よく分かりません〕
「いいから、無理しないで。変なこと訊いちゃってごめんね?」
ごまかすように手持ち無沙汰に、通信機を眺めていると。
ややあってモニターの向こう――しゅんと肩を落していたラクスは、途切れがちに話し始めた。
〔ただ……キラは、優しかったんですの〕
二年前。ユニウスセブン宙域で救命ボートが回収されたとき、ザフトが捜索に来たものとばかり思った。
けれど彼は、たまたま救難信号をキャッチしただけ。
乗っているのが誰か、なんてことは知らなかった。
敵艦へ迷い込んだ自分に、なんのメリットも無いだろうに親切にしてくれた不思議なヒト。
〔トールさんと、お二人で――わたくしを逃がしてくださったときにですね。迎えにきたアスランが、キラに、おまえも一緒に来いと言ったんです〕
……夢を見た。
晴れた日の公園でお弁当を広げ、二人が小さいときの話を聞いてみる。
キラが楽しそうに教えてくれて、アスランは真っ赤になって怒るけれど、友達と一緒だから普段よりずいぶん……くつろいだ雰囲気で。
〔でも、戦わなくて済むようにはならなくて。アスランは辛そうな顔ばかり――マルキオ様がクライン邸へお連れになった、キラは、いつも悲しそうでした〕
友達が死んだ、殺した、殺されたと、ずっとずっと泣いていた。
戦うべきものを見定め、再び走りだした彼が、争いの無い場所へたどり着けることを願った。
〔三隻同盟として集い、停戦を迎えて……揉め事の火種になりかねない自分が、カナーバ様たちの手を煩わせるくらいなら、オーブへ降りてキラの傍にいたいと思ったんです〕
唯一の肉親だった父親は死に。アスランとも、もう婚約者ではなくなった。
がらんとした屋敷に独りきり、取り残されるくらいなら。
〔争いの連鎖を断ち切る “力” には、成り得なかったけれど。初めて舞台に立ったときから、わたくしの歌を……聴けば心が安らいだと、皆さん、そんなふうに言ってくださいましたから〕
けれどカリダ・ヤマトが所持していたアルバムの写真――幼年学校や、ヘリオポリスのカレッジで過ごしていた頃の彼らは、とても遠くて。
〔性格はずいぶん違うのに、キラたち、音楽に疎いところだけそっくりなんですもの……どんな曲を作っても、この二年間、子守唄代わりにしかなりませんでしたわ〕
苦笑するラクスを前に、浮かぶ疑問符。
出自はどうあれ一般家庭育ち、ハイソな趣味とは無縁に育ってきたキラはともかく。
「アスランって、クラシック聴いたりしないの?」
タキシード姿でヴァイオリンなど奏でていたら、かなり絵になりそうなイメージなのに。
〔ええ、あまり良し悪しが分からないんだと。昔から、何度もコンサートにお招きしても客席で熟睡してましたもの〕
「リラックス効果がある、ってことかしらね?」
フォローを入れつつも、ひっそりアスランに親近感を抱くミリアリアだった。
ごめん、ラクス――歌詞とかすごく良いなぁって思うんだけど、どれもしっとりしたバラードだから。じっと座って聴いてたら、たぶん私も寝ちゃう。
というこちらの思考を読んだ訳でもあるまいが、
〔そうだったら嬉しいんですけれど〕
数秒ためらうように視線を彷徨わせ、ラクスは、寂しげにつぶやいた。
〔本当はきっと……歌えばヒトを癒せると、そんなふうに思ったことが己惚れだったんですわ〕
始まりは幼いとき。
歌えば、かまってもらえたから。
邸で働いていた人たちや、多忙な父親さえ足をとめ上手だと褒めてくれた。
外へ出掛けたときも、そうしていれば誰かが耳を傾けてくれる――寂しくなくなったから。公の場に立つようになったのは、遊びの延長だった。
〔物心つく前から母がいなかった、わたくしにはアスランの、お母さまを失くした痛みは分かりません。飢えて死ぬような思いをしたこと、寒さに凍えた経験もありません。慰霊に、慈善活動の一環で、遠方へ出向くことは何度もありましたけれど……いつも護衛さんに囲まれて、安全な場所から眺めるだけでした〕
思ったこと、感じたことを、ただ歌い。
ひととき誰かと言葉を交わせればそれで充分だった、はずだった。
けれど人々は “歌姫” と持て囃す――箱庭の世界しか知らぬ少女を。
〔アークエンジェルに保護されていたとき、戦闘が始まって……わたくしを引き摺って走りながら、フレイさんは怒っていました〕
誰かに憎まれたり嫌われたのはあれが初めてだった。
だから今も鮮明に覚えていますと、ラクスは長い睫を伏せる。
〔 “パパの艦が沈みそうなのに、なんでアンタはのんきに歌なんか歌ってるのよ!” と怒鳴って……その前に食堂でお話したときには、握手も拒否されるほどコーディネイターを嫌っていらしたのに〕
あのとき彼女を人質に取り、ブリッジに駆け込んできたフレイは、悲鳴じみた声で叫んだのだった。
『パパの艦を撃ったら、この子を殺すって――あいつらに言って!!』
けれど間に合わなかった。
ジョージ・アルスターが乗っていた先遣隊 “モントゴメリ” は沈んでしまった。
〔父の死を報された日にさえ涙ひとつ流さずにいた、わたくしは、あんなふうに泣いて取り乱しながらも誰かを守ろうとする愛情を知りません。メンデル宙域で敵機の存在など忘れてしまったように、ひたすらフレイさんを追ったキラの激情も解りません〕
ミリアリアは困惑した。
まさか本人から聞き出したとは思えないが、キラとフレイの間にあったことを、彼女はどこまで把握しているんだろう? さすがに怖くて訊くに訊けない。
〔キラの心、どこか深い処にはフレイさんがいて……わたくしは今も、そこへは入れませんわ〕
記憶に伴う痛み、それも心の一部であるがゆえ。
〔もしも、あのときプラントに残る道を選び。訪れた平和が続くよう力を尽くしていたなら――公人として戦火を消し止められたかもしれない。置き去りにした歌姫の名を、プロパガンダに使われずに済んだかもしれません。少なくとも、わたくしが狙われたために、キラが戦いを強いられることはなかったでしょう〕
初めて耳にする自嘲めいた声音で、ラクスは息をついた。
〔まだオーブで……海を眺めて過ごしていた頃に、ですね。マルキオ様のところの子供たちから、よくからかわれたんです〕
“キラはいつもラクスに甘えてる” と言われて。
そうだね、と苦笑いした彼に。
僕ならだいじょうぶだから。
無理に付き添ってくれなくても、もう大丈夫だから。
“フリーダム” を受け取ったこと。強制されて戦ったんじゃない、僕の意志だったんだから。
クライン派の人たちも待ってるだろうし、プラントに帰りたいなら、君は君の好きなようにして良いんだよと。
そうやって帰郷をうながされたことも一度や二度じゃなかったけれど。
〔どうして頑なに残りたがるのかと不思議そうだったけれど、それでも、拒絶されなかったから。ご両親も困っていらしたけれど、出て行けとは言われなかったから――押しかけて、そのまま〕
いてくれと頼まれた訳でもないのに。
〔だから……甘えていたのは、きっと、わたくしの方なんです〕
戦後処理を担うアイリーン・カナーバが、三隻同盟の処罰、プラント残留を望まなかったことを理由にして逃げた。
〔師匠さんが仰ったように、本当に、とばっちりですわよね。皆さんには〕
「師匠?」
〔ええ。わたくしは、もう “夢を見せる偶像” には戻れそうにありません。プラントも大切な故郷ですけど、一番に想う人たちが暮らす大地は――帰りたい場所は、オーブだから〕
アークエンジェルとの合流前、コダックが、キラに好き勝手言っていたことを思い出し、
〔昔のように純粋な気持ちでは、歌えないから。どんな形になるか判りませんけれど……停戦を迎えられたら、まずは一度プラントへ戻って。きちんと認めていただけるまで償いと、お話をしなくてはなりませんわね〕
「やだ! とばっちりなんて誰も思ってないわよ? 師匠、普段から捻くれた物言いしかしない人で――」
〔すべて本当のことですわ〕
あわてふためくミリアリアを見つめ、静かに首を振った少女の動きに合わせ、薄桃色の髪がふんわり揺れた。
〔それに少し、羨ましいです。そんなふうに叱ってくださる方もいませんでしたから……わたくしには〕
“ラクス” と親しげに、呼び捨てにしてくれるヒトは稀で。
ファクトリーには自分を慕うクライン派が、たくさんたくさんいるけれど。
彼らが公言して憚らぬ台詞は。
『ラクス様のためなら、命も惜しくありません』 という、そんな忠誠心は、ありがたく思うよりも寂しさと怖さの方が強いのだけれど。
咎めれば構成員の士気が下がる、組織の統率が乱れるからと、言葉に出来ないことばかり降り積もっていく。
〔……あの方のことも〕
「あの方?」
〔開戦直後から活動していらっしゃる “歌姫” さんが〕
また逸れた話題に。ディオキアで取材をした折の反発心を思い返しつつ、ミリアリアはおそるおそる訊ねる。
「え……怒ってるでしょ? 真似されて、っていうか、全然違うふうにされて」
〔怒る、というより。なにか――見せつけられた気がします。わたくしが持ち得なかったものばかりを〕
シャトルを奪うため、司令部に乗り込んだとき。
無用なトラブルを避ける目的も兼ね、オーバーに “彼女” の真似をしてみた。
……奇妙な感じだった。
誰も疑わない。ここにいるラクス・クラインが偽者であることも本物であることも、なにひとつ。
けれど、だからこそ決定的な違いも肌で感じた。
〔距離が近いんです。皆さん、とても親しげで――気軽に声をかけてくださって、サインや握手も、ごく自然に。楽しかったです、すごく楽しかったです、また来てくださいねって何度も、にこにこ笑って〕
どこか一歩引いた空気の漂っていた。
ガラス細工を扱うように遇されていた、自分への態度とまるで違う。
〔わたくしのコンサート会場へいらした方々は、口々に感動したと仰ってくれても……あんなふうに 『楽しかった』 と笑ってくださったことは、一度もありませんでした〕
姿形こそ偽りかもしれないけれど、彼女はありのままだから。
そうして本当に楽しそうに歌い踊るから――全身から音に乗せ、眩いほど率直に、伝わって広がる。
歌えることが嬉しい。必要とされることが。
みんなのことが好き、大好き、プラントを愛していると。
それは幼い自分が持っていた……けれど個の幸福に溺れ、褪せてしまった想い。
「歌手なら、他人を感動させられる方が凄いんじゃない?」
彼女がなにを気にしているのかイマイチ解らず、ミリアリアは首をひねる。
〔それもイメージが一人歩きした結果に過ぎません。もし “彼女” を偽りと呼ぶのなら、かつて歌っていた “ラクス・クライン” もまた偽りです〕
話をするうち、とっくに映像転送は終わり。
通信機から取り出したディスクに手を添えた、ラクスはぽつんと呟いた。
〔飾られた花のように、来てくれる “誰か” を待つのではなくて……好きな人のところへ飛び込んでいって抱きしめてもらえる、そんな人間になりたかった〕
ラクさまについて本気出して考えてみたら……演技が素に染み付いて切り離せなくなっちゃってる子のかなー、と。強いなぁとは思うけど、完璧すぎて逆に感情移入しにくいタイプです。そんなこんなでミリ&ラクとみせかけ、キラフレ←ラク→ミアなお話でした。