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■ アスラン 〔2〕


「朝ごはん食べてきたら? メイリンさんには、しばらく私が付いているから」

 マリューに休憩をうながされた、ミリアリアは食堂帰り、気掛かりだった医務室の様子を見に寄った。
「おはよ、カガリ」
 ベッドサイドの椅子には、金髪の少女が腰を下ろしていて。
「……あ、おはよう」
 おそらく一晩中泣き明かしたんだろう。ぼんやり振り返った金の瞳は、腫れぼったく潤んでいる。

 重傷を負い、昏睡状態で運ばれてきたアスランを前に。彼女の動揺は凄まじく――
 オーブ本土に留まっているアスハ派と、連絡を取り合うキサカ。
 “アークエンジェル” 補修のため、わざわざ有給休暇を潰して来てくれたモルゲンレーテ主任のエリカ・シモンズ。前大戦時にも世話になった両名からも、
『そんな顔をさらせば、なけなしの威厳も損われるぞ』
 片や厳めしく、もう一人からは苦笑混じりに。泣き止むまで出てくるなと言われてしまうほどで。
 今も、いくぶん落ち着いたように感じるのは、単に憔悴しているからだろう。表情に滲む不安は、むしろ昨晩より濃くなっていた。

「あの子、容態は……?」
「明け方に意識が戻ったわ。今は、艦長が付き添ってる」
 なにか消化の良いメニューをと、調理師が特別に用意したんだろう。温野菜ベースのリゾットは、まだ回復途中のメイリンにも食べやすそうだった。
「受け答えもしっかりしてたし、安静にしていれば大丈夫だと思う。確認したかったこと、ぜんぶ聞けたから―― “ターミナル” には連絡済み。ヘブンズベース攻撃作戦のデータがどうこうって話は、やっぱり濡れ衣みたいよ」
「そっか、良かった」
 カガリは小さく微笑んだが、すぐに眼差しを翳らせ。
「議長は……アスランのこと認めたから、ザフト復帰を許可したんじゃなかったのかな? どうして一日そこらで、スパイ容疑なんて、公表」
 虚ろに泳いだ視線を、ベッドに横たわる青年へと戻した。
「あいつが、プラントへ行くって言い出したときに。行っちゃヤダって、泣いて縋って引き止めてれば良かったのかな。そうしたら、もう少し、なにか違ってた?」
 眠り続けるアスランの横顔は、白蝋めいて。
 心電図のモニター表示が無ければ、傍目には、生きているのかどうか判別できないほどだった。
「同じコーディネイターになら、気持ち、解るんじゃなかったのか? 誰も、おかしいって意見してくれなかったのか? 撃ち墜とさなきゃ危険だって思われるくらい、ムチャな逃げ方したのか? アスランは」
 少女の声音は、掠れて重く。
「お母さん、ユニウスセブンで亡くしてるのに。裏切り者って、よりによって “ロゴスの手先” だなんて」
 金髪を振り乱しうつむいて、拳を自分の膝に叩きつける。
「核攻撃を煽ってた奴らの仲間だなんて、誤解されて。こんなふうに殺されかけるなんて、あんまりだ……!」
「濡れ衣なんだから。疑いは晴れるわよ、っていうか――晴らす」
 ミリアリアは、強ばった軍服の背をぽんぽんと撫で。
「ザフトに再調査チームを結成させたの、イザークさんたちらしいわ。もう現場検証を始めてるみたい」
「!」
 はっと顔を上げたカガリを、励まそうと笑いかけた。
「アスランが起きたら、また事実確認できるもの。方法は、それから考えよう」
「……起きるのかな、こいつ」
 何度呼びかけても反応が無く、身体は冷え切って。
 空調の効いた部屋に寝かされているのに、まるっきり熱が戻らないんだと――指先でそっと、アスランの手首に触れては。
「このまま、ずっと眠ったままだったら。どうしよう……?」
 脈をはかりながら、おそるおそるといったふうに不安を吐露する。

 だいじょうぶよ、などと安請け合いできる純粋さは、とうの昔に失くしてしまった。ミリアリアは無言で、隣に寄り添い。
(聞こえてるんだったら、起きなさいよ。もう!)
 この期に及んでまだ女のコを泣かせっぱなしにする気かと、眼前の怪我人を、恨みがましく睨む――と。

「あ」

 弾かれたように、立ち上がるカガリ。
 ずっと閉ざされたままだったダークグリーンの双眸が、うっすらと、だが確かに彼女を映して。
 ひとつ瞬きをしたあと、かすかに身じろぎした。
「アス、ラン? あああの、その」
 彼が目を覚ますときを心待ちにしていたはずなのに、不意を突かれてか、あたふたとうろたえ。無意識にだろう、指を当てていた左手首を掴んだまま立ち竦む。
「お、お帰りっ!!」
 ものすごく吃りながら、カガリはやっとのことでそれだけ叫んだ。
「……」
 アスランの唇が、かすかに動く。頷いたようにも、なにか呟いたようにも見えるが音としては聞き取れない。
 ただ応じるように繋いだ手を、ぎゅうっと握り返して。
 ほどなく力尽きたように、ふっと目を瞑ってしまった――同時に左手も、まばたく少女の指先から滑り抜け、ぱたっとシーツの上に落ちる。

「あっ、アスラン? し、死んでないな。死んでないよな、おまえ!?」
「え、縁起でもないこと言わないの!」
 心電図に齧りつくミリアリア、青褪め半泣きで訴えるカガリ。
「だって、いまパタって、腕がパタって……!」
 ぎくしゃくと首筋の頚動脈に触れ、もう片方の手は鼻のあたりにかざして――どうにか呼吸を確かめた彼女は、ぐったりとベッドサイドにへたり込んだ。
「生きてる……」
 安堵の吐息は、二人ぶん重なった。

 紛らわしく気絶しないでよと、結局、また理不尽に腹をたてるミリアリア。

「……アスラン、起きた」
 カガリは涙目をこすりながら、頼りなげに尋ねる。
「私、寝不足で幻見てたわけじゃないよな?」
「夢の類だったら、オジャマ虫は最初から席を外してると思うわよ?」
 からかわれると真っ赤になって 「べつに、そんなんじゃ」 などと小さくなっていたが、急に「まずい!」 と跳ね起きた。
「仕事しないと」
「は?」
 脈絡のまるで分からない台詞を、ミリアリアは訝しむけれど。
「アスランの意識が、しっかり戻るまで傍についてたら? 心配でしょ? 積もる話とか、あるでしょう?」
「こいつが起き上がった後の方が、心配だ! そのとき周りが忙しなくしてたら、絶対、怪我してるくせに “俺も手伝う” ってジタバタするに決まってる――せめて私が出来ることは、ぜんぶ済ませとかなきゃ」
 カガリは、ぶんぶん首を横に振って。
「医師、朝ごはん食べに行ってるんだ。戻ってくるまで、ここ頼むな! ミリアリア」
「え、ちょっとっ!」
「ああっ? 私、昨日から顔洗ってない……髪も梳かしてない! 第一印象が身だしなみっ」
 TPOを気にしながら、鏡はどこだと医務室を走り出ていった。

 なんだかなあ、もう。
(私がアスラン刺し殺す、とかいう危険は考えないのかしら)
 ねえ、トール? 胸に住まう少年の面影へ問うてみれば。なにをいまさら、と笑い飛ばされた。

 ミリアリアは苦笑いしつつ、さっきまでカガリが座っていた椅子に掛け、アスランの寝顔を観察してみる。
“命の心配はいらない”
 とはいえ、それは医療用ベッドで安静にしていればの話で、前提が覆れば予断を許さない。点滴のケーブルでも引っこ抜けば、あっさり死ぬだろう。
 ナイフだろうが拳銃だろうが、瀕死の彼が、二年前のディアッカのように避けられるはずもなく。
 水浸しにしたタオルで顔を覆うだけで、窒息死するに違いない、けれど。それらは、どれも現実味を伴わない想像だった。

 別の仮定をしてみる。
 たとえば、このヒトが、もしも死体になって運ばれて来たらどう思ったろう?

 戸惑う、放心する、といった感じが一番近そうだ――カガリたちのように泣けはしないだろうが、少なくとも嬉しくはない。
 なにより、そんな簡単に死なれては堪らない。個人的にも、仕事の問題でも。

「……お帰りなさい」

 形容し難い感情を胸の中で転がしつつ、ほんの少し意地悪い気分で、挑むように告げる。
「今度起きたら、質問攻めにするからね。覚悟しといてよ」
 さっきまで朦朧としていたアスランに、まさか聞こえた訳でもあるまいが――呼びかけたタイミングで心電図の波が一瞬激しく乱れ、ミリアリアは少しあわてた。



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ディアミリに引き続き、ようやくアスカガ再会となりました。誰も嬉しく無いから〜というカガリの台詞は、ミリアリアの心情もひっくるめ代弁してくれてるような気がして好きです。