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■ 覚悟の形 〔2〕
「ああっ、ハウさん!?」
通路を走りながら。
右折すれば、もうそこが医務室というところで、ひどく慌てふためいている看護士にぶつかりかけた。
「たた、たたた大変です! 患者がいません!」
「かんじゃ?」
一拍遅れ、該当人物に思い至ったミリアリアは苦笑する。
「ああ、だいじょうぶですよ。すみません驚かせちゃって――アスランたちなら、ブリッジに居ますから」
「そ、そうなんですか?」
スレンダーな彼女は面食らった様子で、けれど、それ以上は追及してくることもなく。
「ところで点滴スタンド、放ったらかしになってませんでした?」
「ええ。それは、もう固定しました……」
カルテを抱え首をひねりながら、去っていった。
医務室へ入ったミリアリアは、戸棚から消毒液を手に取り、そのまま出て行こうとして――違和感にピタリと足を止める。
アスランのベッドは、もちろん空になっていて当然だが。
(……少佐?)
ロアノーク大佐が寝そべっているはずの寝台まで、もぬけの殻になっていた。TVの電源も切ってあり、誰もいない。無人の空間と化していた。
お風呂? トイレ?
無難な方へ逃避しかける思考、だが――監視を務めていたオーブ軍人たちがカガリと共に出撃して、整備班は修理作業にかかりきり、アークエンジェルも発進を間際に控えた状況下で。誰が彼を、どこへ?
混乱するミリアリアの聴覚へ、答えを示すように。
アークエンジェルの駆動音とはまるで別の、耳鳴りにも似た……なにか。
「え、あれ――」
感覚に引かれるまま艦窓を仰ぎ見れば、鮮やかな幻めいて、遠ざかっていく青と白の。
「スカイグラスパー!?」
窓ガラスに張りつくようにして機影を追いながら、湧き起こる嫌な予感に。うろたえ走りだした足はもつれ、何度か転びそうになった。
いや、まさかそんな……旧型戦闘機だって、物資運搬くらいには使われることもあるだろうし。
ああ、だけど今オーブへ攻めてきている軍隊は地球連合じゃない、ザフトだ。
そもそもマードックらの作業完了待ちだった、こんなときにマリューが、エリカ・シモンズに会いに行く用件とはなんだ?
機体や修理の話なら、わざわざブリッジを離れなくたって内線を入れれば済むじゃない!
息も絶え絶えに駆け込んだ格納庫は、がらんとしていて。
“フリーダム” に “ルージュ” や “ムラサメ” 、ずっと片隅に置かれていた “スカイグラスパー” さえ影も形もなく。
外へ続く階段から、こつんこつんと奇妙に虚ろな靴音をたて、マリューが一人で降りてくるところだった。
「あ、あの」
おそるおそる声を掛けてみれば、彼女は、うつむき加減だった顔をハッと上げ。
「医務室に少佐がいないんです、けど――」
一瞬たじろぐように目を逸らしたあと、もっと平和な背景だったなら照れ笑いにも感じられたろう表情で。
「……逃がしちゃった!」
魚を焦がしたとか、寝坊して遅刻とか、そんな軽さに通じるトーンでおどけて言った。
「逃がしちゃった、って……艦長!?」
唖然と詰め寄るミリアリアに、肩をすくめ、
「彼から、エクステンデッド研究施設のことを聞き出せても――アークエンジェルが重ねてきた違法行為を正当化するには、程遠いわ。カガリさんが元首の座へ復帰すれば、プラントや大西洋連邦も当然そこを追及してくるでしょう」
淡々と、物静かにつぶやく。
「やっぱり、ね。すべてを明確にして、戦いの成果と責任をはっきりさせなきゃいけないのよ……誰もが納得する形で」
「誰もが、って」
「私も銃殺刑にはなりたくないし、あれこれ考えたんだけど。どこにも角が立たない事情説明なんて不可能だもの」
マリューは、いっそ清々したように、くるりと空っぽの格納庫を見渡した。
「勝手に捕虜を解放したうえ、戦闘機も無償譲渡なんて。友軍に対する裏切りもいいところでしょう? あとはアマギさんが、最初の約束どおりにしてくれるわ」
「そんな! 私たち自分の意志で集まったんだから、捕まるときは連帯責任じゃないですか!?」
「だけどロアノーク大佐を逃がしたのは、彼が裁かれるのを避けたくて、あのヒトに生きてて欲しいと思った私のワガママ。それに」
ミリアリアの抗議を受け流し、微笑んだ彼女は、
「カガリさんの意志を無視して結婚式場から連れ去った、アークエンジェルの艦長は、私よ」
「でも!」
「こっそり彼を逃がして、なにくわぬ顔でブリッジに戻って。ザフト軍を退けたあと――事が知れて騒ぎになって、問答無用で連行されるって計画だったんだけど」
こんなにあっさり見つかるなんて杜撰すぎたかしらと、頭を掻きつつ問いかける。
「もう、みんなにバレちゃってるの?」
「少佐が “スカイグラスパー” で、ってことは……まだ私しか知らないと思います」
看護士はおそらく、ロアノークもブリッジにいると勘違いしてるだろう。誤解を招くような受け応えをしたのはミリアリアだが。
「だったら、お願い! オーブ攻防戦を切り抜けるまで、黙っていてくれないかしら?」
マリューは両手を合わせ、拝むような仕草をした。
「出撃前にクルーを動揺させたくないし――私が艦長席に座るのも、これが最後だから」
「……そんな言い方、ずるいです。艦長」
こんなこと、ただでさえ明らかにしたくないのに。気が重いのに。
「じゃあ。ずるい大人から、もうひとつお願い」
途方に暮れるミリアリアを見つめ、彼女はさらに頼みごとを増やす。
「あなたは、私の責任なんかに付き合わないで。潜入調査をしていたジャーナリストとして、アークエンジェルを降りたら――エクステンデッドの子供たちに、もっと支援の手が集まるように、報道を続けてくれないかしら」
自分には、あのヒトにも出来ないことだからと。
言うだけ言って歩きだしたマリューの決意を、変えさせる術も見つからず。
「メイリン、君は降りてドックへ残れ」
「え?」
「発進すれば、アークエンジェルはザフトと戦うことになるんだ。それに君を乗せてはおけない」
「アスランさん……」
「本当にすまない、ありがとう」
無言で連れ立ってブリッジへ戻れば、なにやらアスランとメイリンが揉めていた。
「だが、ここのドックにいればだいじょうぶだから――な?」
青年による謝辞と勧め。少女のつぶらな瞳に迷いが兆す。けれど、
「私、だいじょうぶですからッ」
メイリンは、ためらいを振り払うようにブンブンと首を横に振った。
「だから、置いていかないでください! お姉ちゃんたちと戦うのは嫌だけど、でも……なにも分からないままじゃ、もう、どこにも戻れません」
涙目で縋りつく彼女を持て余したか、アスランは、
「だって私まだ、なんにも自分で言ってない! 保安要員のジャマをしたことは軍務違反だから、それは処罰されて当然だけど―― “ラグナロク” のデータは盗んでないし、ザフトの機密をロゴスに売ったりもしてないのに!」
「いや、だが」
助けを求めるごとく、ダークグリーンの双眸をうろうろと彷徨わすが。
「私が居ないところで、私の気持ちが決められて。みんなに裏切り者って誤解されたまま、自分だけ安全なところに隠れて、いつか疑いを晴れるのを待ってるなんて嫌です!!」
ノイマンとチャンドラは、泣きじゃくる少女を同情的に見守りつつ。
アスランには、自分で蒔いた種なんだからテメーでどうにかしろよ男だろ、と突き放すような一瞥をくれるだけだった。
「 “ミネルバ” が近くにいるなら、お姉ちゃんやグラディス艦長にも……ちょっと待って、話を聞いてくださいって……信じてもらえるかどうか分からないけど、でも」
「メイリン……」
とうとう根負けしたらしく、アスランは許可を求めるように艦長を窺う。そんな彼らに、マリューが柔らかく頷いて、
「良いんですか?」
「ええ。彼女の心情を抜きにしても――アスラン君だけでなく、メイリンさんも生きていると判ったら。事情聴取の場を設けるために、ミネルバ側が動いてくれるかもしれないでしょう?」
クルーの問いに、笑って答えた。
「それにアークエンジェルは、いつだって人手不足だもの」
「ま、確かに」
笑い返すチャンドラの声を聞きながら、ミリアリアは、びくっと背筋を強ばらせる。
メイリンが手伝ってくれれば助かる? それは……じきにブリッジクルーが一人欠けると判っているから?
そんな感傷や困惑をたたっ斬るように、ノイマンが声を上げた。
「発進準備、完了しました!」
「メインゲート開放」
オペレーター席からでは、毅然と艦長席に座したマリューの、背中しか見えない。
「拘束アーム解除、機関20%微速前進」
ダメだ、とにかく今は、オーブを守ることだけを考えないと! チャンドラと入れ替わりに再び “アカツキ” との回線を繋げば、
〔カガリ様、お気をつけください! ザフトの新手が――〕
〔あれは……くっ!?〕
コックピットにこだまする僚機の警告と、歯噛みするカガリの声。
モニターに映るトリコロールの機体、ビームサーベルを閃かせ急速接近する影は――ヘブンズベース戦で “デストロイ” を撃破していた。アスランたちをも撃墜したという?
〔ええい!!〕
バーニアを噴かしたカガリは、真っ直ぐに海上へ。オーブ本島には近づけさせまいというように “デスティニー” の進路を塞ぎ、立ちはだかった。
いくら訓練を受けていたとはいえ、彼女は専任パイロットに非ず。
加えて戦後二年間、デスクワークと外交に駆けずり回っていたブランクもある。
“デスティニー” と一騎打ちに縺れ込んでは、いくらなんでも分が悪いと思われたが―― 特殊装甲 “ヤタノカガミ” は、ザフト最新鋭機によるビーム攻撃に対しても有効だった。しかし、
「オノゴロ島、光学映像出ます」
出撃した “アークエンジェル” のブリッジ、正面モニターに、
「敵陣熱紋照合――ボスゴロフ級2、ベーレンベルク級4、イサルコ級8。それと “ミネルバ” です!」
「え?」
「ミネルバ?」
ひときわ存在感を放つグレーの影を見とめ、ノイマンが舌打ちする。
「ジブラルタルじゃなかったのか? ジブリールを追ってきたのかよ……!」
しかも “ザフトの英雄” がオノゴロ沖、艦群後衛に徹しているということは――それだけ敵方が残している余力を示唆していた。
カガリを中心に指揮系統が機能し始めたといっても、戦況は、依然オーブ側に不利だ。
「アカツキは、2方向にて敵モビルスーツと交戦中!」
さらにナチュラルとコーディネイターの間には、歴然とした身体能力の差がある。
ここへ来るまで敵機を退けてきた “ヤタノカガミ” 、その反射速度もエース級パイロットには通じなかった。
カウンターで跳ね返された熱線をかわすなり、武器をビームライフルに替え。それも無効化されると見るや “デスティニー” は、飛来するムラサメ隊を次々と返り討ちに――右背部より、20メートルをゆうに越えるだろう長剣を抜き放つ。
ヘブンズベース戦でデストロイをも一撃で貫通していた、斬激兵装だ。
「 “デスティニー” ……シン!?」
CIC席から聞こえる、愕然としたアスランの声に。
ふと気づく。
あの機体を駆るパイロットが、噂に聞く “シン・アスカ” なら。面識ある相手だったら。
「カガリ! 相手との通信回線、開けないの?」
プラントに対する不誠実な対応は、あくまでセイランたちの独断であること。
こちらもロード・ジブリールを探していると伝えれば、一時停戦に応じてもらえる可能性はないだろうか?
〔どんな経緯であれ、オーブはプラントの敵に回った。今もザフトの侵攻を阻もうとしている事実に変わりはない――〕
けれどインカムからは、悔しげな即答が返る。
〔せめて、ジブリールを捕らえてからでなければ。私がなにを言っても、あいつを怒らせるだけだ!〕
それもそうかと、ミリアリアは引き下がる。
オーブ政府の内情など、ザフト軍の兵士たちには知ったことではないだろうし。
個人主義が罷りとおるフリージャーナリスト業界と異なり、政治の場では、官僚の失態イコール最高責任者の怠慢とされがちなもの。
事ここに至っては、言葉ではなく態度で示さなければ信じてもらえるはずもない。
「ラ、ラミアス艦長!」
CIC席ではメイリンが、本来の母艦とまみえた動揺もあらわに、うわずった声を上げた。
「あのっ……ミネルバに、通信を入れても良いですか? グラディス艦長と話したいんです」
少女の要望に、考え込むこと十数秒。
マリューの判断もカガリ同様だったらしく 「――ダメよ、まだ」 と首を振った。
「確かにグラディス艦長なら、耳を傾けてくれるかもしれないけれど。あなたやアスラン君には、ロゴスのスパイという容疑がかかっているんだもの……ここで無実を訴えても、大多数のザフト兵には、ジブリールを隠すための時間稼ぎとしか思われないわ」
もしくはメイリンが人質として捕らわれ、脅されてアークエンジェル側にいると誤解されるか――休戦条件としては、やはりジブリール捕縛が不可欠なのだ。
(行政府の方は、今どうなってるんだろう?)
国防本部の状態は多少掴めたが、行政府に関しては情報入手のパイプも皆無であり、まるで分からない……カガリが “遺書” に記した代表代理の人たちだけでも、対策に奔走していてくれれば良いのだが。
そうして一瞬、本土へと気を散らしていたミリアリアを、
「カガリ!!」
アスランの絶叫が、めまぐるしい空中戦に引き戻す。
突っ込んできた “デスティニー” に抗しきれず、シールドを破壊された “アカツキ” が、続けざまに左腕を斬り飛ばされた――いかに “ヤタノカガミ” といえど、物理的な衝撃まで無効化できるわけではないのだ。
ビームしか届かない距離を保ちつつ戦えば無敵といえるが、その強みを封殺する戦術をあっさり見抜いたらしく、間合いを詰めた “デスティニー” は止めとばかりにブーメランを投げ放った。
左腕を失った “アカツキ” は、完全にバランスを崩している。避けきれない――
ブリッジ全体にひやりとした戦慄が奔った、そのとき。
〔うわっ!?〕
上空より鮮やかなスピードで舞い降りてきた熱紋が、間一髪、カガリを襲った投擲兵器を撃ち砕いた。
目と鼻の先で爆発するブーメラン、吹き上がったオレンジの炎に弾き飛ばされる “アカツキ” だが、これといった損傷は無かったようで。
〔キラ……キラか?〕
カガリの声が聞こえてくる。ミリアリアは、ほっと息をついた。
“デスティニー”の猛攻から彼女を守るように、両者の間に滞空した機体は――ほとんど “フリーダム” と変わらぬフォルムで、けれど関節部はところどころ “アカツキ” と揃えたような黄金。
〔マリューさん、ラクスを頼みます!〕
「え?」
〔こちらの赤い機体に乗っているんですけれど、どんなふうに操縦すれば良いか分かりませんの……拾っていただけます?〕
キラの音声に加え、おっとりしたラクスの声が直接ブリッジに届いた。
よくよく見れば、やや離れた位置に―― “デスティニー” との戦闘ばかり注視していて気づかなかったが――かつてアスランの搭乗機だった “ジャスティス” に酷似した、赤いモビルスーツが一機、ゆるゆると漂いながら落ちてくる。
あれにラクスが?
〔ここは僕が引き受ける、カガリは国防本部へ!〕
〔分かった!〕
双子は、それぞれの目標へと機体を翻していった。
さすがに見飽きた、とか。狙ったようなタイミングで駆けつけすぎ、と思っても。
……やはりキラ登場シーンは画面に映えるなぁ。