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■ 黄昏プロムナード 〔1〕


 頼まれた雑用を終え、経済文化局へ戻ろうとしていたサイは、庁舎の一角に場違いな色を見つけた。
「あれ……?」
 朱に近いオレンジ色のジャケットは、モルゲンレーテのもの。
 長い赤毛や、華奢な体つきからして女性であるようだ。
 建物の修復に来た作業員にしては、工具もなにも持ち歩いておらず、手ぶら。
 きょろきょろと落ち着きなく進む足取りも頼りなげで――案内図の前で立ち止まり、窓の外を窺い、中庭へ出て行ったかと思えばすぐに引き返して来たりと、
「君! その先は、関係者以外立ち入り禁止だよ?」
 どうにも不審な人影が、メカニックには用が無さそうな資料館へ続く階段を上がり始めたので、サイは首をひねりつつ声をかけた。
「えっ? す、すみません!」
 びくっと振り向いた相手は、まだ10代半ばと思しき少女だった。
「……あのさ」
「はいっ?」
 あたふたと駆け降り一礼して、そのまま脇の通路へ入っていこうとする彼女を、サイは再び呼び止める。
「そっち進んでも、行き止まりなんだけど――」
「え、そうなんですか!?」
 焦りを映して、大きく瞠られた瞳は菫色。
 モルゲンレーテの社員なら最低でも義務教育は終えた年齢のはずだが、ずいぶん幼い印象である。
「君……もしかして、迷子?」
 子供とは言えない年頃の少女を表すには微妙だが、他に適した単語も見つからず、訊ねると。
「すみません!」
 相手は弾かれたように、耳まで真っ赤になって頭を下げた。
「知り合いと一緒に来てたんですけど、国防本部から帰る途中ではぐれちゃって。案内板を見ても、どっちに何があるのかよく分からなくて――」
 ただでさえ行政府は広く、似たような造りの建物が多いうえ、区画によっては人通りも少ない。歩き慣れぬ者が一人きりでは、迷いもするだろう。
「目的地はどこ? 俺で良ければ、案内するけど」
「あ、あの……」
 気後れした様子で、おずおずと少女は答えた。
「アークエンジェルが停泊している、港に――」
「アークエンジェル?」
 思わず訊き返してしまう。修理補給作業に派遣されてきた、技術スタッフなんだろうか……この子?
 なんにせよ、港の場所なら知っているが。
 地図を描いて渡そうにもペンやメモ用紙は手元に無いし、周辺の地理を把握していない者に、口頭で、どこを曲がって直進してと説明してもピンと来ないだろう。
 入り組んでいるうえに所々、爆撃の被害で道も塞がれてしまっている。艦が見えるところまで送っていった方が早そうだ。

「こっちだよ、おいで」

 不安げな少女を手招いて外へ出ると、街路樹の間から、ゆらめく夕陽が差し込んでいた。
 昔から、サングラスの用途も兼ねた色付メガネを愛用しているサイには、気になるほどではなかったが、

「うわぁ、眩しー……」

 少女は、ジャケットの腕で顔を庇いつつ首を竦めた。
 日除け代わりには到底足りまいが、直射日光との間に遮るものが何も無いよりマシだろう。サイは舗道の西側へ回り、先に立って歩きだす。

「――君、モルゲンレーテの新入社員? カズイ・バスカークって知ってる?」
「え? いえ。私、こっちへは来たばかりで……」
 いくぶん緊張のほぐれた、けれどまだ萎縮した面持ちで後を付いて来ながら、首を横へ振った少女の返事に、
(ああ、なるほど)
 中途入社か、と納得すると同時に気の毒になった。
「そう。悪いときに入っちゃったね。モルゲンレーテも、ザフトの攻撃対象だったみたいだし――怖かったろ」
 無言でうつむいた彼女は、逆に訊き返してきた。
「あの……行政職員の方ですか?」
「俺? まあ、一応――」
 臨時の私設秘書という立場は微妙だが、バイト気分でいる訳じゃない。サイが言葉を濁したことには気づかぬ様子で、
「もう、これで終わると思いますか? 戦争」
 少女はやけに思い詰めた口調で、縋るように問い重ねる。
「オーブと、ザフト……戦わなくて済むでしょうか?」
「うーん、どうかな。プラントの出方次第じゃないか?」
 ビーム偏向装置を用いて直接プラントを狙い撃つという奇策に出るも、直後の総力戦に敗北。ダイダロス基地をザフト軍によって制圧された、地球連合には――まだアルザッヘルが残っているとはいえ、不利に傾いた戦況をひっくり返せるとは思えない。遠からず降伏するだろう。
 あとは国家間の外交と賠償問題となる訳だが。
「宰相がロード・ジブリール匿ってたことを含め、オーブに非は多いけど……アスハ邸を襲ったモビルスーツの出所がはっきりして、首謀者を捕まえられない限り、プラントの要求ぜんぶに従う訳にはいかないだろうし」
 鋭意調査中として保留されたままになっている “疑念” だが、そろそろカガリが急かすか、デュランダルが答えを出すか――どう転ぶかは、やはりプラント次第だ。
「戦前より減ったとはいえ、オーブにはコーディネイターも暮らしてる。政府としても、プラントとの正面衝突は避けたいだろうけどね」
「…………」
 ますます翳りの濃くなった横顔に、なんとなく既視感を覚え。
「君、ひょっとしてコーディネイター?」
 当てずっぽうを口にすると、黒い襟に縁取られたジャケットの肩が、ぎくっと跳ね上がった。
「あ――」
 顔を引き攣らせた少女の怯えように、 しまった、失言だったかと思いつつ。
「いや、ごめん。モルゲンレーテに中途入社するくらいだから、相当、コンピュータに強いんだろうなって……」
 弁解しながら、既視感の元に思い至る。
 単純に嫌だとか怖いとかいう理由じゃなく、もっと押し殺した部分で葛藤しているような――

(……ああ、キラに似てるのか)

 二年前、アークエンジェルで “ストライク” を駆るようになった頃の。
 当時はただ、艦を守れるパイロットが、フラガ少佐とキラの二人だけだから、プレッシャーも半端じゃないんだろうと――その程度にしか捉えず。

『僕がどんな想いで戦ってきたか、誰も気にもしないくせに!!』

 温和で滅多に感情を荒げることもなかった、カレッジの後輩が、溜まりに溜まった憤りを爆発させるまで。
 コーディネイターがコーディネイターと戦うという苦悩すら、ほとんど考えてもみなかったけれど。

「でも、そっか……」
 前大戦後、オーブを見限り、あるいは生活の為にとプラントへ渡ったコーディネイターは少なくない。
「ザフトと戦いたくないなら、辞めた方が良いんじゃないかな」
 この子も、向こうに友達が、戦いたくない相手がいるのかもしれない。
「仕事だからって割り切れる問題じゃないだろ?」
 モルゲンレーテは軍そのものじゃないが、プラントとの敵対を避けられなければ――工場で造られる兵器は、間接的にせよザフト兵を、コーディネイター傷つけ殺すだろう。
「だって……私、自分から希望して、厚意で置いてもらってるんです」
 言葉よりも何よりも。
 力なく肩を落とした少女の反応が、指摘を事実と物語っていた。
「それに、みんな戦う覚悟をしてるのに――自分だけ安全なところに隠れて、誰かがなんとかしてくれるのを、待ってるだけなんて嫌だし」
「取り残されるのが怖いとか、誰かが戦ってるからとか……そっちの気持ちが強いなら、やっぱり止した方がいいと思う。いくら腕が良くても、性格的に向き不向きってあるから」
 自分たちが除隊許可証を破り捨て、アークエンジェルに残ると決めた動機も似たようなものだった。

『――それに、彼女だけ置いていくなんて出来ないしさ』
『アークエンジェル、人手不足だしなぁ。俺が降りたあと墜とされちゃったら、なんかやっぱり嫌だし』
『トールが残るんなら、私も』
『みんな残るってのに、俺だけじゃな』

 工科カレッジで学んだ知識はそれなりに、ブリッジクルーとして通用した。
 特に初期の “ストライク” は、キラでなければ、到底扱えないような代物だったけれど。

「死にそうな目に遭うたび、こんなところに残るんじゃなかったって後悔しかねないし」

 あのとき避難民のシャトルに乗り込んでいれば、デュエルに撃たれ死んでいたというのは結果論に過ぎない。
 フレイ個人の幸福を願うなら、入隊を思い止まるよう説得して、引きずってでも一緒に艦を降りるべきだった。
 たった一人の肉親が死に、帰る家も失ってしまった……? そんなことはない。
 アーガイル家に来いと、誘えば良かったのだ。
『君たちのご家族の消息も確認してきたぞ。みなさん、ご無事だ』
 ハルバートン提督から報されていたこと――自力で稼いでのプロポーズじゃない辺り、情けなさは残るが――養う娘が一人増えるくらい、両親にはどうってことなかったろう。今なら迷わずそう言えたろうに。
 後悔を抱くときは、いつだって遅い。
 結局自分は、父親の死に囚われたフレイの居場所に、なりきれなかった。

「誰かの為にとか、誰かと一緒ならって……想いは悪いモノじゃなくても」
 関係が順調なうちは、むしろ日々の活力を与えてくれるだろうが。
「それだけを支えにしてると、少しでも歯車が狂ったら “誰かの所為” にしたくなっちまうから」
 戦火の前には、日常なんて呆気ないほど脆い。
「そういうの、ぜんぶ抜きにして。自分に出来ることをやらなきゃって理由があるなら、だいじょうぶだろうけど」
「理由……?」
 呟いて、茜色の空を仰いだ少女は、急にはっきりした口調で答えた。
「――あります。私が、自分でやらなきゃいけないこと」
「そう」
 初めてまともにサイを見返した、菫色の瞳は強く澄んでいた。
「じゃ、余計なお世話だったね」
 安心すると同時に、苦笑が漏れた。
 しょせん他人事に過ぎない話を、他人事じゃないように考えてしまったのは、昔乗っていた艦に対する感傷だろうか。

「ああ、見えて来た。あれが軍港、アークエンジェルは、あっちの白いヤツ――分かる?」
「あ、はい! 分かります」
「この道をずっと下っていけば、着くから」
 柵から身を乗り出して、眼下の景色に目を凝らした、少女はこくこくと嬉しそうに頷いて。
「どうも、ありがとうございました」
「気をつけてね。もう、逸れないように」
「お兄さんも……お元気で」
 ぴょこんと頭を下げると、小走りに駆け去っていった。
 遠ざかっていく後ろ姿を見送って踵を返しかけ、ふと立ち止まる。

 白い肌に映える、赤い髪。

 さっきの既視感――妙に昔を思い出してしまった理由は、あの子の容姿が、今は亡き少女を連想させる色だったからか。
 ……ああ、だけど。

『こんなダサイ服、着るのイヤッ!』

 フレイなら駄々こねて、モルゲンレーテのジャケット姿なんかで出歩きそうにないな。
 彼女が唇を尖らせる様まで容易に想像できて、サイは、小さく吹き出す。
 痛みは今も付き纏う、それでもこんなふうに回想できる程度には、思い出になりつつあるのかもしれない。


 しばらくそのまま夕陽を眺めていると、物思いを断ち切るように、ケータイの着信音が鳴り響いた。


〔ああ、サイ? ねえ、今どこ? どこかで女の子を見なかった!?〕
「親父のとこに戻る途中だけど……女の子?」
 とっさに先刻の少女が思い浮かぶが、母親に、モルゲンレーテの作業員を探す理由は無いだろう。
〔避難所にインスタント食品を届けに来てくれたとき、あなたも会ったでしょう? モスグリーンのカーディガン着てる、ショートボブの小さい子!〕
「ああ――」
 ザフト軍から逃げる途中で親と逸れてしまったらしく、市街地で保護された子供だ。
 連れて来られてしばらくは部屋の隅で蹲っていたが、犬とじゃれているうちに心細さも消えたようで……アニマルセラピーって実際にあるんだなぁと、感心した覚えがある。
〔ご両親から連絡があったのよ。今から、娘を迎えに行きますって〕
「――え? 親御さん、見つかったんだ?」
〔そう。それは良かったんだけど、あの子、避難所にいないの!〕
「ええっ?」
〔私が最後に見かけたときは、おとなしく、おやつを食べてたんだけど。近くに座っていたご夫婦が、そのとき、家の鍵をどこかに落として来てしまったって……軍用犬なら、匂いを辿って見つけられるかもなって話していたらしくて〕
 動揺もあらわな早口で、母親の説明は続いた。
〔もしかしたら、ご両親を探しに外へ出て行ったんじゃないかって――〕
「ウチの犬連れて?」
〔ええ、どこを探しても見当たらないから……たぶん。そろそろご両親も到着する頃なのに〕
 アーガイル家の飼い犬はそんな訓練を受けていないし、たとえ軍用犬であっても、まず本人の持ち物の匂いを嗅がなくてはどうにもならないんじゃないか?
(迷子を送っていった矢先に――保護されていた迷子が、また迷子か)
 思い出に浸っている場合じゃない、こっちの仕事も山積みだ。
「子供の足じゃそう遠くへは行ってないだろうし、警備員が立ってるから、敷地の外へまでは出てないだろうけど……分かった、俺も探してみるよ」



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互いの素性は知らず、息抜き雑談。惚れた相手にくっついて荒事に首を突っ込んでしまったが故に、人生かなり狂ってしまった青年と、それが現在進行形の少女という対比。自分で決めた手前、メイリンはAA陣営相手に弱音を吐きにくいと思う。しかしアスランと脱走した経緯だけは、彼女自身が証言に立たなきゃ始まらんのです。