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■ 黄昏プロムナード 〔2〕


「メーイリーン!!」

 あらん限りの声を張り上げ、耳を澄ませても――風と木立が揺れる音しか聞こえない。

「……やっぱり、なにかあったんじゃ」
 心配そうに眉根を寄せ、政府中枢の敷地を歩き回りながら。
「国防本部に行って、僕らが待ってるって放送かけてもらった方が良くない? 道に迷ってるんだとしても、誰かが見かけてるかもしれないし――」
「だけど、下手に騒ぎにしちゃったら、それこそ取り調べの口実にされかねないわよ」
 あれこれ提案してくるキラに、ミリアリアは、少し考えて応じた。
「短時間でも、軍本部内で、他のクルーと離れて行動してたなんて聞きつけたら……メイリンのこと疑ってる人たちが、黙ってるわけないわ」
 代表復帰を果たしたカガリだが、その立場と権限は、セイランを始めとする他氏族の死去失墜、人材不足と――四面楚歌に近い戦況を背景とする不安定なもの。
 にも関わらず彼女は、アークエンジェルを正式にオーブ軍に編入すると決めた。
 行政府、及び軍部から同意を得たとはいえ。
 表だった対立姿勢は取らなくても、不満を抱えている反アスハ派――特に、ザフトから逃れてきた少女を、二重スパイではと怪しんでいる輩は少なくないだろう。
「あのジャケット姿で歩いてるだけなら、ミネルバのオペレーターだったなんて分かりっこないし。対策本部前にもいなかったんでしょ?」
「うん。マリューさんたちが探したけど、見当たらなかったって」
「だったら、自力で戻ろうとしてるんじゃないかな。前にも一度は往復してるんだし、通りすがりの人にでも道を訊けば……」
「だとしても、オーブ兵や職員には話しかけられないと思うよ」
 キラは、ぎゅっとケータイを握りしめた。
「僕も昔、フリーダムを持ち出すとき――カモフラージュにザフトの赤服を着て、工廠区に入って行ったけど」
 メイリンが艦に帰り着けば、ノイマンが報せてくれることになっているが、着信音は未だ鳴らず。
「もしあそこでラクスと逸れて一人になってたら。傍目には部外者だなんて判らないと思っても、ずっと戦ってきた敵軍の兵士に話しかけるなんて、出来なかったと思う」
 敵地だった場所に、独り立つ心情は如何ほどか。
 そうした経験の無いミリアリアには、確かに怖いだろうなと思うくらいが想像力の限界だった。

 三日後を目処に、オーブを出立。
 月面都市コペルニクスで情報収集活動に従事するという司令を、アークエンジェルが受けた今朝――アスランとメイリン、ロアノークは呼び出しを受け、艦長のマリューと共に再出頭していた。
 オーブ軍の一員として、元属していた地球連合・ザフトと戦う覚悟はあるのかという、最終的な意志確認の為に。
 その帰り道、ふと気づけば、後ろから付いて来ていたはずの少女がいなくなってしまっていたという。
 マリューはロアノークと話し込んでおり、アスランも物思いに耽っていたため、いつの間に、どこから逸れてしまったかは分からないが――たいした距離を移動したわけでもなかったのに、急いで引き返してもメイリンの姿は無く。
 ただ道に迷っただけならまだしも、万が一、反アスハ派やコーディネイターに恨みを持つグループによって拉致、尋問されているとしたら?
 一刻も早く探し出さなければ危ないが、クルー以外に事態が知れれば、別のマイナス要素が生まれてしまう。

「マリューさん? そっちは――いえ、僕らの方も見つかりません」

 かかってきた電話に出た、キラの表情がさらに曇る。
「訓練施設の周辺が、まだなんですね? 分かりました。探してみます」
 どうやら艦長も、メイリンの行方に関する手掛かりは掴めていないようだ。
「……ねえ。アスランたちの方は、どうなったかしら?」
「うん、ちょっと訊いてみる――」
 片手でキーを操作していた指先が、不意に途中で止まり。
「犬?」
 きょとんと辺りを見渡したキラの口から、突然転がり出た単語の意味が分からず、首をかしげていると、
「あれっ、ホントだ。なんでこんなところに……?」
 ぴょこぴょこ跳ねてきた茶色い毛玉は、わんっと一声上げるなりミリアリアに飛びついた。
「こらこら、くすぐったいわよ!」
 軽く頭を撫でてやれば、ちょこんと垂れた耳が特徴的なウェルシュ・コーギーは、甘えるように鼻を鳴らしつつ目を細める。
「どこから来たんだろ? ずいぶん人懐っこいし、野良犬じゃなさそうだよね――」
 その場にしゃがみ込んだキラと目が合えば、今度は彼にじゃれついて、また撫でられて気持ち良さげにしている。
 ザフト侵攻の折に、飼い主と逸れてしまった迷い犬だろうか? などと考えていたところに、
「あ……」
 パタパタと近づいてくる、小さな足音。
 振り向けば、10歳そこそこだろうか――モスグリーンのカーディガンを着た女の子が、戸惑い顔で佇んでいた。
「この子、あなたの?」
 抱き上げた犬を差し出せば、ミリアリアとキラを交互に見やり。
「……おばちゃんの」
 人見知りするタチなのか、消え入りそうな声で答える。
 親戚のおばさんという意味だろうか? なんにせよ、この子が連れていたペットには違い無さそうだ。
「そう。散歩するときはリードに繋いでないと、見失ったら探すの大変よ」
 少女は、無言で頷いて手を伸ばす。
 だが、ピクリと耳を動かしたコーギー犬は、ミリアリアの手を、少女の足元もすり抜けて一直線に走りだした。
「あっ?」
 なぜかパッと顔を輝かせた少女も 「そっち!?」 と声を弾ませ、猛然と、来た道を引き返していく。
「そっち、って……」
「なにがだろ?」
 ミリアリアは、キラと顔を見合わせた。
 飼い犬が逃げたら、普通は焦って 「待って!」 とか 「捕まえて!」 と叫びそうなものなのに。
「分からないけど、もうじき日も暮れるし。こんなほとんど人通りも無さそうな道、小さい子が出歩いてちゃ危ないよ」
「だけど、メイリンも探さなきゃだし――」
 言い合いながらも、どのみち進行方向ではあったから、陽の当たる坂道を競うように駆け上がれば。

「うわっ!? おまえ、いったい何処から……避難民の女の子と一緒だったんじゃないのか?」

 カーブを曲がりきった先に、長く伸びる影法師があった。
 逃げ出したものとばかり思われたコーギー犬は、ぱたぱた尻尾を振りながら、その足元に纏わりついている。
「ああ、いたいた。ダメじゃないか、黙って抜け出したりしちゃ――おばちゃんたち大騒ぎしてたぞ」
 道の途中で立ち止まった少女に歩み寄っていく、人影を見とめ。
「良かったぁ、保護者のヒトかな?」
 ホッと胸を撫で下ろしつつ、なんだか聞き覚えのある声だなと、引っ掛かりを感じた脳細胞が答えを弾き出すより早く。
「……サイ?」
 隣で、目を丸くしたキラが呟いた。
「へっ?」
 逆光でよく見えないが、言われてみれば確かにサイの声だ。
 この距離でよく識別できるなぁと感心したけれど、考えてみればコーディネイターは、視力や聴力もナチュラルの比ではないのだった。
 こちらには気づかぬ様子で、サイは女の子に話しかけている。
「お父さんとお母さん、見つかったよ。もうすぐ迎えに来るって」
「ホント……!?」
「ああ。避難所に戻っとかないと、どこ行ったんだろうって心配されるよ」
「うん!」
 さっきミリアリアの問いに答えたときとは比較にならない、はしゃいだ満面の笑顔で、少女は転がるように走りだした。
「お兄ちゃん、ありがとー!!」
 苦笑混じりに手を振り返した、サイは 「やれやれ」 と足元の犬を抱き上げる。
「おまえも付き添い、ご苦労さん」
 遅まきながらに思い返せば、確かにアーガイル家には、薄茶に白い毛混じりの犬がいた。
 卒論のアドバイスをもらいに訪ねて行ったとき、少しかまって遊んだくらいで、うろ覚えの記憶だけれど――

「サイ!」
「ミリィ? ……キラ」

 名を呼ぶ声に顔を上げた、サイは、驚いたように目を瞠り。
「そっか、近くにアークエンジェルが停泊してるんだもんな――久しぶり」
 彼に駆け寄ったミリアリアは、どんどん遠ざかっていくモスグリーンの背中を、目で追いながら訊ねる。
「あの子、サイの知り合い?」
「ザフトとの交戦中に保護された迷子だよ。避難所からいなくなったって連絡受けて、探してたんだ……どうも親御さんを探しに、市街地へ戻るつもりだったらしいな」
 おまえ連れてったって見つかりっこないのにな、と話しかけられた犬は、くりっとした黒い目を向けるばかりだ。
「避難所で、保父さん代わりしてるの?」
「いや。部署問わず、人手不足のところに呼ばれて雑用係って感じかな。とりあえず臨時秘書って扱いで、親父の手伝いやってる」
 そこでいったん言葉を切り、あらたまった調子でサイが問う。
「アークエンジェルは、月へ向かうって聞いたけど……二人とも、行くのか」
「――うん。逃げるのも、諦めて待つのも嫌だから」
 短く答えたキラに、ミリアリアも同意する。
「私も。調べをつけたかったこと、まだほとんど分からないままだしね」
 そうか、と相槌を打った旧友は心配そうに、けれど穏やかに笑って言った。
「生きてろよ」
 さっき以上に目を丸くしたキラは、サイを見つめ返して、言葉を探すように口を噤み。結局 「……ありがとう」 とだけ応えた。
「ああ。情報収集ったって――」

 そんな会話を遮るように、遠ざかっていったはずの足音がまた近づいてきて、

「お兄ちゃーん……」
 途方に暮れた様子の少女が、心細げに、サイの上着の裾を引っ張った。
「ここ、どこ?」
 帰る道が分かっているから、あんなふうに嬉々として走り去ったんじゃなかったのか?
 ミリアリアは拍子抜け、サイやキラも、脱力したように苦笑している。
「……戻ろう。案内するよ」
「うんっ!」
 元気良く頷いた迷子の手を取り、踵を返して。
「じゃあな。ザフトとの全面衝突だけは避けられるように、政府も尽力するだろうけど――中立都市だからコペルニクスなら安心、とは限らない。気をつけて」
「うん、行ってくる」
 そうして年が離れた兄妹のようにも見える、サイたちの姿が、木立の向こうに消えたあと。

「あ、しまったっ!」
「な、なに?」
 唐突に肝心なことを思い出した、ミリアリアは頭を抱えまくしたてた。
「ダメ元で、サイに訊いてみれば良かった! モルゲンレーテのジャケット姿の女の子、見なかったかって……」
「ああっ!?」
 キラも焦ったように、追いかけて行こうとする――そこへケータイが着信音をたてた。
「! ミリィ、ノイマンさんからだ」
「え、それって――」





 夕陽に照らされた白亜の艦、タラップの傍に、景色に溶けそうなオレンジのジャケット。

「メイリンっ!!」

 ミリアリアは、走り続けた勢いのまま赤毛の少女に抱きついた。
「え、えっ?」
 メイリンがわたわたと慌てているのに気づき、はっと我に返る。
 ……しまった、これ思いっきり仲良しクラスメイト女子のノリだ。
 出会ってからそんなに経ってない、しかもオーブとは敵対してるザフト兵だった相手に――ちょっと馴れ馴れし過ぎたろうか? まあいいや。
「もー、どこ行ってたの!?」
 問い質された少女は、ごめんなさいと頭を下げた。
「帰り道、窓から夕陽と海が見えて。キレイだなぁって……ちょっとボーッと眺めてたら、皆さんを見失って」
 捜索に出ていたメンバーは、連絡があったときミリアリアたちよりも近場にいたんだろう、全員揃ってメイリンを囲んでいて。
「急いで追いかけようとしたんですけど、向こうから歩いてくる軍人さんたちが――私のこと、話してるのが聞こえて」
 特に同行していたぶん責任も感じていたろう、マリューたちは、ほっとした表情である。
「とっさに脇の通路に入り込んで、うろうろしてたら迷っちゃって……」
「そこを通りかかった職員が、モルゲンレーテの新入社員と勘違いして、港の近くまで送ってくれたんだそうだ」
 ずっと艦に待機していた、ノイマンも横から説明を添え。
「そうだったの、良かった――」
 懸念したようなトラブルはなにも無かったことに、ミリアリアも胸を撫で下ろす。
「コペルニクスへ降りる前に、ケータイひとつ用意しとかなきゃね」
「はい。お願いします!」
「だが……メイリン」
「はい?」
 アスランはやや気後れした口調で、諭すように言う。
「オーブの一般兵から、どう思われているかは――わずかでも噂話を耳にしたなら分かるだろう。元々、脱出に君まで巻き込んでしまった俺の責任だ。なんとしてもスパイ容疑は晴らしてみせるから、君は、ここに残って――」
「ううん、だいじょうぶ」
 けれどメイリンは、柔らかく微笑んで首を横に振った。
「……もう、だいじょうぶです。誰かの為だけじゃない、自分の為にも行くんですから」



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『なにかあってもザフトには入らないでくれよな』 とカズイが言ってたことは、運命キラの記憶に残ってるんだか、どーだか……ヘリオポリス工科カレッジの同窓会があっても行くことはないんだろうなと、スペエディ白服姿を見て、ぼんやり思ったり。