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■ 君に、伝え遺されし 〔1〕


「え……?」
 言われた意味が、とっさには解らず訊き返すと、
〔今回は遠慮しときます、ってこと。参考資料の提出元が、アークエンジェルのクルーから依頼を受けた人間じゃあ、世間の皆さんも納得してくれないでしょ?〕
 ケータイの向こう側から、苦笑混じりにシエルが応えた。
〔オーブに縁もゆかりも無い調査員が、歌姫や戦艦ミネルバの足跡を辿ってようやく発見したものでなくちゃね〕
「えっと、それじゃ……アスランが、ミーアさんが出入りしていた場所とか、思い出そうとしてるんですけど」
〔だーめよ、ダメダメ。とりあえず艦長さんの帰りを待って。自治区内で発生した事件として、コペルニクスの警察機構が調べるっていうなら、任せておいた方が良いんじゃない?〕
 ミリアリアは、自室のベッドサイドに腰掛けたまま、先輩ジャーナリストの話に耳を傾ける。
〔どんな些細なことでも、後になって “使えるとき” が来るかもしれないから、思い出しておいて損は無いだろうし? 公正な捜査を望めないようだったり、これには気づいてくれなきゃってモノが調査員の怠慢で見過ごされて終わったら――そのときは、訴えに出るしかないでしょうけど〕
 マリューが戻り次第、自分も資料探しに出掛けようと意気込んでいたため、思わぬ指摘に当惑せずにはいられなかったけれど。
〔先走って、せっかくの突破口ぶち壊さないようにね〕
 直に見聞きすることが基本、とはいえ、逸らず焦らず待機する忍耐力もスキルのうちだと諭されて。

 礼を言い、通話を切って。
 高揚感から一転、すっかり気が抜けてしまったミリアリアは、溜息と共にテーブルに突っ伏した。

「……手詰まり、かぁ」
 ここへ来るまで何度も、そう思ったけど。
 やるべきことは判っているのに、人任せにするしかないなんて状況は初めてだ。
「せっかく情報収集が任務なのに――」
 けれど考えてみれば、オーブと繋がりのある人間がいくら “証拠品” を提出しても、捏造したものではないかと疑われて当然で。
 下手をすれば、決定打と成り得る “なにか” まで、台無しにしてしまいかねない。
 コペルニクス当局が捜査に乗り出すなら、なおさらだ。

(アークエンジェルに乗り込まないで、外にいたら……調査に携わる機会も、あったかな?)

 たとえば、コダックの助手として。
 ミーアの直筆サインを持つ者が多くいるだろう、ディオキアなどのプラント支持区に滞在していたら。師匠は “無所属” というイメージで見られているヒトだから――ひょっとすると、依頼が来たかもしれない。
 そう思うと歯痒い、けど。

 ……でも、どこかに属するって。
 世間的な信用を失うって、きっとこういうこと。
 事の真相を突き止めるために、懐かしい艦のオペレーター席に座ると決めた、代償。
 出身地に加え、アークエンジェルに乗っていた過去があるだけでも、スタートラインからオーブ寄りと思われることは避けられないんだから。

『あなた、この件が片付いたら一度、オーブやアークエンジェルからは離れた方が良いと思うわ』

 あのときシエルがそう勧めた理由も、たぶん、こういうジレンマが予想されるものだったからだ。


×××××


 ベルリンにて、捕虜として拘束された直後。
 口調も態度も刺々しかった頃と比べれば別人のように――ここ最近は、ときに軽口を叩き、柔らかい表情も見せるようになっていたロアノークだが、

「…………」

 今は、ひどく険しい顔つきで。
 つかつかと突っ切るようにアークエンジェルの通路を歩いていた。
 マリューも身長170cmと、そこそこ背は高い方だが。さらにコンパスが長い彼に付いて行こうと思ったら、小走りに急がなければ離される一方で――広い背中を追いかけながら、考える。
(……行きは、私のペースに合わせてくれていたのね)
 ボディーガードが護衛対象より先に進んでしまっては護衛にならないから、当然といえば言えるし。ロアノークとしては、別段意識しての行動ではなかったのかもしれない、けれど――気遣われていたのかと思うと、やはり嬉しい。
 反面、それだけ余裕を無くしてしまったと思われる、ロアノークの精神状態が気掛かりだった。

 帰り道は、終始無言で。

『当局から連絡があるまで、しばらくは待機なんだろ? ……だったら俺も休ませてもらうぜ?』

 車を降りて。
 艦内に入ったとたん、そう言い置いて。
 時折すれ違うメカニックや、タケミカズチの元乗員であるクルーたちの、物問いたげな視線をことごとく無視した彼は、

「あ、お帰りなさい。艦長、一佐――」

 居住区へ向かう道の途中で、話しかけてきたミリアリアの眼前も。むっつりと黙り込んだまま、内心の苛立ちを映したように荒々しい足取りで通り過ぎていってしまい。
「え、あれ? 私、今ちゃんと、少佐じゃなくて “一佐” って言いました……よね?」
 ぱちくりと瞬いた浅葱の瞳が、みるみるうちに遠ざかっていくロアノークの後ろ姿を、自信なさげに見やる。
「ごめんなさいね。たぶん上の空だっただけだと思うから、怒らないであげて?」
 彼を追うことを断念したマリューは、代わりに少女に頭を下げ。
「べつに、怒るようなことじゃないですけど」
 ミリアリアに気分を害した様子はなく、むしろ心配そうな応えが返ってきた。
「向こうで、なにかあったんですか? 少佐、ずいぶん顔色も悪かったみたいですけど――あ、間違えた」
 はっと口元を手で押さえ、一佐一佐と呪文のように繰り返し。
「もしかして、大佐じゃなきゃ嫌だったとか……?」
 なにやら真顔で、ロアノークの呼び名に悩み始めた少女を、横目で窺いながら。
 帰り際に至って当局側から、唐突に持ち掛けられた “テスト” の内容について話すか否か、数秒、迷ったが――結局、マリューは口を噤んだ。

「いいえ。ちょっと疲れたから、もう部屋に戻って寝るって」

 まずロアノーク本人が混乱していて、その場に居合わせた自分も訳が分からなかったのだ。見たまま説明したところで、彼女たちに、要らぬ頭痛の種を増やしてしまうだけだろう。
「コペルニクス当局との交渉は、上手くいった方だと思うわ。殺人事件として捜査してくれるそうよ」
 実際、今は他に頼む仕事も無いのだ。
 休息を咎める理由など有りはしない。
「ただ……私たちも容疑者には違いないから、艦でおとなしくしているようにと。アークエンジェルの乗組員が “参考資料” を提出しても、それは筆跡や指紋の比較対象に加えないとも言われたわ」
「やっぱり、ですか」
「やっぱりって?」
「師匠の知り合いに相談したら、調査は、コペルニクスの警察組織に任せたほうが良いって言われて――」
 ひとまずクルーを全員を集め、結果を報せなければと。
 少女と並んでブリッジへ向かいながら、マリューは、つい一時間ほど前の出来事を思い返す。



『数式ったってなぁ……』

 眉間に深く皺を寄せながら、ぼやいたロアノークが。
『俺ならって、なに? どっかのラボに隠し扉でも? いくらファントムペインを率いてたって、なんでもかんでも知らされてたわけじゃ』
 黒い金属製の箱に触れると、なにかカチリと外れる音がして――隙間もなにも無く見えていた部分が、すっと開き、ノートパソコンめいた形状になった。

『……ん? ああ』

 そうして小さなディスプレイに、マリューには意味不明が数列が表示されるが。
 ロアノークは一瞬首をひねるも覚えがあったようで、無造作にキーボードを操作しては文字入力、エンターキーの連打を繰り返す。
 そのたびにカチャリ、ガガガ――と響く物音が。
 同席者こそ数人いれど、しんと静まり返った室内では奇妙に大きく聞こえた。
 固唾を呑んで見守っている間はずいぶんと長く感じたが、実際には、1分経つか経たないかという短さだったんだろう。当局側の面々に、驚きとも困惑ともつかぬ色が見え隠れし始めた、わずかな空気の揺れをも掻き消すように。

 ビーッ!! と。

 唐突に鳴り響いた、けたたましい音と同時に、
『ネ、ネオ? どうしたの!?』
 急にぐらりと体勢を崩したロアノークは、ばんっと机についた片手を支えに踏み止まりながら。
 さっきまでキーを叩いていた、もう一方の手で頭を抱え、呻くように答えた。

『なんでもない……少し、眩暈がしただけだ』

 うろたえるマリューを宥めるように、薄く笑ってみせるが、その顔色は明らかに褪せていて脂汗さえ浮かべており。
『具合がお悪かったのですか? それは、お引き止めして申し訳ありませんでした』
『体調不良を押してまで、お付き合いいただく必要はございませんので――これは、いずれまたお越しになられたときにでも』
『監視付きでかまわなければ、医務室へご案内しますが……?』
 あっさりと中断、帰宅をうながす当局側に対して、
『二度手間は御免だ』
 ムキになったように、再びキーボードを弄りだすロアノークだったが。
 意識が朦朧としているのか指先が強ばっている所為なのか、さっきまでスムーズだった動きが嘘のように、エラー音が立て続き――結局 “テスト” は徒労に終わってしまった。
 入力ミスの連続により、内部コンピュータが不正アクセスと判断、本日中はもう正しいパスワードにも反応しませんと言われてしまえば、さすがに引き下がるしかない。

 そうして釈然としないまま帰路に着くも、ロアノークの顔色は、時間が経つほどますます悪くなっていった。

『ねえ。ちょっと、そこで休みましょう?』

 監視付きだろうと彼に渋られようと、医務室へ引き摺っていって診てもらって、薬のひとつくらい貰っておけば良かったと後悔しながら。
 植え込みを縁取る石垣に、ロアノークを座らせ。
 駐車場の入り口に自動販売機を見つけて、吸収が良さそうなスポーツドリンクを買って駆け戻ると、

『……なんのパスワードだ、あれ?』

 素直にボトルを受け取って一口飲んだ、ロアノークは、ぼそりと訊ねた。
『え?』
『元は連合軍人なんだろう? あんたも』
『なんのって、あなた知っているから入力出来たんでしょう? 次々に、ロックが外れるような音もしていたし――最後はダメだったけど』
『はっきり解って打ってたわけじゃない。昔、どこかで使っていたコードのような気がする、けど……なんだったか思い出せない』
 ぐったりと気持ち悪そうに呟く男を前にして、マリューは返事に困った。
『そう言われても、私には、まったく見覚えが無いアルファベットの羅列だったし――確かに昔は、連合に在籍していたけれど技術士官だったから』
 ロアノークを、ムウ・ラ・フラガと同一人物であると判断した根拠として。
 別人ならば知るはずがない、ブリッジの通信コードを覚えていたことも当局側に伝えていたから、あちらが “テスト” などと言い出した理由もその辺りにあったんだろうが。
『あなたなら開けられるはずってことは、パイロットが使うコードか、ロゴスに関するものだったんじゃないかしら? ほら。ロゴス幹部の邸宅は、徹底的に調査されたみたいだから……なにか機密に近い情報が、コペルニクスのお偉方の耳に届いていても不思議じゃないし』
 パスワードなんて、世の中に億単位で存在するだろう。
 結局は開けられずに終わった、さっきのアレはなんだったのか?
 エンデュミオンの鷹と呼ばれた男が知るはずのこと、ファントムペインの大佐が知っているもの、もしくは――

(ムウ個人が関係していた、なにか……?)



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ここまで来るとさすがに、事態はミリアリアの手を離れるなぁ……と。そんでもってオーブ側に身を置いたペナルティと言いますか、面倒くさい大人社会の壁にぶつかるが良い。そしてパスワードの類。よく使うヤツは頭で考えんでも、指先が覚えてるもんです。意外と。