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終わらない明日と運命の、狭間のお話。
Get along well together 〔前編〕
C.E71 某日。
……仮住居たる、アスハの別邸にて。
かつて “砂漠の虎” と恐れられた豪放磊落な男、アンドリュー・バルトフェルドは地味に悩んでいた。
悩みの種は、どんよりと暗く半死人の形相をした同居人たち。
中でも特に重症なのが、ラウ・ル・クルーゼと死闘を繰り広げ――果ては想い入れある少女を眼前で喪った、フリーダムのパイロット。並びに、自分らを庇うため恋人が死に、かつての副官が乗っていた “ドミニオン” を沈めたアークエンジェルの女艦長であった。
キラ・ヤマトに関しては、彼と親しい少年少女が付き添っているため、バルトフェルドの出る幕はない。
問題は、マリュー・ラミアスである。
地球連合軍脱走兵の烙印を押された身である以上、故郷へは戻れない。
元クルーの大半はむさ苦しい野郎どもで、同年代の女性は一人もいない。
しかも全員が、自艦のローエングリンに撃たれて死んだナタル・バジルールに対し、複雑な感情を抱いているとあっては――どんな会話も、互いの傷に塩を塗りかねない。
結果、いつの間にやら彼女の世話を焼くのは、これというしがらみを持たないバルトフェルドの役目になってしまっていた。
境遇だけ取り出してみれば、自分と彼女には似た部分もあるのだろう。
……が、砂漠で戦死した恋人のアイシャは気まぐれな猫のような女性で、 まったく “気を遣う” 必要がなかった。
なにを話しかけても無反応、拒食に加えて不眠症も併発。日に日に痩せ細ってゆくマリューを相手に、バルトフェルドは柄にもなく途方に暮れていたのだ――
「という訳なんだが、どうしたものかねえ? ダコスタ君」
〔って、なんで俺に訊くんですか……衛星通信かけてまで〕
「いやあ、ボクが知る人物の中では誰より、傷心の女性の相談役を務めた経験が豊富なんじゃないかと思ってな」
画面の向こう。地黒で赤毛の青年は 〔……は?〕 と太い眉をひそめた。
「“いいひと” で終わるタイプだろう、おまえ」
バルトフェルドは、悪びれもせずに言った。
〔………………〕
顔を引きつらせながらも、マーチン・ダコスタは律儀に答える。
〔どうもこうも、時間に癒してもらうしかないんじゃないですか? 十年来の友人知人だったならまだしも、ラミアス艦長たちの馴れ初めもなにもよく知らないんでしょう、隊長は。下手な慰めの言葉は逆効果ですよ〕
「ふーむ……」
バルトフェルドは、顎に手を当てたまま唸った。参考になるような、ならないような。
〔ただまあ、ひとつ断言できることは〕
「なんだ?」
〔気分転換にとか言って、コーヒー勧めてるんでしょう〕
「おおっ、よく分かったなぁ!」
〔しかもブラックコーヒー。濃いめの〕
「香りを楽しむには、それが一番だからねぇ」
機嫌よく肯いたバルトフェルドを半眼で見つめ、ダコスタは 〔はあー〕 と溜息をついた。
〔それ、当面禁止です〕
「なにぃっ!?」
〔食欲も湧かないほどやつれ切ってる、しかも女性が相手じゃ、なおさらですよ。どうせコーヒーを入れるなら、砂糖とミルクたっぷりの甘いヤツでしょう〕
「そんな、邪道な!」
バルトフェルドは、がたりと椅子ごと仰け反った。
〔嫌なら大人しく、コーヒーを飲ませようとするのは止めて、消化が良さそうな食べ物でも用意してあげてください〕
「食事か、なるほど……」
〔言っときますけど、辛いのも厳禁ですからね〕
「む?」
〔ペッパー、タバスコ、チリソース、とにかく刺激物の類は全面禁止です〕
「なんてこと言うんだ、ボクに作れるものが無くなってしまうじゃないか!」
バルトフェルドは猛然と抗議した。
無骨な外見に似合わず家事全般最低限のことはこなせる彼だが、幸か不幸か、手料理のレパートリーは激しく辛いものに偏っている。
〔知りませんよ……だいたい隊長、世話役には向いてないんですから。彼女のために折れる気がないなら、なにもしないほうが無難だと思いますよ。それじゃ〕
仕事中なんで、と無情な一言を残して、通信はぶつりと切られてしまった。
それから30分後。
バルトフェルドは、なにかに取り憑かれたような眼つきで、コーヒーミルやドリップポットと格闘していた。
その気になれば今すぐにでも専門ショップを開けるであろう、ずらりと瓶に詰まったコーヒー豆。室内を満たす、麗しい香り。
カップに注いだ熱いコーヒーを前にして、バルトフェルドはしばし葛藤する。
右手には、普段そこに入り込む余地すら無い、二つの材料。
……こんなものを入れるのは、無粋だ。
誰がなんと言おうと、苦みばしる濃厚な芳香と味をそのまま堪能してこそコーヒーなのだ!
んが。
「見くびるなよ、ダコスタ! 俺は、女性とコーヒーを天秤にかけるほど、度量の狭い男じゃないッ!」
そもそも比べる組み合わせに問題があるだろうに――遠きプラントの地にいる青年に、聞こえるはずもないのに宣言して、ミルクとガムシロップを放り込む。
慣れぬ男の手によって加減なく注がれたそれらは、コーヒーの色も香りも覆い隠してカフェオレに変えてしまったが、バルトフェルドは嘆かわしい事実に気づく余裕もなく 「くうっ」 と涙を呑むと、カップを手にしてリビングへと向かった。
×××××
マリューは、朝方見かけたときと同じ姿勢で、ぼんやりと窓際のソファに座っていた。
誰かが声をかけ、食事だ就寝時間だと引っぱり出さない限り、いつまでも同じ場所に座り込んだまま動こうとしないのだ。
開け放たれた窓の外には、生命の躍動に満ちた、鮮やかな南国の自然が広がっているというのに。
……時の流れさえ、彼女だけを置き去りにしているようで。
そっとしておくのが一番だろうと周りに窘められながらも、放っておけなかった、その理由を――元副官を含む傍観者たちは、陰で 『父性』 だ 『恋』 だ、はたまた 『同情』 だのと好き勝手に評していたのだが。
渦中の人物。バルトフェルド本人は、この件に関して深く突き詰めて考えることなく終わる。
ともあれ、これまで数々の傑作コーヒーに目もくれなかった彼女が、こんなものに反応する訳がない! と思考のどこかで高を括っていた、
「あー、その……喉は乾かないかね?」
バルトフェルドが、ずいと差し出したカップから溢れた甘ったるい匂いに、
「…………」
また無反応かと思われたマリューは、ゆっくり顔を上げた。
え? と拍子抜けている男の手から、のろのろとカップを受け取り。そうして一口飲み込むと、ほっと息をついた。
「……おいしい」
ずっと虚ろだった褐色の瞳に、わずかながら感情が灯る――安堵、らしきものが。
ほんのり微笑を浮かべ、両手でカップを抱えているマリューの表情は、確かに “生きている” と感じられて。
バルトフェルドは、彼女がコーヒーもといカフェオレを飲み終えてしまうまで、呆けて突っ立ったまま、その横顔に魅入っていた。
「ごちそう、さま……でした……」
やがて空になったカップをテーブルに戻したマリューは、途切れ途切れにつぶやくと、こてんとソファに倒れてしまった。
(また貧血でも起こしたか!?)
あわてて駆け寄る、バルトフェルド。しかし彼女は目を閉じて、くうくうと気持ち良さそうに熟睡しているだけだ。
「…………」
とにかく食事をさせること。眠らせること。
医者にも言われていた両方に成功したのだから、素直に喜んで良いはずなのだ――が。
泣く子も黙る “砂漠の虎” が。
お手製コーヒーが、甘いものごときに敵わないとは。
背に哀愁を漂わせながら、眠るマリューの身体にタオルケットをかけてやり、起こさないようにと部屋を後にした元ザフトの英雄は、通路の途中でくわっと隻眼を見開いた。
「いつか彼女には、最高のブレンドを飲ませてみせる!」
……バルトフェルドの闘争心が、おかしな方向に点火された瞬間だった。
コーヒー通にも色んなタイプの方がいると思いますが、管理人のバルトフェルド氏イメージはこんなです。
ミルクや砂糖を入れるなんて邪道だ〜というあたりは、実母の主張が元になっていたりします (笑)