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 停戦直後のことは、あまり覚えていない。


      Get along well together 〔中編〕


 三隻同盟。アークエンジェル艦長としての、渉外実務に追われる日々が過ぎ去り、オーブに降りた頃から。
 なにもかも、自分の存在すら曖昧で……おぼつかない靄の中にいるようだった。

 あやふやな意識に、ふと懐かしい匂いが触れて。
 なんだろうと手繰り寄せてみると、気遣わしげな青い隻眼がそこに在った。
 ソファが柔らかくて、両手で抱えたカップが温かくて――風が吹き抜ける、窓の外は蒼く澄み渡っていた。

 ふわりと、浮かび上がる記憶。

 子供の頃、だだをこねた。
 休日の朝のリビングで、お父さんとお母さんだけ飲んでいた、コーヒーが……大人の特権に思えて、羨ましくて。
 苦笑まじりに差し出された、マグカップ。同じ、あったかい甘い、香り。

 なにか食べた後は 「ごちそうさま」 って言わないと、お行儀が悪いって叱られる。
 だけど、ここは家じゃない。もう、戻れない。

 帰ってくるって、約束したのに。また会えるといいわねって、言ったのに。

 彼はいない、彼女もいない。
 ここにいるのは、アンドリュー・バルトフェルドという名前の、少し風変わりな男の人。

 夜中、けたたましい警報に飛び起きることも、アームレストにしがみついて被弾の衝撃に耐える必要もない。


 ……戦争は終わったのだ、もう。

×××××



 黄昏時、ぶらぶら庭を散歩しているとキラを見かけた。
「よう、荷造りは終わったのか?」
「はい。元々そんなに、私物があったわけじゃありませんから」
 振り向いた細身の少年は、曖昧に笑う。バルトフェルドは、ひょいと肩をすくめた。
「ま、そりゃそうだ」
 明日、彼はこの別邸を発つ。喧騒から切り離された、心休まる場所へ……と考えた、母親のカリダ・ヤマトに連れられて、導師マルキオの伝道所がある島へと住居を移すことになったのだ。
 ラクスも、共に行くのだという。
 歌姫廃業。クライン派の連中の泣きっ面が目に浮かぶが、自分には、誰を束縛する権利も無ければ義務もない。彼らの人生だ、好きなようにすればいいと思う。
「聞けば、ずいぶん辺鄙なところらしいからなぁ。オノゴロに買い出しにでも来たときは、顔を見せろよ? まあ、こっちも暇つぶしがてら遊びに行くつもりだが」
 苦笑まじりに頷いたキラは、そこで表情を改めた。
「バルトフェルドさんは――これから、どうするんですか?」
「ん?」
「いや、ええと」
 言いたいことがまとまらないようで、ぽりぽりと頬をかく。
「そうだな……」
 ダコスタたちとプラントに戻るか、懐かしい砂漠の街でのんびり暮らすか。見知らぬ土地を、気ままに旅してみるのもおもしろそうだが、
「当分は、ここにいるつもりだ。最高のブレンドにたどり着くには、まだ時間がかかりそうだからなぁ」
 うずくまり身を寄せ合うように過ごしていた、アークエンジェルの元クルーたちも、とある映像ディスクが届けられた日を境にそれぞれの道を探し歩き出していった。
 キラとラクスが去れば、ここに残るのは自分とマリューだけだ。
「ラミアス艦長のことなら、心配するな。そこまでヤワな女性じゃないことは、おまえの方がよく知っているだろう?」
 そして、あの “ディスク” になにが映っているのかも。
 バルトフェルドは、頷きつつ表情を翳らせた、少年の背をぽんと叩いた。
「どのみち、この別邸は一人暮らしには広すぎる。彼女だけ残して行ったりはせんよ」


 今から浜へ向かうというキラに、夕飯までには戻れよと言い残して。

(しかし、このまま見ないつもりかねえ……彼女は)

 ちらちら気にしている節はあったがな、と考えながらリビングの扉を開けると、まさにマリューが問題のディスクを再生しているところだった。
 幸い、こちらに気づいた様子はないので、バルトフェルドは静かに身を引っ込める。

 事あるごとに睨み合う、ブルーコスモスの盟主と、黒髪の “ドミニオン” 艦長。
 保護された、赤毛の少女。
 宇宙要塞ボアズへの核攻撃。月基地を薙ぎ払うジェネシス。
 母艦に戻ろうとしていた “ストライク” を撃てと、ムルタ・アズラエルが命じる。
 アークエンジェルに危機を報せようとする、フレイ・アルスター。
 目を血走らせ、逆上する男。
 ナタル・バジルールによる、退艦命令。逃げ出すクルーたち。閉ざされたブリッジに、立て続けに響き渡る銃声。
 勝利に固執するアズラエルが、白亜の艦めがけてローエングリンを――

 そこでブツンと、映像が消えた。


 リモコンが、かたんと音をたてフローリングに落ちる。
 ソファに掛けていたマリューが、あらゆるものを視界から追い出すように背を丸め、小刻みに震えだすのを見て、バルトフェルドはふーっと息をついた。

「どうした? まだ途中だろう」

 塞がらぬ傷を抉りかねない映像を、強引に突きつけるのもどうかと思い、これまで様子を窺ってきたが――肝心なところを見る前に止めてしまっては、半減どころか逆効果だ。
「!」
 背筋をひきつらせたマリューは、ぎくしゃくと振り向いた。
「……見……な、く……ても」
 褐色の瞳は泥のように濁り、青褪めた顔は不自然にゆがんで、せっかくの美人が台無しである。
「わ、たし……撃った……の……」
 ナタル、と呟いた後はもう譫言のように支離滅裂で、コーディネイターの聴力を以ってしても聞き取れなかったが、
「ま、それも事実ではあるがな」
 彼女が、なにを考えているのか、だいたいのところは察しがついた。
 ずっと、知りたくはあっただろう。かつての副官が、フラガを殺したのか。それとも別の誰かが?
 そうして後者と判明した今―― もはやどんな大義名分も、疲弊した精神を支えることは出来ず、生き延びたマリューの負い目ばかりが浮き彫りにされてゆく。
「だが、途中で放り出して “分かったつもり” になるのは、どうかと思うぞ? 故人に対しても失礼だ」
 バルトフェルドは落ちていたリモコンを拾い、再生ボタンを押した。

「これは他の誰よりも、君が見届けるべきだ」

 逃れようとするマリューの両肩をつかみ、前を向かせる。
 彼女が乗る “アークエンジェル” の盾となり、 ストライクは消し飛んだ。

 呆然と立ち尽くす男を、バジルールが嘲笑する。
『あなたの負けです……』
 アズラエルは激昂し、また拳銃を乱射した。革張りのシートに、液晶ディスプレイに、鮮血が散る。
 かつてアークエンジェルの副艦長席にいた女性は、血塗れになりながら 『撃て!』 と叫び、マリュー・ラミアスの名を呼んだ。
 次の瞬間、灼けつく白い光の渦が “ドミニオン” の艦橋を飲み込んだ。
 映像は、そこでノイズに切り替わる。

 ざーざーと、小雨にも似た音が流れ続ける。


「……見えたか、彼女の最期は?」

 とっくの昔に中身を確認していたバルトフェルドには、二度目となる映像だ。
 初め、アイシャを思い出した。
 あの砂漠で “ラゴゥ” が爆発する寸前、目に焼きつけた――彼女とは、まるっきり性格も出自も異なるであろう、死に瀕した女が浮かべた、美しく透明な笑み。
「褒めてるみたいだろう? よくやった、ってな」
「…………気のせいです」
 マリューは、ぶんぶんと首を振った。
「ずっと私のこと、不満そうに……頼りないって……」
 ほとんど独り言のような、それは久しぶりに聞く彼女の、感情を伴う声だった。
「ナタルの、あんな顔……本当に、一回も見たことなかったのに……なんで? あんな……ふうに、撃たれたのに、笑って」
 痩せた肩が、ひくっと痙攣する。
 次いで、堰を切ったように溢れだす大粒の涙。

 ごめんなさい、ごめんなさいと、掠れた声で繰り返しながら。
 バルトフェルドが見守る中――マリューは、赤ん坊のように声を上げて泣き続けた。



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キリリク短編だというのに、連載設定使いまくりの反則技……でもマリューさんには、ナタルさんがどんなふうに最期を迎えたのか、知っててもらいたいです。やっぱり。